『The World of Mercy』の歌詞解釈と考察感想 | 空白の瞬間

『The World of Mercy』の歌詞解釈と考察感想

DIR EN GREYの約1年半ぶりとなるシングルリリース。
前アルバム『The Insulated World』の締めくくりの位置付けとして
10分22秒の超大作が生み出されました。
個人的にはゆっくり歌詩を読めば然程難しいフレーズはないと思うんですが
感銘を受けたので感想文ついでにMVの考察を含めた解釈を書いてみようと思います。




●タイトルの意味

Marcy=慈悲(じひ)

慈悲とは仏教用語で苦を取り除き楽を与えること。
苦しんでいる人に救いを与え、心穏やかに幸せにしてくれる
…というのが本来の意味です。

京くんの左手の指に「SAVE」(=救い)というタトゥーが刻まれたことからも
苦しむファン(フォロワーズ=信者)に救いを与えてくれるのだなと
心温まるようなものを想像していた私が間違いでした(笑)。
まさかの逆。慈悲全否定。

ここで言う「苦」は孤独で「楽」は馴れ合いだと思います。

歌詩を読んで度肝を抜かれましたね。
そうきたか!って衝撃を感じると共に深い納得があって
結果的に「これだから好き」って信仰心が高まりました。

詩の考察後に訳すタイトルの意味は「生きづらい世界」というニュアンスかなと。
だけどそこで生きろ、世界に殺されるなっていう力強いメッセージを感じました。



●歌詩の概要

ひとりぼっちになることを恐れて「仲間に入れて」って皆に馴染もうとすれば
手を取り合う仲良しの世界に入ることが出来る。
ただしそれは「仲間として認めて貰う」ために空気を読み同化することが必須。
その場の暗黙のルールを強要され、背けば集団リンチが待っている。
すると気付くのだ。無理をしていることに。
嫌われないように振りまく笑顔に心が伴ってない。
それでは体は生きていても心が死んでいるのだ。
無理だと感じたなら、それは生き方を変える時だ。
無様でもいい。誰の顔色を伺うことなく、お前らしさを追求して生きろ。
仲良しごっこを美学とするこの世界で。



●部分的に詳細解説

「The world of Mercy Hypocrisy」

=慈悲の世界は偽善だ
細かい歌詞考察に悩む人でもこの1フレーズだけで方向性は把握出来るやつ。

特設サイトに掲載された関係者レビューでは増田勇一さんが唯一これに触れてましたね。

「手を差し伸べてくる慈悲深さや寛容さが、見せ掛けだけの罠だったとしたら…」
ただ英語だとどうしても調べるという1クッションが必要なので
案外浸透しないんだろうなぁという気も。わざとでしょうかね。


「血を流せお前は生きてる」

キャッチフレーズにもされている終盤の歌詩。
血が出るって痛みを伴うことで、これは「苦」にあたります。
それを自ら追及していけと言うメッセージ。
孤独がなんだ、自分らしく生きる為には厭わないくらいでいろと。
タイトルの慈悲に対して真逆のフレーズなんですね。
苦しめ、生きているとはそういうことだ。
つまり京くんの言う「慈悲」は苦しまない代わりに自分を殺しているという概念。


「まだ見ぬ世界で腐ろう」

腐る=死
自分らしさを殺して人に合わせ、さもそれが自分の本音のように振舞う。
MVの仮面が口が笑っていてのっぺらぼうなのも
「笑顔で仲良くしている関係が成り立っているが個性はそこにない」
という表現なんだと思います。
現代の日常会話に言い換えるなら「ずっと仲良しでいようね」とか
親が子に言う「人に迷惑をかけず協調性のある良い子に育ちなさい」とか。
一見それはポジティブで正しい未来の提示なのに、京くんはそれを腐ることと捉えているようです。



ジャケットの絵柄がこのフレーズを表現してるんじゃないかなと思ったり。
皆で手を繋いで上を見ている構図ってまさに仲良しの状態で「先」を見ている。
背景の宇宙は未知の象徴で
足元がどこかの荒れた星なのは暮らしやすい土地ではないことを表現してるのかなとか。

また、ムー的なUFOを呼び出す儀式も思わせていて
「どこか遠いところにいる誰か」にテレパシーを送っているようにも見えます。
私にはそれが「この世界で生きるのが辛い。助けて」と求めているような気がしました。



