シニア夫のDV 「暴力的な言動に我慢できない」妻たちの悲鳴




コロナ禍を経て、夫婦間のDV相談が過去最多を更新している。シニア世代で多いのが、夫から妻への乱暴な言動だ。熟年離婚も過去最多を記録している現在、状況を変えようと「動く」人も多い。そのコツと対策を追った。

「もうこれ以上、耐えられない」

千葉県在住のヨシエさん(仮名・67歳)。現在、結婚41年目になる夫(72)と夫婦二人暮らし。その夫に対する我慢が限界を迎えた。

夫は、若いころからヨシエさんに対して乱暴な言動を繰り返してきた。朝起きて、ヨシエさんがすぐにお茶を出さないと、カッとなって怒鳴りつける。肉料理が好きで、夕食の献立に肉がないと「こんなの食事じゃないだろう」と、怒号の嵐。殴る、蹴るなどの身体的な暴力はないが、怒ると物に当たって壊す。蹴り飛ばした椅子がガラス戸に当たり、割れたガラスの破片でヨシエさんがけがをしたこともある。

子育て期間中は少し落ち着いていたものの、子どもが独立し、夫婦二人の生活に戻ってから、その傾向がまた戻るようになってきた。

乱暴さが増したのが、夫の定年退職後だ。会社員として定年まで勤め上げた夫が、一日中家にいるようになってからだ。

きっかけは、ヨシエさんの何気ない一言だった。

「少し帰りが遅くなりそうだから、洗濯物を入れておいてもらえますか」

出先から家にいる夫にそう電話した。帰宅すると、逆上した夫が仁王立ちで待ち構えていた。

「なんでお前の仕事を俺がやらないといけないんだ!」「ふざけるのもいい加減にしろ!」

「なんでお前の仕事を俺がやらないといけないんだ!」「ふざけるのもいい加減にしろ!」

ヨシエさんが洗濯物を入れるように頼んだことが、夫の怒りのスイッチを押したらしい。外を見れば、雨が降ってきたにもかかわらず、洗濯物は外に出しっぱなし。ヨシエさんがため息をつくと、怒りはさらにヒートアップした。

「誰のおかげで暮らせてきていると思うんだ」「俺は勤め上げてお前を養ってきた」と怒鳴りつける。ヨシエさんが何か言おうとしようものなら「言うことを聞かないなら、俺の家から出ていけ」。3時間近い説教の後、雨に濡れた洗濯物を取り込みながら、ヨシエさんは「真剣にこれからのことを考えないといけない」と思った。

リタイア後の夫の生活といえば、朝から晩まで寝転がってばかり。朝昼晩と決まった時間に食事を出さないと機嫌が悪い。ヨシエさんが友達と会ったり、習い事に出かけたりするときも、「誰の金で出かけるんだ?」と嫌悪感を示す。

「近所の○○さん、囲碁クラブに行くようになって楽しいそうですよ」「今度、ハイキングの催しがあるそうですよ」など、夫にも外に出るようそれとなく水を向けるも、「そんな集まり、どうせろくな奴がいない」など、ことごとく否定してばかり。四六時中、家にいる乱暴な夫と過ごす日常に、とてつもない息苦しさを覚えるようになったヨシエさんは、久しぶりに帰省した娘と二人になったつかの間の時間、つらい思いが口をついて出てきた。若いころから我慢し続けていた夫との暮らしが限界に来ていること、もっと自由に自分の時間を楽しみたいこと、そのために夫から距離を置きたいこと──。

娘がヨシエさんを他県にある娘宅に呼び寄せ、離婚を見据えてカウンセラーの元に連れていったのは、その1カ月後のことだった。

コロナ禍を経て、夫婦間のDV被害が増加している。警察が昨年受理した配偶者などパートナーからの暴力(DV)の相談は、18年連続で過去最多を更新。新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛の影響などで潜在化している恐れも指摘されている。昨今では若い世代を中心に、妻から夫へのDV被害も増加傾向にあるものの、65歳以上のシニア世代においては「圧倒的に夫からのDVを相談する妻の割合が高い」(複数のカウンセラー談)という。

