いつも拙いブログをお読みいただき
ありがとうございます。
そして
初めてお読みいただく方
こんにちは、せみまめです。
プロフィールにも掲載しておりますが
私は2人の発達障害の子をもつ
40代のシングルマザーです。

今回は私の身内について
お話ししたいと思います。





以前、こちらの記事で

叔父について書かせていただきましたが

先日、永眠しました。

享年75歳でした。




叔父の重篤の知らせから

約2週間後の出来事でした。


確か、お昼前…

10時半くらいだったと思います。

従姉妹から連絡があり、

今から病院に来れないか?と聞かれました。

どうやら容態が悪化し、

とうとう意識が無くなったそうです。

私は次男を連れ、病院へ行きました。

到着するとそこには

連絡をくれた従姉妹とその子ども達、

そして叔母と…絶縁中の母が来ていました。


まず私は真っ先に

叔父の病室へ向かいました。

コロナ感染予防対策として

面会は2人ずつしか行えない為、

(子どもは面会不可)

私は従姉妹と共に病室へ入りました。

そこにはぐっすり眠った叔父が

酸素マスクをつけた状態で

横になっていました。

幸い自発呼吸があり

心拍も落ち着いていましたが

脈拍低下で

身体がすでに冷たくなっていました。

当然、声をかけても反応は無く、

とにかく深い眠りについていました。

よく見ると

まぶたが接着剤でくっついたように

ぺったりしていたので、

あぁ…これはもう開くことはないなと

確信しました。




しばらくして看護師の方が

「先生からお話があるので待ってて欲しい」

と言われましたが

30分待っても来られないので

(子ども達に食事させないといけませんので)

何かあれば叔母に連絡をもらうよう伝え、

皆で食事に出掛けました。

叔母からこの機に

母と和解しなさいと言われましたが

私的には無理矢理和解とかはせず、

「自然の流れで話せれば良い」と

叔母に伝えました。


それから1時間半後くらいでしょうか?

病院近くのファミレスで昼食を終え、

お店を出ようとすると

叔母の携帯に着信が…

病院からでした。

叔父の呼吸が減り

危篤状態になったそうです。

ただ、長男が

学校から帰る時間が迫ってきたので

私と母は一緒に帰宅することに。

どのみち病室へは2名しか入れないので

叔母と従姉妹に看取りを任せました。


ちなみに母とは食事中、普通に会話をし

帰りのタクシーの中で

これまでの事について謝ってきたので

私はそれを受け止めました。

そして子ども達に

誕生日プレゼントを買ってあげたいと

言ってきたので

一緒にショッピングモールへ行く

約束をしました。


正直、母は

どう感じているのかは分かりませんが

私の中では母とは常に距離を置きたいので

今後、馴れ合うことはしないでしょう。

そうしないと

また同じ事の繰り返しになります。

今は久しぶりの再会という事もあり

穏やかですが慣れてくるとまた…

実際、今までもそうでしたので

今後は距離を置いた付き合いを

していこうかなと思います。




帰宅してからおよそ30分後、

母から電話があり叔父が亡くなったと

従姉妹から連絡があったそうです。

それ以降は通夜→葬儀→火葬と

滞りなく終え、

無事に叔父を送り出すことが出来ました。






葬儀の翌日は

長男の誕生日、そしてクリスマスと

慌ただしい毎日でした。

本当はまだご紹介したいアイテムが

たくさんありますが

年末年始はゆっくり過ごしたいので

今回の記事で

今年最後の更新とさせていただきます。

また落ち着きましたら

いつものファッションブログを

書きたいと思いますので

次回の更新まで

お待ちいただけたら嬉しいです。






長くなりましたが

ここまでお読みいただき

ありがとうございました。

来年もどうぞ宜しくお願いします。




せみまめ。