第22回 投票率72% 第25回 100名追放 | xyavのくしゃくしゃブログ

第22回 投票率72% 第25回 100名追放

 

第25回参院選挙で124議席が決まりました。

 

投票率は48%。


このうち、100名の議員は、追放されます、としたなら・・・

 

 

第22回総選挙は昭和21年4月10日に行われ、投票率は72%でした。


日本は敗戦により昭和27年まで主権を失っていましたので、この選挙は主権のない中で行われました。


主権がありませんから、選挙によって選ばれた人は議員の候補者に過ぎず、身分や議席は保証されていません。


当時、敗戦の日本が連合国に求めたのは、天皇の助命でした。


戦争は、兎に角天皇を守る、と言う目標で行われました。


選挙で日本人が選んだ466名の国会議員のうち、381名はGHQによって追放されました。

 

 

(解散は前年末、追放は1月、よって前回選挙の当選者が追放された)

 

 

主権がない、ことはこのように表れていました。


日本の同盟国だったドイツではすでに軍事裁判が行われ判決によって多くの死刑が執行される中、追放された議員や天皇に対する逮捕、そして東京裁判が危惧され、入れ替えられた新人議員たちは、連合国に反抗することなどできない状況でした。


戦争とは相手国から譲歩を得るために行う軍人同士による交戦であり、その結果、国家間において、条約が結ばれます。


つまり、戦争の結果は、交戦の終結でなく、条約の締結です。


戦争に勝ったのか、負けたのか、で終わりでなく、その結果何を相手からとったか、とられたか、賠償金や、領土の一部、などなどなのでしょう。


どのような条約を結ぶのか、その内容について、相手国から示される条件を飲み、交戦は終結します。


日本は、ポツダム宣言受諾を通告し、ミズーリ号で休戦文書に署名しましたので交戦上の無条件な降伏は軍事的に行われましたが、国家は無条件でなくその文書の内容に同意しました。


攻撃を停止して、休戦し、交渉して、条約を結べば、戦争を含む一連の外交は終わります。


7年後、交渉によりサンフランシスコ条約を締結しましたが、軍人同士の戦闘の停止は、条約締結に至る外交交渉の途中の段階に過ぎません。


466人中、381人の追放を目の当たりにした有権者は、改めて敗戦の意味を思い知らされたのでしょうか、それとも、自分たちで決めるより、戦勝国に決めて貰った方が余程うまくいく、という、敗戦の感じ方、主権喪失に至った自国指導者層の情けなさを思っていたのでしょうか。


それでも中枢にいた人はそれなりに努力し、憲法草案を作成しましたが、これを知った連合国は日本人によって作ることを否定し、スタッフが徹夜で6日間で別のものを作りました。