法律をつくるほど社会はダメになってゆくのではないか




賭博はなぜ犯罪とされているのでしょうか。なぜ臓器は売ってはならないのでしょう。問題が起きると人はすぐに「法律をつくろう」と言いますが、法律をつくるほど社会はダメになってゆくのではないか?

そう語るのは青山学院大学法学部教授で『あぶない法哲学』の著者である住吉雅美先生です。

こうした法に関する既成の知や常識、思い込みを徹底的に疑うことが「法哲学」。

そもそも法は、必ずしも守るべきなのでしょうか。このことを考えきっかけになる事件があります。

生で飲むには問題ない消費期限の、しかし食品衛生法上ではもっと厳しい消費期限が設定されている牛乳がありました。この「食品衛生法の消費期限」を1~2日過ぎた牛乳を使ったシュークリームが、大量に製造されたことがあります。

当然ながら、製造の過程で牛乳は加熱されています。しかし「食品衛生法に反しているから」と販売が許されず、このシュークリームが大量廃棄されてしまったのです。これは完全に「フードロス」でしょう。たとえば販売できない理由を説明し、事情を了解したうえで、食べたい人に無料で提供するという手もあったかもしれません。

法律にがんじがらめになり、「安全な食べ物のための法律」が「法律のための食べ物」になっている、倒錯した状態と言えるでしょう。

法が人を支配しているように思える状況について考察する上で役立つ、ふたつの考え方があります。

たとえば日本国内で賭博は違法とされています。しかしラスベガスに行けば、不思議なことに犯罪ではなくなってしまう。犯罪になるかならないか、同じ行為なのに国が変われば扱いが変わるなんて奇妙なものです。

法律は黒を白にできる。法律は道徳と関係がない。「悪法もまた法」である──実定法のみを法とするこうした考え方を、法実証主義と言います。道徳的に疑問のある法も、守るべき法であるとするものです。

これに相対するのが自然法論です。こんなおかしな法律に従う必要はないのではないか。つくられた法律以上に正しい何かがあるはず──そうした考え方が根底にあります。この場合、正しさの根拠は人間の良心や本性とされるのですが、時代や論者によって「正しさ」の基準が変わってしまうことが問題点です。

私たちが当然のように従っている無数の法律はそもそも、本当に従うべきものなのか? 問われれば考え込んでしまう疑問を投げかけながら、『あぶない法哲学』の著者である住吉雅美先生が全11回の講義で解説しています。

常識を揺るがす「法を疑う世界」で、あなたは何を思いますか。

COURRiER Japon2022年8月30日閲覧