また、ライヴでスポットがあたるステージのよくある三角形ではありますが
『VINUSHKA』の「此処が真実だ」のシーンと似てるなぁという感想。
私は上記の「此処」を救いのない絶望的な世界と解釈しているので
そのニュアンスであてはめてもしっくりきます。


「交わる程 虚しさは 私を気付かせてくれる」

何に気付くかって言ったら「私」です。
私は本当はこうしたい、本当はこういうのは嫌だっていう本音。
例えば牡蠣が苦手なのに皆でオイスターバーに行こうって盛り上がり出したら
「私は行きたくないな」って自分の意思を明確に実感しますよね。
それでも仲間でいる為には笑顔で同調してついていかなければいけない。
マウント取りたがりなムードメーカーに歯向かったら反感買って仲間はずれになるから。
そうまでして「仲間」に縋ることに虚しさを感じ始めるのです。

MVではこの例えがイジメで表現されました。

(あくまでもイメージ映像であって歌詞と完全一致するものではないと思っていますが)
究極の「同化(一緒になってイジメを)するのに抵抗がある空気」です。
MVでは2件のイジメが描かれていて、主人公の男子よりもう1人の女子が限界のよう。

心苦しく思いながら助けようとせず見て見ぬふりをすることは自分の意に反しています。

(VINUSHKAでも助けてくれそうでくれない存在が1番傷つけるのだと歌ってましたね)


「ピエロは踊り狂い咲かせた それはそれはとても綺麗な華」

ピエロは見る人を楽しませる道化師。
元々は階級が低く、貴族の家の奴隷の一種で
身分の高い者の「お前なんか面白いことやって見せろよ」が発端。
ピエロのメイクは笑顔と涙が描かれていて
心の伴わない余興の演技の代名詞でもあります。
そうやって自分の本音を閉じ込めていた結果、赫い華を咲かせてしまったんですね。
赫=血液の色、つまり誰かの死を意味します。

MVでは元々いじめられていた女生徒が屋上から飛び降りました。
助けたかったのに、その気持ちを恐怖や諦めで抑え付けて知らんぷりした結果

一人の命が失われてしまったんですね。

もし救いたい旨を伝えていたら…もし勇気を出していじめっこに逆らっていたら…

それは失われることのなかった命かもしれません。


「命を描いた遊戯 遊戯」

命はとても重いもの。遊戯は手軽なもの。
本来セットになる筈のないこの2つが同化してしまう狂った惨状。
「いじめられて自殺した人の命なんていじめっこには所詮おもちゃでしかなかった」

みたいな感じでしょうか。

遊戯…遊戯…と繰り返す浮遊感あるこのフレーズは「そうだよね、分かってたけど…」と

悲しみを感じながら痛感しているようなイメージ。


「モザイクかけられた世界」「そうだ 見て見ぬ振り」

モザイクは映像作品やメディアレポートの一部を隠し
汚物や死体や性的な「直視するのは生々しいもの」を排除する措置。
本当は汚くてグロテスクだけど、モザイクをかけることによって緩和され
美しく穏やかなものだけを見ることが出来るというものです。
DIRの映像作品もしょっちゅう規制がかかっていることから
表現したい真実はそのモザイクの奥であることは暗に伝わってきます。
「此処が真実だ」「目を背けるな」と歌ってきたバンドですから
当然上辺の美しさを批判する価値観を提示しています。

 

いじめがあることを把握していて、彼女が助けを求めていることも分かっていた。

でもそれを見て見ぬ振りをした。

見たくないものに自らモザイクをかけてしまったということです。

あとは個人情報を隠す為に顔を隠すのにも使いますね。
匿名性って悪いことをしてもバレづらい安心感から
罪悪感が薄れたり、自分の意思ではないような自己暗示をかけやすい。

そんな「見て見ぬ振り」の世界で、自分の存在だけ例外になる筈がないのです。
綺麗な上辺だけを好む世界で口角を上げることを怠ったら
自分にもモザイクがかけられてしまう。
結婚時に「健やかなる時も病める時も相手を愛する」という誓いを立てますが
健やかなる時は仲良くしてくれるけど、病める時は手を切られる…そんな世界だと感じます。


「情に絡み付いた手を振り解き踏みつけて濁る」

そうは言っても現状維持の努力をすれば一見平和な生活を送れるわけで
それを全て振り切って悪意を背負い孤独になる決断は覚悟がいるものです。
でもこの曲の主人公は頑張って一歩踏み出しました。

