東京地裁判決後、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告側弁護士ら=2021年9月27日、東京・霞が関、

部落解放同盟と被差別部落の出身者が、全国の被差別部落の地名をまとめた本の出版などはプライバシー侵害だとして、出版社側に出版の差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は「差別されない権利」を初めて認めた。

6月28日午後。東京高裁の門前に出てきた100人近い原告らは「旗出し」を待っていた。「旗出し」とは、話題になった裁判の判決言い渡し後、弁護士らが裁判所前に出てきて「勝訴」とか「不当判決」などと書かれた紙を掲げることだ。形状から「びろーん」と呼ぶ人もいる。

約20分後、弁護士らが出てきた。山本志都、中井雅人両弁護士が「勝訴」「差し止め範囲大幅拡大」と書かれた2枚の紙を掲げた。原告である部落解放同盟の西島藤彦委員長が、ハンドマイクを持ち「削除される対象は、一審・東京地裁判決時の25都府県から31都府県に拡大しました」と説明。不安そうに待っていた原告らの表情がやわらぎ、拍手も起きた。

原告らが「旗出し」を待ったのは、直前まで大法廷の傍聴席で土田昭彦裁判長が判決を読み上げるところを聞いてはいたが、その意味するところがよくわからなかったからだ。

しかも2021年9月27日に言い渡された一審・東京地裁判決のときは、結論こそ原告勝訴で、旗出しでも弁護士らは今回と同様に「勝訴」という紙を掲げたものの、原告代理人の河村健夫弁護士が「きわめてわかりにくい、摩訶不思議な判決」と評するような内容。指宿昭一弁護士も「微妙で煮え切らない内容で、大勝利と呼べる判決ではない」と渋い表情だった。これに対して今回の東京高裁による控訴審判決については、原告や弁護士らが「想像したよりずっといい判決」「大幅な勝利」「画期的だ」と喜ぶ結果となった。

2年前の地裁判決と今回の高裁判決では、何が変わったのか。

原告は部落解放同盟と同盟員ら約230人。川崎市の出版社と経営者ら2人を相手取り、被差別部落の地名をまとめた書籍の復刻出版禁止と、インターネット上に掲載した地名リストの削除を求めて、2016年4月に東京地裁に提訴していた。

訴えによると出版社は2016年2月、戦前の調査報告書「全国部落調査」を復刻出版した書籍を販売するとネットで告知。ネット上に地名リストや解放同盟幹部らの名簿を載せた。

原告は「日本社会には被差別部落出身者を忌避する感情が残っている」と指摘。地名リストの出版やネットへの掲載が差別を助長し、原告の(1)プライバシー権(2)名誉権(3)差別されない権利(4)部落解放同盟が業務を円滑に行う権利――の四つの権利を侵害すると主張した。

一審での焦点の一つは、地名リストの公表が人権侵害に結びつくかどうかだった。地名リスト自体は個人情報ではないため、個人情報の暴露によるプライバシー侵害にあたるかどうかが争われた。地裁判決は地名リストについて、「個人の住所や本籍と照合することで、被差別部落とされた地域かどうかが容易にわかる」として、個人の住所や本籍の公表と同様のプライバシー侵害にあたると認定した。

しかし地裁判決は、原告が主張した四つの権利のうち、(1)プライバシー権(2)名誉権の二つの侵害は全体では認めた一方で、(3)差別されない権利(4)部落解放同盟が業務を円滑に行う権利の二つは否定した。また、現在の住所や本籍が地名リストにない人については、過去の住所や本籍がリストにある場合でも「照合による調査が容易とはいえない」として、個別のプライバシー権侵害を否定した。

今回の訴訟では、「全国部落調査」に地名が掲載された41都府県のうち、31都府県に住む原告が提訴している。地裁判決はこのうち25都府県について、出版禁止やネットからの削除を認めた一方で、裁判中に原告が亡くなったり、原告のプライバシー権侵害が認められなかったりしたことなどを理由に、6県分を対象からはずした。

原告と被告の双方が、一審判決を不服として控訴した。被告側は、「だれかの戸籍謄本や住民票は出していない。地名を出しただけでプライバシー侵害というのはおかしい」と反論していた。

高裁判決について指宿弁護士は「私たちが主張していた『差別されない権利』が憲法にもとづく人格権として認められた。裁判史上初めてと思う。今後、部落差別以外にも外国人やLGBTなどさまざまな差別された人の救済に使える、画期的な判断だ」と高く評価した。

裁判所は「差別」という言葉を使いたがらないことがしばしばある。今回の訴訟でも東京地裁判決は、「差別されない権利」の侵害を訴えた原告の主張について「原告の主張する権利の内実は不明確であって、どのような場合に原告ら主張の権利が侵害されているのかは判然としない」と、そっけなく退けていた。

しかし東京高裁判決は一転、部落差別という言葉の意味をていねいに定義したうえで、「不当な差別を受けることなく人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送る人格的な利益」について「法的に保護された利益」だと明言。被差別部落をめぐる「地域の出身を理由とする不当な扱い」は「差別」なのだということに、繰り返し言及した。

しかも、「出身情報が公表され広く流通することは、一定の者にとっては、実際に不当な扱いを受けなくても不安感を抱き、おびえるなどして平穏な生活を侵害されることになる」とも述べ、地名情報の公表だけでも「差別されない人格的利益」の侵害にあたると判示した。

高裁が今回、踏み込んだ判断を示した理由について、指宿弁護士はこう解説した。

「原告のみなさんが部落差別の現実について陳述書を書き、法廷で訴えた。学者の協力を得て、差別の歴史や実態についての意見書や資料も多数提出した。これによって差別の実態とともに、差別は許せないという原告の気持ちが裁判官に伝わったのだと思う」

そして「裁判官としても勇気を持って書いた判決ではないか」とも語った。

今回の地名リスト問題を契機に制定された部落差別解消推進法や、ヘイトスピーチ解消法は、いずれも差別について「あってはならない」「許されない」と述べている。しかし両法に差別を明確に禁止する規定はない。川崎市は2019年、全国で初めて差別行為に刑事罰を科すとの条項を盛り込んだ条例を制定。各地の自治体で追随する動きがあるが、まだ少数にとどまる。このことが、差別の被害を訴えて司法や行政に救済を求める人たちにとってはハードルになってきた。

今回の東京高裁判決が憲法を根拠に「差別されない人格的利益」を認めたことは、指宿弁護士のいうように今後、部落問題以外のさまざまな差別の問題をめぐる訴訟などにも波及していく可能性が高いといえそうだ。

一方で、高裁判決による出版や公表の禁止が地名リスト全体に及ばず、原告が関係する都府県に限っての禁止にとどまったことは、救済の対象を原告一人ひとりの個別の被害にとどめざるを得ないという裁判制度の限界を示したともいえる。

原告の片岡明幸・部落解放同盟副委員長は「出版差し止めが認められない県が出てきてしまったことは、『差別を包括的に禁止する法律がないから、原告がいない県にまで拡大はできない』と裁判所が言っているということだと思う。解放同盟としては、この判決を足がかりに、国会で差別禁止法をつくるように運動を強めていきたい」と述べた。

被告の出版社経営者は高裁判決について「いくらでも悪用可能な恐ろしい判決だ。上告はするが結論は期待していない」とのコメントを発表した。

朝日新聞2023年7月25日閲覧