囲碁キャリア50余年。 人生も第四コーナーを回りきった感ある老いぼれが語る囲碁フィソロジー。お楽しみいただければ幸いです。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 では、最後の疑問を整理しましょう。互先では、初手を隅に打つのであれば右上に打つものとされています。だとしたら三子局の置石の配置はおかしいのでは?-第五話- 三子局でも対局開始の際、上手(白)が第一着を打つのに目障りでない様に、左上隅を空き隅として石を配置する。 一見すると至極真っ当な話の様でもありますが、そもそも置き碁とは端から二子(以上)置いているいるわけだし、さらにいえば四子局以上では左上隅にも石を置いているから、どうもこの理由はこじつけ臭い気がしています。日本棋院のHPを訪ねて調べてみると、置き石の配置についても記載されていますが、これが明確に適切なハンディキャップを作る配置であるとか、これ以外の置き石の配置が不適切であるとか、そう言ったものをみつけることはできませんでした。 ^^;個人的には、3子局の3子目は天元に置くのがいいと思っています。他の奇数置き碁(5子局、7子局、9子局)では最後に天元に置いて置き石を確定させるところをみると、3子局も二隅+天元に置くのが座りが良いでしょう。また、唯一3子局だけが自分と対局相手の目線で同じにならないというノーセンスな配置も、天元への配置であれば解消されるのですから。まさに一石二鳥。 w今の3子局の配置、紫式部が悲しんでいるような気ぃしませんか。誰が決めたのか置き碁の石の初期配置。ひょっとしたら、これには深いわけがあってのことではなくて、結構いい加減に決めちゃったんじゃないかと疑って止まないクマシィなのでした。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 初手を右上隅に打つのが、なぜ相手を敬う態度になるのでしょう。-第四話- それは相手(白)が初手を打つにあたり、自分の石が邪魔をしないように、という配慮があるからなのです。自分の石が邪魔?すると、こんな声が聞こえてきそうです。相手(白)が左利きだったら碁盤の左側のほうが打ちやすいはずです。もし自分(黒)も相手(白)も左利きだったとしたら、初手をお互いに打ちやすい左上隅に打つのが自然ではないか…。残念でした。たとえ自分が左利きで左側に石を置きやすかろうとも、初手は右上隅です。たとえ相手が左利きで相手が石を置きにくかろうとも、初手は右上隅です。たとえ左利きで同士の対局だったとしても、初手は右上隅なのです。「相手(白)が初手を打つにあたり、自分の石が邪魔をしない」ここで言っている「邪魔」とは、着打の際の邪魔ではなく、視界の邪魔のことなのです。つまり、初手を右上隅に置くということは、相手の目障りでないところに置く、という配慮なのです。黒石ひとつが盤上のどこにあってもいーじゃないか。目障りってことはないでしょう。と思いますよね? σ(^-^)もそう思いますもん。wでも、こんな小さな気遣い、繊細な日本人以外には考えられないでしょう。そう考えると、なんとも美しい慣わしに思えて来たりしませんか?自分の石が目障りにならない様に…こんなにも小さなことをおもんばかって初手を右上隅に置くなんて、すごくないですか?始めたのは紫式部にちがいありません。(妄想です)ひとは右目を利き目に持つ者が多いので、盤上中央~右と上が目に留めやすい、という生体学的根拠を昔の人が持っていたとは思えませんが、囲碁では相手(白)に文字通り一目置いていることを黙して語らず、右上隅に石を置くことで敬意を表したのです。粋だねぇ。初手、右上隅。そこに日本らしさと奥ゆかしさ、そして、しとやかさと美しさを感じるクマシィなのでした。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 互先では、初手を隅に打つのであれば右上に打つものとされています。だとしたら三子局の石の配置はおかしいのではないか…。-第三話-初手を右上隅に打つのは、相手を敬ってのことです。ん?初手を右上隅に打つのが、なぜ相手を敬うことなるのでしょう。それは、相手(白)が初手を打つにあたり、自分の石が邪魔をしないように、という配慮があるからなのです。…答えになってませんかね。^^;よく、初級の方が、「なぜ初手は右上隅に打つのか? ワシは左利きなので左上隅に打ったってよいじゃろが。」などと言ったりします。w或いは、「碁は初手361ヶ所orパスのいずれかを自由に選択できるのがルールの はずです。 自由と言いながら、盤上の着手場所が決まっているなんて おかしいじゃないか。」などと変な理屈を捏ねる方もいらっしゃいます。wこれを諭すのに、「囲碁は初手は右上隅に打つのがマナーなんですよ」などと言ったりするとややこしいことになります。