その結果に濁ったものとは何でしょうか。
曲の冒頭に「交わる今溶け合いながら瞳の奥が白く濁る」とあり対となるフレーズ。

そこは「のっぺらぼうに同化して自分の目で世界を見ようとしなくなった」ということかと。

周囲の空気に流されて自分を失っていくというニュアンスですね。

 

 

濁るとは、何かが混ざって透明ではなくなることを言います。
今までの自分を無色透明の空気のような存在だとしたら
やっと自分色が混ざり始めた、という解釈も出来ます。

歌詞にはありませんが、MVには「透明の私」というヒントも出てますね。

ちなみにハエトリグサは「閉じ込めて溶かす」ことの比喩だと思います。


「無様でも良い 血を流せ お前は生きてる お前の自由を探せ」

ひとりぼっちということは誰の共感もサポートも得られないということ。
自己肯定感を強く持たないと自我を保つのは難しいものです。
周囲は仲良くわいわいつるんでいる中、疎外感や孤独感を惨めに思うこともあるでしょう。
でもそれで良いんだよって。
自分を誤魔化さず、自分の心を解放して自由を探せと。
例え悲しくなっても、それが生きているということ。
…っていうとドM心の追及を強要されているようなフレーズになりますが
探した先にある自由にこそ価値があるから頑張るんだよって背中を押してくれてるんだと思います。

私が思うにこの「自由の追求」って全員には吉と出るものではなくて
八方美人でいることにストレスを感じない世渡り上手な人もきっと存在するんですよ。
あとバランスよく効率よく自分を出して周囲に快く受け止めさせるのが上手な人も。

でもターゲットはそれが苦手な「絶縁体」なのです。
自我があるのにモザイクをかけて押し殺して強いストレスを実感した人に対して
「時が来た」って示してるんですね。
その為に京くんはこのツアーで全部ぶつけてこいと

改めて受け止める姿勢を提示しているように思います。



●MVのその他のシーン

MVはフル尺で公開されていないのでこの先予想を裏切る展開があるかもしれませんが

「時が来た」男子生徒は『人間を被る』に出てくる「刃渡り30cm」を手にしたんだろうなぁと。

生徒たちを惨殺するむごい展開となっていますが

『Revelation of mankind』のMVのように妄想オチという可能性もある気がします。

ただ、勇気を出して心のままに動いたことだけは事実としてあって。

 

『人間を被る』のMVにはこのくらいのサイズの刃物は出てきませんが

切り裂かれたのはメンバーの顔とテーブルの"食材"でしたね。

そして顔の中からは黒い妖怪のようなものが出てくる。

自分の皮を剥ぐ為の刃物であって、殺人を犯す為の凶器ではないような気がします。

食材の切断がこっちに近い気がしますが虐殺が目的ではないというのが現段階の想像。

 

 

血まみれになった生徒たちが透明のドームに閉じ込められる結末は

『人間を被る』のMVの食卓と同じものです。

晩餐会の料理蓋のドームカバーとして使われていたのかなと思ってますが

それと同じであれば生徒たちも「味わって」食されるわけですよね。

その生き方をじっくり見つめ直すとか

どんな成分(経験)で成り立っているかとか第三者が見るってことなのかなー。

 

 

あと机に書かれたらくがきを指でなぞるシーンは個人的に震えました。

投げつけられた暴言を噛み締めてしまう描写。

攻撃を腹立たしく思い、不当であると跳ね返せる強さがもうない状態です。

こうなると自己暗示で底なしに自己評価を下げて行ってしまうパターンですね。

 

 

 

 

●感想

 

私は思いっきり絶縁体なタイプなので、京くんのお導きが本当にありがたくて
『人間を被る』から『The Insulated World』を含めて
京くんのその思想の提示のおかげで救われた実感が強くありました。
元々京くんの書く歌詩は心の闇をそのままぶちまけたリアルであって
強引な励ましや強引なハッピーエンドが一切ない。
だからこそ日々悩み苦しむ人に寄り添うような「差し伸べる手の優しさ」があって
他人事じゃないからこその感情の重みや深さに惹かれます。
時にその苦悩の種は私たち虜が撒き、愛されているようで憎まれもしますが
私はただ京くんの心理に共感するばかりで絶対的な包容力なんてなくていいと思っています。
だけど感銘を受けたこと、救われた感謝、膨らむ憧れを全身全霊で届けたい。