スィッチ・オフ | xyavのくしゃくしゃブログ

スィッチ・オフ

大坂なおみ選手が全豪の決勝戦で第2セットを奪われたとき、感情のスイッチをオフにして切り替えた、と言うような話がありました。


これを海外のメディアは禅の精神だと言いましたが、スポーツに限らず、外国人はオフでなくてボリュームを最大にするような強い気持ちで臨むという場合が多いように思います。


双葉山が昔、未だ木鶏たりえず、と言ったように、日本には無の境地と言うような感じがあって、この点が日本は海外と大きく違うように思います。


大坂選手はあまり日本語が得意ではないようですが、日本の特性は、ひとつには日本語と言う言語の特徴にその元がありそうです。


「第2セットを取られてしまった」


と言った時、これは単に 「取られた」 と言うのとは少し違って 


「取られたくない自分の気持ちと逆に」


の気持ちを含みます。


「切符を落としてしまった」


と聞けば、それは大変でしたね、と慰めたくなります。


~してしまった、以外にも


「拾ってもらった」  「拾ってくれた」


なら、それは良かったですね、つまり、「嬉しい」 と言う感情が少し含まれます。


~してあげた、の場合なら相手の喜んでもらえることを願って、の気持ちを含む。


このように日本語は言葉に気持ちを含んだ言葉なのですが、驚くべきことに世界でこのような表現ができるのはほぼ日本語以外にはないそうです。


このことは私は非常に重要な意味があると考えますがどうでしょうか。


大坂選手は海外でも多くの人に愛されるキャラクターだと紹介されていますが、その言動には口で言わないけれども思いやりの気持ちを含み、それが自然に伝わっている、そんなことがあるのかなと感じています。