ブログを書くことから離れてました。




何してたかって、コツコツ自分と向き合って、お母さんして、妻をして、日常を淡々と生きていました。
インスタはぼちぼちやってたけど、写真メインな感じになるから、書いてたって感じではなかったな。




どうしても外向きになって他人からの評価を気にするのが嫌だなと思った。
もっと自分に夢中になりたい。
そんな風に思って、自分を観察していたら半年経った感じ。





自分の取説が欲しい。どうしたら自分が安心して生きていけるのか、内側を整えたいって思った。ここ数年ずーっと。





今、やっと安心して身を委ねることができるようになってきた。





いろんな人が生き方、考え方、はたまた現実創造の仕方などを表現している中で、自分のやり方、考え方がぴったりくる人がいないことに気づいて、あ〜自分の取説は自分しかわかんないなんて当たり前のことを他人に委ねようとしてたなんて、怠惰でしかないなって思った。





それから、他人に憧れて自己否定に入るループから、他人が見せてくれるものは私にとって一つのデータでしかないと思う習慣をつけた。(すぐ忘れちゃうけど、思い出せばいい)





そして、自己否定した時、嫌な気分になった時、それを感じた自分に蓋をせず、その時感じる体の感覚を観察するようにした。
今までもやってたけど、もっと細かく気づくようになった。
これが結構大きかった。





どんな私も受け入れるといっても、結構なかったことにしてたことに気づいたし、逃げたくなるような体感覚を何度も感じることで、目の前の嫌だと思うことに反応している自分の体の感覚もあれば、突然嫌な感覚が湧いてくるってこともあるって体で理解した。





今まで、自分の心があまりにも乖離していることが嫌だったけど、それが私にとっての普通のことだったとやっと腑に落ちたら、自分のすべてを許せる気がした。





そして、嫌な気分になったら、その時の体の感覚を見守る。それだけのことが、私にすっごく大きな安心をもたらした。





私はここにいていい。





私はここにいるだけでいい。






私はここに逃げていい。





私の取説。





時折よぎる不安や恐怖は、今に逃げることで、私自身を許し、私を心地よくしていく。





そんなことをしていたら、いつもの日常の一コマが愛おしくて愛おしくて涙が滲むことが増えた。





欲しかったのはこれ。





心の余裕と豊かさ、思い切り感じられる体と心。







寒いのは嫌いだけど、霧の日が多くて幻想的だからよし(エラソー 笑)