桜が咲くまでもう少しの所で

母が自宅トイレの中で急性心不全で79歳で

旅立ちました。


通夜告別式ともに泣かないつもりが号泣。


葬儀、お寺さんの手配などほぼ初めての看取り。


救急隊員の人の心肺蘇生処置で一度

心臓は動くも脳に酸素届かないで脳死状態が1日


ICUの看護師さんから今日は大丈夫みたいと

うながされ部屋戻り次の日仕事して終わったあとで

スマホ見たらICUから留守番電話入っていて

慌ててタクシー拾い行くもギリギリ最期に間に合い、

何度も戻ってきてと声に出しても戻らない。


母に長男として何も育ててもらった恩を返せない。

そんな自分自身が許せないもう1人の自分がいる。


介護福祉施設で週3回認知症のリハビリしていた母は

耳は補聴器付けていたけど口は達者だったと改めて

思う。


あげくの果てにはもう一緒に住んでいないのに

俺がいつ帰ってくるかもしれないから玄関の鍵は

開けておいてと父に伝えていた。


病院と葬儀代と母の年金停止手続きとかもろもろの

事を弟が仕事を1週間休んで父と一緒にしてくれたから

助かった。


母は遺言も何もないままに旅立ったけど、

残された俺達が出来ることは

家族や親戚、近所の人たちの絆であり

いつまでも母を忘れないということ。


いかに自分自身が過去に母に暴言を吐いてしまったと

今になって悔やんでも母は返らない。


あれから約3週間くらいたったが四十九日と

お墓を田舎から移すかどうかという問題がある。



父がそう言って自宅から近いお寺さんで仕事の

合間で探しているという状態。


母の遺影は少し若い時のお友達と旅行に行った時の

満面の笑顔を選んだ。


新たな問題は出てきたけど、やっと角松敏生さんの

曲を聴いたり、こうしてブログ書けるまで立ち直ることが出来るまで自分自身が深い悲しみから解き放たれ、

普段通りの日常生活にやっと戻ることが出来た。


全ての人たちに感謝します。


ありがとう。