コーイチがタクを支えながらそこに着いた時、ほぼ同時に、他の部隊も到着した。第2部隊、第3部隊それぞれの様子を見て、思わず「状況は…?」と聞いてしまった。
 大丈夫、あっちにいるから。
 そんな言葉を、聞きたかったのかもしれない。けれど現実は、「聞くな!」というユーキの声が返ってきただけだった。
「見りゃ分かんだろ…」
「…ごめん…」
 それは、つまり。

 13班は疲労困憊の中、なんとかその場所に身を落ち着けた。あれだけ賑やかだった仲間たちの、口数が少ない。
「状況は?」
 リュウが、先ほどから無線を弄っているハヤトに声をかける。振り返ったハヤトからは、表情がなくなっていた。
「敵の部隊が一気に攻めこんできて、こちらの防衛戦は既に突破されています」
「じゃあ、向こうに逃げろってことか!」
「後方も!既に別の部隊が制圧しています。…今聞いているのは、敵の無線なんです…」
 ハヤトは、明日の朝には敵が一気に攻めこんでくると言った。つまり、
「つまり…」
「絶望的、です…」
 前も後ろも敵に制圧され、電波もとられて味方の部隊がどこにいるのかも分からない。もしかしたら―――そんなこと考えたくもないが―――全滅させられているのかもしれない。
「きっと応援が来てくれますよ!」
「明日の朝までに間に合えば、だけどね」
 必死に希望を繋ごうと言い募るアキラにも、ハヤトは冷たく言い放った。おそらく彼自身が誰よりも、絶望しているのだろう。
「そんな…なんともならねぇのかよ!」
 リュウの悲痛な叫びが、仲間の中に響く。しかし、誰も答えられる者はいなかった。

「…僕のせいだ…僕の…」

 その時コーイチはふと、シンジなら何か、と期待をしてしまった。シンジは13班における、いわゆる参謀的存在だ。
 そう思って視線を転じた先にいたシンジは、目が血走り一人で何かを呟いていて、もはや、いつもの彼ではなかった。

 シンジ…?

「僕のせいだ…。僕のせいであいつは…」
「おい、止めろ!仕方なかったんだ!」
「仕方なくなんてない!」
 事情を知っているらしいユーキが宥めようとするが、それは火に油を注いだだけだった。
「あいつは、あいつはいつも、俺の側にいてくれた。俺を応援してくれた。親友だったんだ!」
 …。
 …サトルだ…。
 コーイチだってもちろん、サトルがいないことには気付いていた。だってサトルは13班の仲間でもあり、義経伝の仲間だからだ。
 だからこそ、そこに触れるのが怖かった。だがサトルの最期は、自分が思っている以上に、あの繊細な医者のたまごを傷付けたらしかった。
「おい、どこに行く気だよ!」
「決まってんだろ!あいつの敵討ちだよ!」
「止めろ!そんなことあいつは望んじゃいねえよ!」
 外に飛び出そうとするシンジを、ユーキが掴む。彼の言う通り、サトルがシンジにそんなこと、望むはずがない。
「お前にできんのか!人殺しなんか、お前にできんのかよ!」
「やってやるよ!」
「できねえよ!お前にはできねえ!」
 シンジとユーキがぶつかる。
 それはいつもの光景でありながら、いつもよりずっと痛くて、冷たくて、辛かった。

「なんだよお前、口ばっかりか!」
 そのうち、シンジがユーキを煽り始めた。先ほど敵討ちに行くと言った、その鬱憤をそのままぶつけているようだった。
「うるせえ!やってやるよ!」
「来いよ!」
「おい、止めろよ」
 リュウが止めに入るが、二人は聞かない。しかしユーキが腕を負傷しているからか、どちらも言葉だけの応酬だった。
「来いよ!」
「行ってやるよ!」

「止めて下さいよ!」

 その時二人を止めに入ったのは、一番弱虫で、いつも喧嘩の巻き添えをくらっては最初に倒されているアキラだった。
 アキラはその手に、小型の拳銃を構えていた。
「僕だって怖いんだ!泣きたいんだ!それなのに、なんでそんなことやってんだよ!」
 ほとんど泣きわめくように、アキラが叫ぶ。しかし、それにさえ二人が怯む様子はなかった。
「なんだ、お前。それで俺たちを撃つつもりか」
「っ、」
「いいぜ、やれよ。来いよ!」
 ユーキの挑発に、アキラが怯む。更にそのユーキをシンジがまた挑発し、リュウやアキラが声を荒らげ止めようとした。