^^;そこで、こんなふうに伝えてみたりします。「囲碁は“棋道”と言いましてね、 武道のように礼に始め、礼に終わります。 そして対局中も対局後も相手を敬い、相手をおもんばかるのが棋道の 精神です。 初手を右上隅に打つのも“棋道”に通じる、古くからの“ならわし”なので す。 もし相手を敬う気持ちを持たずに勝負したいのであれば、初手左上隅 に打つものいいんじゃないですか。」それを知ってもなお初手を相手の左上隅に打つような相手がいたら…はい。σ(^-^)なら、即投了します。囲碁では対局に勝った勢いで席を立ってガッツポーズを決める、なんてのは棋道に反する行為とされています。ボクシングなどのスポーツとはちょっと違いますね。 囲碁はボクシングのように相手を叩きのめすスポーツとは違い、相手を敬い認める中で勝負を愉しむゲームだと思っています。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 互先では、初手を隅に打つのであれば右上に打つものとされています。だとしたら三子局の石の配置はおかしいのではないか、という疑問が残ります。-第二話- 互先での第一着、初手。 初手は右上隅に打ちます。これは、古くからのしきたりのようなものです。安直に、「右上隅に打つのがマナー」と言ったりもしますが、マナーとはニュアンスが異なりますね。なぜ初手を右上隅に打つようになったのか。正方形の碁盤の性質上、初手はどこに打ったとしても石の価値や意味合いは一緒ですね。なので、天元以外の着打点であれば、右寄り、上寄りに打つのが相手を敬う態度を表す一手とされているのです。右寄り、上寄りに打つのがなぜ相手を敬う態度になるんですか?やっぱ、そこ、気になりますよね。w最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 置き石の初期配置に関し、気になったことがあります。w三子局では黒石を三つ星に配置するのが決まりですね。このとき、自分が黒なら右上隅、左下隅、そして右下隅の星に黒石を配置します。上手(白)からみれば、自分の右下隅が空き隅となっている状態がスタートです。なぜ、左上隅(白の右下隅)を空き隅にするかご存知でしょうか?σ(^-^)、知りません。 噂では、白が一番打ちやすいところを空けておく、ということらしいのですが、もしそれが本当なら、新たな疑問が湧いてくるのです。それは…互先では、初手を隅に打つのであれば右上に打つものとされています。だとしたら三子局の石の配置はおかしいのではないか、という疑問です。んー 考えると、眠れなくなりそうです。 (≧Д≦)最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 「棋歴探訪」というテーマを作ってみました。クマシィ個人の棋歴の振り返りなので、他人が読んだところで楽しかろうハズがないのですが。^^;まぁそれでもどこかに残しておかんと、クマシィ本人がその歴史を忘れてしまいそうなのでな。m(..)m今回は「ふぃご村」について語っておこうと思い立ち、これが最終話です。ふぃご村ではユーザーの棋力指標にレーティングポイントを採用して、公平な棋力での公平な対局を推奨しています。そのあたり、完全自己申告制のボード碁対局場「INGO」とはちょっとポリシーが違うかもしれません。また、ふぃご村では年間を通して7つ(ぐらい;)の棋戦を開催しているため、各棋戦への参加表明をするだけで年間20局ぐらいの対局を楽しむことができます。うまくすれば「第20期名人」とか「第20期棋聖」なんて感じの称号をもらえるかもしれません。なにせ、小さな村の道場ですからね。w ふぃご村は、閉じた空間の中で、うまく魅力的な世界を創り出しているように感じます。クマシィは2012年に「ふぃご村」に入ったので、まもなく丸7年になります。ふぃご村での7年。当初は夢中でガンガン対局しましたが、そのうち飽きてきてポンポン打つようになり、その後は面倒臭くなってバッタリ止まり、最近はフワフワのんびりと打つようにりなりました。 \(^o^)/もう少し頑張ってふぃご村10年生になったら、「ふぃご村名誉三段」を名乗ろうかしら。 σ(^-^);でも、その頃には脳がしおれて初段の維持すらおぼつかないものになっているかも知れません。まぁ、健康でふぃご村でのボード碁を楽しめていられたなら、それが一番かもしれませんね。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 「棋歴探訪」というテーマを作ってみました。クマシィ個人の棋歴の振り返りなので、他人が読んだところで楽しかろうハズがないのですが。^^;まぁそれでもどこかに残しておかんと、クマシィ本人がその歴史を忘れてしまいそうなのでな。