「今のシニア世代は、“亭主関白”という名の、ある種の支配関係に疑問を抱いてこなかった世代。上の年代になるほど我慢を美徳とする傾向もあり、我慢のつらさを他人に話しづらい人が多い」

こう話すのは、これまで多くの夫婦トラブルと対峙してきた夫婦問題カウンセラーの高草木陽光さん。DVやモラハラという言葉が浸透しつつある今、シニア世代でも声をあげる人が増えている。

シニア世代の妻からの相談の中で共通するのが、夫の高圧的な態度や乱暴な言動だ。身体的な暴力があるケースもあるが、乱暴な言動に耐えかねて相談に訪れるケースが多い。リタイアした夫が家で過ごすようになり、ストレスを妻にぶつける例が多く見られるという。それも「リタイア後、突然豹変した」というわけではなく、現役時代から暴力的な“予兆”があった夫が、リタイアを機に、暴力的な面が一層あらわになるケースが多い。300人以上のDVや虐待などの相談を受けてきた心理カウンセラーの松林三樹夫さんは言う。「現役時代は外に働きに出ることで、自然と意識が外に向き、仕事などで発散できていたため、家での暴力的な面が抑えられていた。ところがリタイアして夫婦で顔を合わせる時間が長くなることで、妻に対して乱暴な言動を繰り返してしまう。思いを発散させる場所がほかになくなり、妻を標的にしてしまうのです」

妻に暴力的な言動を繰り返す夫の背景には、昭和的な上意下達の組織風土で培われた精神も見え隠れする。会社では、上層の意思によって下層が動くのが常。それが当たり前の世界で生きるうち、いつしか家では外で金を稼ぐ自分が「上」で、妻が「下」という構図になる。それゆえに、「妻が自分と対等な立場で物を言うことが我慢できない」という夫もいる。

「俺の言うことを聞けないなら出ていけ、俺の言うことに逆らうな、という夫はまさにこのタイプ。妻としては意見を言っただけなのに、夫から見れば“何を生意気な”となる。これまで外で頑張ってきた自分に、妻が従ってくれることが当たり前と思っている」(松林さん)

こうなると、夫のリタイア後、妻にとっては耐え難い時間が続くことになる。妻の多くが、「せめて定年後は夫が穏やかになり、自分を受け止めてくれる」ことや、「仕事を辞めたら家のことを手伝う」ことを期待して、必死に我慢を重ねる日々を過ごしてきた。ところがリタイア後、その言動に拍車がかかる夫を前に、「これ以上耐えられない」と家を出る決断をする妻が少なくないという。

「実際に、家を出てから相談に来る人のほうが多い。また夫も、妻が家を出たことで初めて、事の重大さに気づく人が多いのです」(同)

家を出るに至った妻は、(1)離婚を前提に考えている人、(2)できれば離婚したくないが、夫が変わることを求める人に分かれるという。「(1)と(2)、いずれにしても、きちんと段階を踏んで準備することが大切です」とは、前出の高草木さん。それぞれ妻が取るべき行動を説明しよう。

まず(1)(2)いずれの場合にも、自分の気持ちをきちんと伝えたかを確認する。いつ、夫のどんな言動で、どんな思いになったのか、具体的に夫に何をしてほしいのか、きちんと言葉にして伝える。反省して変わろうとする人もいるからだ。

「上の年代になるほど、腹を割って話さない夫婦も多く、夫に文句を言ったとしても、大事なことが伝えられていない妻が多い」(高草木さん)

言葉にして伝えたとしても、夫に変わる気配がなければ、(1)の場合には財産分与や慰謝料などの金銭面で損をしないような対策を練った上で、離婚に向けた準備に入る。

「暴力がある場合には、話し合いをすることもなく、離れることを勧めます。正しい情報と味方の協力を得て、慎重に行動することが大切です」(同)

