玲子の場合 第2章 ACT13 | キャリアウーマンのそれぞれ -「タレントの卵・営業日誌」連載中-

玲子の場合 第2章 ACT13

 先に着いた山下は丁重に部屋に案内された。
 関根は仕事関係だけでなく、プライベートでもこの料亭を利用しているのでかなり融通が利く。
 今日も夕方になってからの突然の予約にも関わらず、快く引き受けてくれたのは関根からの連絡だったからだ。

 山下が部屋に入ると3名分の席が用意されていた。
 上座に2名分の席が用意されているところを確認し、山下は入り口に近い方の席に着き、携帯のメールを確認していた。
 しばらくすると部屋係がやってきて、声を掛けた。
「失礼致します。お連れ様がお見えになりました。」
 山下が「どうぞ」と返事をすると、音もなく戸が引かれ、玲子の姿が見えた。

「遅くなりました。お待たせして申し訳ありません。」
 入り口で頭を下げる玲子に山下は優しく笑った。
「そんなに堅苦しくしないでくれよ。それでなくても社外では久しぶりなのに、緊張するじゃないか。」
 玲子は山下の笑顔につられ、頬が緩んだ。

 2人のやり取りを見ていた部屋係の女性が遠慮がちに声を掛けた。
「お二人がお揃いになられたら、始めてくださいと言われておりますので、お食事をはじめさせて頂いて宜しいでしょうか?」
 席に着こうとした玲子は案内係の話しで、3人分の席があることに気がついた。
「始めはビールでいいかな?」
 山下は玲子に確認し、玲子が頷くのを見届けた部屋係は「では、ご用意させて頂きます」と引き戸を閉めて立ち去った。

 2人きりになった静かな空間をしばらく眺めていた玲子は、山下に話しかけた。
「あれ以来ですね。」
 玲子は新入社員の頃、2人きりで飲みに行ったことを思い出していた。
 山下の優しいキスも忘れていなかったが、玲子はずっと忘れたフリをし続けてきただけで、あの時の思い出は、玲子にとって大事なものとなっていた。

 玲子が始めて自分から「抱かれたい」と感じたのが山下だったのだ。
 しかし、あの一夜のキスだけで、後は上司と部下の関係を2人とも維持させた。
 玲子が社内外の男性と絶妙のバランスを保てるのは、山下のお陰と言っても過言ではない。
 あの夜、山下と肉体関係まで発展していたら、今の玲子はなかったはずなのだから。

「あの頃は可愛らしかったな。今みたいに綺麗になるとは想像出来なかった。」
 山下は後ろめたさを隠そうと笑った。
「ええ、あの頃は純情な乙女でしたから。」
 玲子も大人の台詞を口にし、笑顔でかわした。
 2人とも何1つ具体的には言わない大人の会話をすることで、10年以上の月日を感じていた。

 ビールと食事が運ばれ、山下は話しの本題を切り出した。
「君の仕事ぶりは社内だけでなく、社外でもコンスタントに評価されているな。昔の俺の指導が良かったと、今でも回りから誉められているくらいだからな。優秀な教え子を持って、鼻が高いよ。」
 ふと、目に涙を溜めていた玲子を思い出し、山下は目を細めた。

「あの頃の山下課長の指導が良かったのであって、私が優秀だったんじゃありませんよ。」
 当時の役職名で呼んだ玲子は、山下のグラスにビールを注ぎながら笑った。
「あの頃の酔っ払い娘も酒に強くなったようだなあ。」
 山下は玲子の持っていたビール瓶を取り、返杯を促した。
「ありがとうございます。」
 玲子は両手でグラスを持ち、山下のお酌を受けた。

「ところで、今後、仕事の方はどうしたいと考えている?」
 玲子は山下の真意を量り兼ねた。
「どうしたいと仰いますと・・・?」
 ビールを1口飲んでから、山下は玲子を真っ直ぐに見た。

「誤解しないで聞いてくれるといいんだが・・・。結婚しないつもりなら、もっと出世を狙う気はないのかと、今日の会議の後、話題になったんだよ。」
 瞬きもせず話しを聞く玲子に、山下は言葉を続けた。

「正直に言うよ。女性を先に出世させると、社内の妬みややっかみからくる中傷もあるかもしれない。君の同期の半数はまだ主任だ。君を昇進させることで、また君が泣くハメになるかもしれないと上の方が心配しているんだよ。同期の誰より先に課長代理になったときもそうだったことは、私だけではなく上のものも知っている。君がそれに耐えられるかどうか、本心を聞かせて欲しい。間もなく関根常務もいらっしゃる。それまで考えてみてくれないか?短い時間しかなくて申し訳ないんだが・・・。」

 玲子は山下が呼び出した意味を理解し、もう一人分の席は関根常務のものだと気がついた。
 料亭に入る寸前まで、ほのかに期待していた山下との甘い展開は期待出来ないことにも玲子は気がついたのだが、落胆したことは顔に出せなかった。

 山下は背広のポケットから新しいタバコを取り出して封を切り、中から1本取り出した。
 玲子は山下の手元を見て「山下部長の指先もやっぱり好みだな。何年たっても変わらない。」と思っていた。

 久しぶりに山下と2人きりで会うと、入社当時の初々しい気持ちに戻り、玲子は上気した顔になった。
 グラスに2~3杯のビールで動機がするほど酔うこともない玲子が、山下の前では頬を紅く染めて照れ、恥らう乙女のように見える。
 山下の方も「何年たっても可愛らしい部分は変わってないな。」と感じていた。

 タバコの煙を深く吸い込み、玲子に掛からないよう横へ吐き出した山下の気遣いも、玲子には好ましく映る。
「部長、私も1本、頂いて宜しいですか?」
 言葉は丁寧でも、子供のような無邪気なおねだりの表情を見せて、玲子は笑った。
「お酒が入ると吸いたくなるんですよね。普段はそんなに必要ないんですけど。」

 山下は1本だけずらし、タバコの箱を玲子に差し出した。
「あの時もそんなこと言っていたな。悪戯っ子みたいな顔をして・・・。」
 年数が経ち、年齢と役職が当時と違っても、2人にとっての原点は飲みに行った帰りの夜の、あの切ないキスなのだろう。


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