8月のことである。
白洲正子のエッセイにも取り上げられている奈良の道具屋さんに伺った。
ご高齢の上品な紳士が出迎えてくださる。
Tさんの紹介で、というと、名古屋から道具を持って来られた方との商談中にもかかわらず、お茶をすすめられた。
持ち込まれたお道具は小風呂敷に包まれた状態でさえ、つまらなそうであった。
倒産した料理屋さんで所蔵されていたものらしい。
ご主人は結びめをほどいて広げることを店の女性に任せて、さっと一瞥して、おわり。
あきまへんなあ…、
こんな仕事はなあ…、
こういう(道具を使った)茶はようしませんな。
困りましたな。
お付き合いしたいのは山々ですが、うちには置けませんなあ。
今日は遠くからようきてくれはりました。
タクシー呼びますよって。
あくまで物腰は柔らかいのだけれど、生粋の関西人でない私は、その穏やかさにビクビク、ドキドキ。
そうこうしてるうちTさんが来てくださって、場が和んで、どんなにホッとしたことか。
その後は奈良時代の硯の話、藤田嗣治の珍しい水墨画に添えられた東郷青児の一文とか、見せていただきました。
教養があればもっと面白いお話が聞けたにちがいない。
話の合間に、ふと小さな箱を差し出してくださった。
年寿の御祝に縁ある人に配ったものだとおっしゃる。
もう、数も少のうなって。
とぽつり。
桐の小箱には香合と書いてある。
ご自身の自筆だそうだ。
開けると、
古材 海龍王寺
と紙片の文字を読み取れる。
ざっくりとした木の皮を残した肌合いが美しい。
そのまま香合にする遊びココロが愛らしい。
古材はお金ではなく、ご縁で結ばれるものときいている。
嬉しかった。
また、遊びにおいで、と送り出された。
私はなにも買わなかったのに。、
これもTさんのおかげだ。
ぐふふ。
