用の美という言葉があります。
歴史を遡ること1926(大正15)年にはじまった「民藝運動」から生まれた言葉です。
... 作り手の魂(仏)が宿る・・・
そんな例えが正しいかどうかはわかりませんが、
職人たちが本当に使いやすいものを求めて無心に努力を重ねた結果、
そのかたちには美しさが宿るという考え方です。
人間の身体も全く同じです。
美しさは、とってつけられるものではなく、
身体の流れ、臓器、血液、筋肉、骨、リンパ、体液、ホルモン、神経・・・
すべての機能を上げた結果、その人の一番美しい形へと自然と整うものだからです。
闇雲に美容を追いかけることではありませんし、
私か大切にしたいことは、老いに対して抗うことではありません。
その人本来の自然の在り方をいつまでも追求していくこと。
身体の流れを整えていく先に、
「美しさ」が勝手についてきます。
健康を突き詰めていくさきにある、美しさです。
グラフィックデザインの仕事をしていました。
今とは全く違う仕事だと思う人もいるでしょうが、
デザインとは、審美性を根源にもつ計画的行為の全般を指すもの。
そもそも美しさをつくっていくことです、、
その上で、人間の身体を整えることは、
究極の美しさの創造、
デザインだと思うのです。
そのために、人体の仕組みから根本を把握して機能を上げる必要があります。
医者よりもはるかに人体のことを俯瞰的に理解していなければ、美しさはつくれないと思っているのです。
シンプルに流れを整えること。
実はそれか一番大切で、すべてに通じる方法です。
八尋 真理子