監視システムを作った風土~浜松城 | 令和時代、明朗快活に生きていくんだ!?

江戸時代、浜松城というところはどのようなところだとされるか。


#今のアクトシティのようなものである。(市民からは無用の長物のように思われている)

#または新幹線がひかりこだましか停まらないがいちおう新幹線駅があるである。(東京が終点の新幹線が停まるというのが長所で利用される)  

浜松城に滞在するという城主は監視システムを担っているのである。空城の計という言葉はあてはまるか微妙だがなにかあるのだ。不気味な感じだ。ちなみに現在航空自衛隊基地があるのは浜松である。戦略上重要な機能が搭載された飛行機がなんと浜松に配備されている。そんなわけで、広大な地方都市にある浜松城は出世城ともいわれ、出世コースのひとの居場所なのである。深い知識と洞察力を日々やしなうには絶好の地である。男性的な都市なのである。華やかできらびやかな文化は育たなかった。現在重要な研究所が浜松にあるのかは市民は知らない。私たちが現在も使うテレビを開発された場所は浜松市の静岡大学工学部である。今そういうのはあまり聞かなくなった。

江戸時代においては、将軍がいた江戸と公儀の京都の中間地点であることが最大のポイントである。

静岡の駿府城とのちがいは、京都や名古屋に近いのが浜松城であるということである。

家康の晩年の居場所は浜松城ではなく駿府城であった。

なにかあれば江戸からまず静岡の駿府城に使者が行きそれから浜松の浜松城に伝令が行っただろう。浜松城を選ぶか駿府城を選ぶか家康の考えとしては将軍を引退した相談役大御所であるという立場を非常に重視したのである。そのため距離的には浜松城ではなくて駿府城に住むのが重要であったと言っていいだろう。近くて遠い立場であるが連携が重要な浜松市と県庁所在地静岡市なのである。表は静岡市裏は浜松市、いや逆か?