「来いよ!」
「行ってやるよ!」
「止めろって!」
「止めて下さいよ!」

「止めろ!」

 その時、13班の仲間たちは初めて彼が、コーイチが、声を荒らげるのを聞いた。深い悲しみに沈んだままのタクでさえ顔を上げるほど、それは驚きのことだ。
 アキラやリュウはもちろん、シンジ、ユーキでさえ言葉を飲んで、コーイチを見る。コーイチは悲痛な表情で顔を上げると、すう、と息を吸い込んだ。

「争いは、憎しみしか生みません」

「え?」

「争いは…!憎しみしか生みません…!」

 突然のその言葉に、全員が固まる。最初に気付いたのは、ジンだった。
「台詞だ…」
「何?」
「義経伝の台詞ッス…」
 まさにそれは、義経伝の舞台台詞。
 五条大橋で弁慶と出会った義経が、彼に向けて言った言葉だった。
 ハヤトが、でもなんで今、と戸惑いの声を上げる。その声に、今度はリュウが、コーイチのその気持ちを汲み取った。

「この弁慶に説教か!笑わせるな!」

 リュウが舞台上の顔をして、コーイチを正面に見据える。今ここは、義経伝のステージになっていた。

「誰かが死ねば、その何倍もの人が悲しむ。でも誰かが生きれば、その何倍もの人が幸せになれるんです」

「なあ、もう止めろよ…。簡単に殺すとか言うなよ…」
 コーイチの声が震えている。ぽろりと落ちた涙は、そのまま地面に落ちて弾けた。
「誰かが死ぬのは、もう嫌なんだよ!」
 数時間前、レンが死んで、幼馴染は悲しみの底に沈んだ。
 直接は見ていないが、タカヒトも、フトシもきっと…そして、サトルも。
 昨日まで一緒に笑っていた仲間たちが、今はもういないのだ。
 そして…
 そして。

「俺さ、去年の夏、妹が死んだんだ」
 コーイチは、ぽつりぽつりと話し始めた。
 あれはまだ、平和だった頃の話。けれどあの日からずっと、“死”は、彼のすぐ隣にあった。
「名前はミサト。ひとつ違いの妹だった。シスコンって言われると恥ずかしいんだけど、すげえ仲良くてさ。義経伝も、インディーズの頃から応援してくれてた」
 お兄ちゃん、お兄ちゃんと笑顔で話しかけてくるミサトが、コーイチには可愛くて仕方なかった。ミサトの結婚式はきっと、お父さんよりコーイチの方がぼろ泣きね、なんて、母によくからかわれていた。
「ミサトは植物が好きで、その研究をしたくて、大学に進んだ」
「じゃあ、コーイチが花に詳しいのって、」
 いつだったか、リュウが練習の合間に聞いたこと。あの時そういえば、彼は明確な答えはせず、どこか寂しげに笑っていた。
「うん、全部、ミサトの受け売り」
 だとしたらミサトは本当に花が好きな女の子で、兄妹は、本当に仲が良かったのだろう。コーイチの知識は、ちょっとした雑学を越えていた。

「あいつは必死に勉強して勉強して、やっと研究チームに入れてもらえたんだ!喜んでたなぁ。これで好きなこと続けられるんだって!」
 美里が研究していたのは、植物が育たない劣悪な環境でも育つ、強い植物を生み出す研究だ。それが実現すれば、世界中の飢えた人たちを救えるかもしれない、そんな、立派な研究だった。

「…でも、交通事故で亡くなった」

 あの日のことを、コーイチは今でも覚えている。さっきレンにすがるタクを強引に引き立たせられなかったのも、そのためだ。いつかの自分がフラッシュバックして、タクに重なった。
「その時は悲しくて悲しくて、もう音楽なんて止めようって思った!」
 歌えない。
 こんな気持ちで歌えない。踊ることなんて出来ない。
 もう一歩も動けないと、本気で思った。
 でも、
「…でも。メジャーデビューすること。大きなホールで歌うこと!…全部、ミサトとの約束だったから。だから悲しい気持ち必死で殺して、歌い続けた」
 妹が遺してくれたもの。
 それは、温かい約束だった。
 ちょっと生意気な顔して笑いながら、「約束だからね、お兄ちゃん」と言ったミサトの声が、いつも背中を押してくれていた。
「訓練所でもこっちに来てからも、絶対帰って仲間と夢叶えるんだって!そう思って、踏ん張ってきたんだ…」
 そうだ。
 自分は、なんとしてでも日本に帰らなければならない。
 日本に帰って、夢を叶えて、ミサトに報告をしてやりたいんだ。
 でも。
「でもさ、俺たちに、人が殺せんのかな…」
 人なんて、当然今まで殺したことはない。
 殺人はどんなことよりも悪なのだと、どんな理由があってもやっちゃいけないことだと、教わってきたはずだった。
「自分が生き残るために誰かを殺さなくちゃいけないとしたら、俺はどうするんだろう。誰かを生かすために誰かを犠牲にしなくちゃいけないんだとしたら、俺たちは、どうすればいいのかな…」

 そうしなくちゃ生き残れないのは、分かってんだけどさ!

