元夫との結婚生活で受けた傷は後まで続きました。今の夫は真逆の人だから惹かれたのもあると思います。
本当に愛する人ができれば、再婚すれば、元夫のことを忘れられる。そう思っていたのもあります。
今の夫と出会い結婚し、本当に一時忘れていたのです。
思い出すのも滅多にありませんでした。再婚の連絡後しばらく何もなかったのに、生活支援の連絡があったり、当時を知っている人からの連絡で思い出すことがありました。
そして、今の夫と離婚を具体的に考えるようになり、あの虚しい結婚生活が頭に浮かぶようになりました。
理由は違っても、なんとしても離婚しようと思うのが同じだからです。あの頃と違うのは、愛して結婚したこと、子供がいること。気持ちのどこかで離婚したくない私がいること。
元夫のことを詳しく話さず、離婚したことを告げた時の周囲の反応。
離婚さえすれば元夫に関わらなくていいと思ったのに、しばらく連絡が続いたこと。
元夫のその頃の気持ちなど私にはわかりません。連絡があるたび、本音はもうやめてというものでした。
何をしたかわかっていない、だから後になっても私を利用したり、頼ろうとしたり。
私はそんな元夫に憎悪しか持っていません。
今の夫と別れた時、同じ想いにはなりません。でも憎しみは持ってしまうでしょう。
仲良く夫婦でいられるなら離婚にならないのに、そうできない理由を作ったのは夫なのです。
私が今の夫のモラハラに耐えてしまうのも、元夫がそれを悪意なくしていたこと、障害を障害とお互い思っていない、働くことに支障があるとわかっていて離婚を強行した負い目もあります。モラハラだけなら耐えたのではないのかと思って、今の夫のモラハラに耐えてしまうのです。
それは愛情ではなくて、私の生き方の問題です。親からきょうだいのために犠牲になることは大事なことだと言い聞かされ、自分の我を貫くことは強情でしかないと育てられました。親の世代はそれが普通で、親たちも祖父祖母、兄弟のためにも尽くしていました。
私の中で分離する自分がいます。他の人のように我を尽くして何が悪いと思う気持ち、そうして自分のことばかり言う人を嫌う気持ち。
夫の前では結局都合のいいようにしてしまう情けない私。
だからこそ、これだけは許さないと決めたあのことは許さないのです。
離婚を前に子供たちの不安、揺れが見て取れた、明確なものが出ないので、弁護士も今の状態では勝てない、協議しかないと言います。
私は夫と話し合いで勝てる気がしません。もともと離婚事由が違います。情けない先の結婚に対して、見下しているかもしれません。そういう女だから言いなりになると思われているかもしれません。
子供がいなかったら、慰謝料や財産分与なしの離婚をしています。他の人も子供のためと離婚を諦めますが、私のとは少し違います。
自分で意思を持たない、障害のあるきょうだいを思うと、もし親が別の考えなら、私も犠牲にならず、きょうだいは別の人生を生きられたと思うのです。
離婚したら子供が可哀想とも思っていません。いろんな子供がいて、親から逃げたくてという子供が日本には多くいます。
でもうちの子は両親を慕って、結婚に夢を見ています。本当のことをすべて知るには早い、今現在何かがあって早く離婚する必要があるわけではない。
子供ももう少し成長すれば、男女の恋愛、結婚、離婚を現実としてわかる時が来ます。
私の元夫への恐怖は、同年代女性でも理解されません。害を与えるわけではないのに、私にだけ何をしてもらってもいい、もっと尽くすべきだ、その考えを押し付けて、嫌だと言うと死ぬ死ぬ詐欺や、モラハラになる、あの恐怖の日々。
愛情でそれをするのではなく、依存でそれをされる気持ち悪さ。
対象になった人しかわかりません。被害者の気持ちが、事件当事者しかわからないように、私のいつまでも残る後遺症がわからないと思います。