m(..)m今回は「ふぃご村」について語っておきたいと思い立ち、これが第2話です。1997年頃、クマシィはNIFTYの囲碁フォーラムに参加して、パソコンで囲碁を楽しむようになりました。当時、なぜNIFTYの囲碁フォーラムに入ることになったか…その記憶がもうありません。 (≧Д≦)特に知人とのコネクションがあって参加したのではないので、どうやって囲碁フォーラムを知ったのだろうと、今では首をかしげるばかりです。wさて、この囲碁フォーラムですが… 2005年にNIFTY囲碁フォーラムの閉鎖が決定します。インターネットの普及によって旧来のパソコン通信サービスは、時代の流れの中で淘汰される運命だったのでしょう。しかし、NIFTY囲碁フォーラムの閉鎖が決まると、これを惜しんだフォーラム仲間が結束し「囲碁を愛する者に無料でボード碁を楽しめる場を作ろう」、という企画が動き出しました。そして2006年2月「ふぃご村囲碁道場」が完成すると、NIFTY囲碁フォーラムユーザーはこぞってそこに移転することになります。まるでノアの方舟ですね。…と、ふぃご村Webサイトから昔の記録を拾い読みしてみると、このような生い立ちを確認することができました。クマシィがこの新生「ふぃご村」を掘り当てたのは、誕生から6年後、自分が囲碁を再開した翌年の2012年のことでした。早速入会してWeb版ボード碁を楽しんでみます。と、…最初は感動しましたぞぃ。「これだけの充実したサービスで完全無料だなんて」と驚きました。 (企業でなく個人のサーバー運営なので、時折サービスダウンがあったり 寄付の声かけをいただいたりもしますが…)ユーザーと、掲示されている対局の多さにも驚きました。^^;中には同時対局数常時30局とか、月間終局数70局をこなすツワモノがおりましたし。「一日中ボード碁やってんすか?」とツッコミたくなりました。w使ってみて、さらに驚きがありました。この「ふぃご村」のボード碁ソフトには、他にない素晴らしい機能が備えてあったのです。それが『予想手の自動応答機能』でした。どういうものかというと…ボードでは一手打って送信したら、次は相手の打った一手を見てからこちらの手を決めて送信…と、これを繰り返すのですが、「ふぃご村」のボード碁では、相手の次の一手を予想して、こちらの次の一手を決めて打っておくこともできるのです。(…ドゥヨゥアンダースタン?)こうして予想手を入れておくと、対局相手が一手打って送信すると、0.5秒でシステムが自分に代わって次の一手を返してくる、というわけです。さらに、予想手は10手先、20手先…何手先まででも登録できるため、序盤の定石場面や終盤のヨセなどはどんどん局面が進んで行くのです。(…ドゥヨゥアンダースタン?)この機能のおかげで、普通のボード碁なら30日かかる対局も20日あれば終わるぐらいのテンポで対局が楽しめるのです。いぁ、これはとっても気持ちいい機能ですな。。。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 「棋歴探訪」というカテゴリを作ってみました。クマシィ個人の棋歴の振り返りなので、他人が読んだところで楽しかろうハズがないのですが。^^;まぁそれでもどこかに残しておかんと、クマシィ本人がその歴史を忘れてしまいそうなのでな。m(..)m今回は「ふぃご村」について語っておきたいと思います。 パソコンの一般家庭への普及。その始まりはwindows95が発表された1995年あたりからでしょうか。それ以前にも「バザールでござーる」というCMでNECのパソコンが「高級なゲーム機」として若者を中心として市場を開拓していた気もします。そして2000年を過ぎてパソコンの利便性の向上と、インターネットと通信事業者の高速通信網の整備、通信料金の引き下げがひと段落したところでパソコン市場は一気に一般家電としての市民権を得て今日に至る…と、足早に説明すればそんなところでしょう。多少の記憶違いは勘弁していただくとして。 wで、クマシィがパソコン通信を始めたのも、1996年頃だったと記憶している。当時PCが活躍したのは、年に一度の年賀状作りだったかな。暇つぶしに遊ぶフリーセルというゲームは、No.10000ぐらいまでは制覇した。(No.1941だけはクリアできなかったはずだ)一時期、会社の仕事を持ち帰って自宅のパソコンで仕事する、なんてこともやっていた。当時は3.5インチのフロッピーディスクがモバイルメモリーだった。インターネットに繋いでネットサーフィンしたりなんてのは、あまり記憶に残っていない。ピンクサイトを閲覧するとウィルスに感染してひどい目に遭うとか、法外な課金請求されるとか言われていた。そもそもISDN前のインターネット接続は静止画を表示するだけで何分もかかっていた。