 コーイチの悲痛な叫びがこだまする。分かってる。これは仕方ないことだ。
 いや、仕方ないって、なんなんだ?
 その答えは、出ないままだった。

「もうひとつ、ミサトと約束したことがあるんだ。あいつにもらった、コスモスの種」
「それは…」
 コーイチが、首に下げたお守りを手にする。いつも肌身離さず持っていたそれは、仲間たちもコーイチにあるべきものとして、認識していた。
「あいつは最初の研究を、自分が一番好きな花に選んだ。どんな荒れた大地にも咲く、コスモスの花」
 ハヤトが、すげぇと小さく呟く。荒れた大地に花が咲くなんて、普通に考えれば到底不可能だ。
「もしお兄ちゃんが歌で世界中を回れるようになって、どこかで悲しんでいる人を見かけたら、この種をあげてねって。いつか花が咲いた時、少しだけだけど、幸せな気持ちになれるかもしれないからって」
 あの約束から、コーイチにはまた、大きな夢ができた。
 メジャーデビューをして、大きなホールで歌って、それから。
 それからいつか、歌で世界を回りたい。世界を回って、少しでも、幸せを分けていこうと思った。
 自分が花に、ミサトに、こんなにも幸せにしてもらえたように。

「お前…そんなこと考えてたのか…」
 いつの間にか、タクが立ちあがり、みんなの輪の中に戻って来ていた。コーイチは涙が滲んだ目で、タクに優しく笑って見せた。

「俺は、みんなと帰りたい」
「俺も」
「俺も」
 それぞれが、帰りたいと口にする。
 日本に帰る。
 帰って今度こそ、夢を叶えるのだと。

「次会う時は、大阪城ホールな」
 コーイチの言葉に、タクが笑う。リュウやアキラも、笑顔で頷いた。
 きっとどこかで、サトルも笑顔で頷いてくれたはずだ。

「次会う時は、お前らの病気治してやる」
 立派な医者になる。
 それはシンジの夢であり、今は、サトルとの約束でもあるのだ。

「次会う時は、日本一のユーチューバーになってるッス!」
 泣き笑いのジンが、カメラを取り出す。砂ぼこりがついたカメラを、大事そうに抱えた。

「次会う時は、プロゲーマーですかね」
 照れたように言うケータが、もしかしたら一番早く夢を叶えるかもしれないなとコーイチは思った。

「次会う時は、立派なヤンキーになってるからよ」
 こちらも照れたように言うユーキに、うんと頷く。もう彼にとって臆病者は、禁句じゃないかもしれない。

「次会う時も…多分、普通です」
 誰よりも普通なハヤト。
 けれどきっと普通でいることも、難しいはずだ。
 普通は秀でていないのではなく、堕ちたり劣ったりしていないということなのだから。

「よし決めた!この廃墟に種を撒く!」
 コーイチはそう言って、お守りを掲げた。
「いつか戦争が終わった時、この辺一帯は、花畑になるんだ」
 それは、まるで霞んだ夢のようだった。今は砂と埃しかない、血や火薬の臭いが漂うここが、花畑になるなんて。
 でも、コーイチなら叶う。きっと叶えてくれる。
 そんなことを思わせる、優しい笑顔だった。

 ジンが回すカメラに、みんなで笑って見せる。いつか再会したその日、この映像を見てみんなで笑い合おう。そんな、気持ちを込めて。

 穴を掘り種を撒くコーイチを、みんなで見守る。
 荒れた大地にでも咲くコスモスの花。
 その花が、もうそこに見えるような気がした。
「へへ…」
 しっかりと地面を固め、花に思いを寄せながらコーイチが仲間の方に振り返った、



 その時だった。



 一発の銃声が響き、仲間たちの目の前で、コーイチの身体が一瞬固まる。
 彼は何か信じられないものを見たような目で仲間たちを見て、ふらふらと一歩、二歩と歩き、

「コーイチ!」

 仲間たちの目の前で、地面に、今彼が植えたコスモスの上に、倒れ込んでいった。






 戦争は間もなく終結の時を迎えた。
 各地に散らばっていた日本兵たちも、帰還の途につくことができた。
 日本はまた、平和な時間を刻み始めている。
 けれどそれは、数えきれないほどの犠牲と、悲しみと、葛藤の上に立っていた。

『次のニュースです。戦火にみまわれた…で、廃墟に花畑が現れたと、現地で話題になっています。花はまるで、犠牲になった兵士たちを弔うように…』




end.