何度もブログを書きかけてはいつも続かなかった。

別に書かなくても生活には困らないし
書いてるうちになんだか侘しくなってきて
こんなことしても何も変わらないのにと
のっけから逃げ口上。

ブログに何を期待したのか
自分に何を期待したのか
そういう自分に向き合うのもやめて
気にしないことにしていた。


でもそれから一年、
ひょんなことから日記を書くことになった。
しかもネット上で。
友人からmixiに招待されて
よくわからないけど何か書いてみたら
コメントがついた。

友人の日記が投稿されると
携帯にメールが飛んできた。
携帯電話から読み書きできることも
ちょっぴり新鮮な気がして
自分が書くだけでなく、友人の日記を読むようになった。


日記というのは自分だけの秘密で
人に見せるものではないという感覚があったのだけれど
よく知っている人の日記を読むのは
知らない人の日記を読むのとは違って
間接的にその人が自分に対して
何かのメッセージを送っているようで
単に他人の日記ではなくなってきた。

自分の日記もまた
人に読まれることになり
知らず知らずのうちに自分も
読んでくれる人に思いをつのらせるようになっていった。


今日、あるサイトに投稿した記事に対して
まったく知らない人からコメントがついた。
私を応援してくれるらしい。
その人は日々の生活のなかで
いくつもの辛い思いをしており
その人の記事を読むたびに
私も胸を痛めたことが何度もある。

そんな心に重荷を背負った人が
私のつまらない記事を読んで
応援のメッセージをよせてくれた。
それで、このブログのことを思い出した。


このブログ上で空白となった一年間、
実はいろんな事があった。
おそらく私の人生の中で
一生忘れることのない一年となるだろう。
そもそも一年前、
私は自分との対話のためにこのブログを始めたのだった。
一年前に自分が書いたことを読み返して
その時のことを思い出した。


もう一度書いてみようと思う。
久しぶりに一人の時間を持った。

ここひと月ほど自分はどこかに旅していたような気がする。


記憶を無くす自分にどこか怯えていた。


自分の知らない(憶えていない)ことを他の人が知っている。
自分のアイデンティティは自分で作っているものと信じてきたが
自分の知らないもうひとりの自分がいて
どうやらその自分もまた自分自身であるらしい。

自分、自分、自分・・・・
自己愛とか自意識とか、そういうこだわりではない。
ただ、自分を自分と認識する根拠となっていた記憶が怪しくなってくると
私は誰?と急に不安になったりするのだ。

その不安を打ち消すためだろうか、私は積極的に人と会い、大いに語り、
一人の時間を持たないようにした。
人と通じることの安心感はとても心地よいものだった。
相手に自分の名前を呼んでもらい、私のことを語ってもらい、
私が誰なのかを自分に刻み込もうとしていたのかもしれない。

今日、久しぶりに一人の時間を持った。
幸いなことに今日の私は一人で居ることを歓迎してくれた。
久しぶりにテレビを見た。
ニュース、スポーツ、ドラマ、バラエティー・・・
そして永年聞き慣れたお気に入りの音楽を聞いた。

かつて私はそういう一人の時間が好きだった。
そして今日、やはり私はそういう時間が自分に必要なのだと
再確認した。

私は自身の感性が受信したメッセージに対して心と体が具体的な
反応を起こすまでに、つまり次の行動を開始するまでにけっこうな
時間を要する。彷徨い歩く時間が必要だ・・・というより、彷徨うこと
自体が自分との対話であり、他人から見える私の言動を形作るもと
になっているのだと思う。

今日は私自身から「久しぶり」「おかえり」と言われたような気分だった。
そうだな、しばらく旅に出てたかな。
私さん、これからもよろしく。