wそんな折、ニフティサーブというパソコン通信サービスに入会し、そこで「ふぃご村」という囲碁フォーラムに参加した。1997,8年頃で、ちょうど職場近くにできた会員制囲碁クラブに入会し、囲碁初段を目指して熱くなったときだった。ここではボード碁やRT碁が行われていたし、掲示板での井戸端会議も盛り上がっていた。度々オフ会も開催されていた。ちなみに、ちょうどこの頃にニフティサーブの通信料金も定額制になって、ネットで打つと一局500円かかる、という滅茶苦茶な時代に終止符が打たれたときだった。wニフティサーブには、2年ぐらい入会していただろうか。生活環境の変化に伴い自分の囲碁熱も冷めてしまい、フォーラムへの足が次第に遠退いていき2000年頃には退会してしまった。懐かしい思い出のひとつである。\(^o^)/それから囲碁を真面目に再開したのが2011年の6月。日記に「今年から囲碁を再開しようと思う」の記録が残っていた。そして囲碁に関する情報を検索する中で探り当てたのが「ふぃご村」だ。2012年の早春のこと。(第2話に続く…)最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 goxiというSNSがあります。昔一世を風靡したSNS、mixiの囲碁版です。SNSがはじけていた(?)頃、goxiも活気にあふれていたようです。2010年頃でしょうか。当時、クマシィはまだgoxiなんて知りませんでした。^^;さて、その後goxiはどうなったでしょうか。まだ生きています。wいろいろな紆余曲折を経て、日々アップされる日記の数も少なくなり、コミュニティもほとんどが冬眠状態になりました。 w併設されていた無料の対局場も閉鎖されてしまいましたが、それでもまだgoxiは生きているみたいです。 フェイスブックやツイッターなどのSNSの台頭によってmixiが衰退して行ったように、旧態然のgoxiもまた過疎化が顕著になって行ったのも、ひとつの時代の流れなのでしょう。そういえば、Amebaグルっぽんは、まだ生きてるんかしらね~。 ^^; クマシィは、自分が昔に書いた日記や対局棋譜をgoxi日記から拾うことができます。いつしか、「当時の自分は下手っぴだったな」と笑える日が来るかもしれません。縁者がクマシィの日記をみつけて、「爺ちゃん碁が好きだったんやね」なんて気づいてくれる日が来るかもしれません。それまで末長く、囲碁SNSgoxiが存続していただけることを願う次第です。SNSとは「インターネット上のサービスで、人や情報との“出会いの場所”」と説明しましたが、クマシィは囲碁SNSgoxiから3つのギフトをいただきました。①まだまだ囲碁愛好者が隠れてるってことを気づかせてくれた。②「囲碁って素晴らしい」と教えてくれ、多くの出会いを運んでくれた。無料でこれだけのギフトを与えてくれたgoxi。クマシィにとってgoxiは、つまりとってもいいヤツ、なんですよ。そして最後に、筆末ながらもうひとつ付け加えておきます。③goxiのおかげで、少しだけ棋力もアップしたんだな。 σ(^-^)最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
クマシィの囲碁ブログを訪問いただき、ありがとうございます。 goxiというSNSがあります。昔一世を風靡したSNS、mixiの囲碁版です。goxiは、それまで囲碁友のいなかったクマシィにいろいろなものをもたらしてくれました。 goxiがくれたもの宝酒造の大会楽しいわよ、と教えてもらいました。 へーぇ。 知らない人とナマで打つのが嫌いだったクマシィが、久しぶりに出てみよう かナと思ったきっかけはgoxiでした。 それで大会嫌いだったクマシィが、大阪まで遊びに行ってきた、なんてこと もありました。ついでに天満橋にある碁会所をサプライズ訪問したりして。日本棋院のジャンボ団体戦に、goxiメンバーとして参加したことも。 毎年15名全員女性のメンバーを揃えて出場する別組「goxi花組」は、この 大会の花形チームで、毎回囲碁フォーカスや週刊碁などのインタビュー を受けるのだそうです。 来年(2月)の大会での活躍やハプニングを、また日記で楽しませていた だきます。wgoxiの無料対局場(「スクエア」)では、500局ぐらいは打ったかな。 みんなで楽しく打ちましょう、というコミュに参加して、リーグ戦やって盛 り上がってた頃、毎夜「スクエア」に入り浸っていました。仲良しになったマイフレさんと1on1で碁会所でオフ会したことも。 若かったな。w 対局前、一緒に評判のご当地ラーメンを食べたのも懐かしい。wあー、ラーメン食べたくなっちゃった。最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。