(2)の場合には、夫が変わることを期待する以上に、自分が夫の言動で傷つかないための策を用意することが大切だ。自分が夫のどんな言動で傷つくのか、その傾向を洗い出し、一つずつ対策を立てる。DVや夫婦問題などに詳しいカウンセラーの意見を頼ると良い。

例えば、昨今よく耳にするようになった「モラハラ」。相手を精神的に追い詰める行為を指し、乱暴な言動で妻を責める場合もモラハラに当たる。相手の反応がモラハラを加速させるため、自分の身を守るには“スルー力”を鍛えることが必要だとされる。

「モラハラ気質の人は、相手を困らせたい欲が強く、相手にたたきがいがあるからたたく。だからたたいても反応しないことが効果的です。何か言われても“へえ~”“ふ~”など、必要最低限の返答にとどめる。夫に対し、感情的にならず“流す”。これには訓練が必要ですが、慣れてくるとできるようになる。そのうち夫も、“前と変わってきたな”“離婚されるかもしれない”と不安になって態度を変えてくる人もいます」(同)

冒頭のヨシエさんのように、子どもを味方につけるのも一つの手だ。「子どもに心配させたくない」と隠したがる人もいるが、いざという時のため、身近に頼れる存在を作っておくと良い。実際、子どもが親を引っ張って相談に連れてくるケースも少なくないという。

加害者側の解決策はあるのか。DV加害者に対するカウンセリングも行う前出の松林さんが、加害者に対して行うのが更生のためのプログラムだ。最初は通うことに抵抗する人も多いが、妻から離婚調停を切り出されたことを機に、変わろうとする夫もいる。更生プログラムでは、何が暴力かを知ることから始まり、なぜ暴力的な言動をしてしまうのか原因を掘り下げる。そして対等な関係のあり方や柔らかいコミュニケーションの仕方について、実践しながら学んでいく。

「暴力的な言動に至る原因の多くに、例えば親が同じような態度だったなど、生い立ちからの影響があります。加害者としても、自分の暴力の原因が見えてくると安心感を持つのか、克服しようという気になる人も多いのです」(松林さん)

またリタイア後、家以外に活動する場所を持つことは、加害者にとっても有効な対策の一つになる。外で活動することを嫌がる男性には、仕事での地位が高かった人や、プライドが高いなどの共通点があるという。

「外で活動する人を見下し、自分は家でくすぶる。そういう人に限って妻に威張りがちです。エネルギーを良い形で発揮できる場所を外に持つことで変われる人もいる。年齢を重ねても、相手の言葉に聞く耳を持とうとする人は変われる可能性があります」(同)


「妻もシニア世代になると、黙って耐えてばかりの人は少ない。夫に対し、かなり強い口調で言い返す人も多いです」

こう話すのは、『夫婦がベストパートナーに変わる77の魔法』などの著書で知られる夫婦問題研究家の岡野あつこさん。岡野さんは、互いに傷つけ合う熟年夫婦の姿を目の当たりにしてきた。

「仕事で成果を出し、頑張ってきた人ほど身内に対してもスパルタで、かつ認めてほしい欲求が強い」(岡野さん)

対して妻は、そんな夫が許せない。「長年のお仕事、ご苦労様」という気持ちが持てず、どうにかプライドを踏みにじろうとする。

「長年一緒にいることで、素直になれない妻も多い。優しくしてもらえず、老後に入って復讐心が芽生えたりする」(同)

いつ何があるかわからない時代だからこそ、「我慢の人生ではなく、自分を大切に生きたい」と願い、夫婦関係を見直す人が増えているという。

「後悔のない人生を生きたいという思いは、熟年になればなるほど強まるもの。コロナを機に、これまで蓋をしていた自分の気持ちと真剣に向き合う人が増えたように感じます」(同)

長生き時代、自分の人生を取り戻すのは、いくつになっても遅くない。

AERA2022年11月14日閲覧