こんばんは。
かなり前から気になっていた、ネット上での批評について書こうと思う慧熾です。

評価としての批評というより、タイトル通り「嫌いなのに、なぜ反応するのか」を考えてみたいと思います。

ちなみに固有名詞を控えるのは、その「単体」についての考察になることを防ぐためです。

さて、インターネット上のニュースにはコメントを書き込める物があります。

また、SNS等で気軽に自身の意見表明を出来るようにもなりました。

そういった際に、『嫌いだと意見表明し、罵詈雑言を浴びせる』人たちが居ます。

僕はこれに、違和感を感じています。

僕の中では、「嫌い=興味が無い」という概念があります。

極端な話ですが、嫌いだから見たくもないという考えです。

例を挙げると、僕は数学が苦手です。

故に株価は見ませんし、便利な公式があったとしても興味はありません。

これに当てはめると、「嫌いなのに、反応する」ことは矛盾しています。

見向きもしないかは別として、嫌いなら何故わざわざ反応するのでしょう。

勝手じゃないか、と言われるかもしれませんが、現代の風潮を表している気がしてなりません。

逆ギレ、過剰なクレーム、モンスターペアレントなどが此処から派生していると僕は思います。

つまり相手に非が無い、仮に有ったとしても異常なまでに威圧するということです。

何もかも責めて、何もかも相手のせいにして、自己正当化を図る。

そんな様相が垣間見えます。

些細なことですが、気に入らないものは無視して、相手のせいにするのも程々にして、その分の気力を他の事に注ぎ込めば世の中はもう少し丸くなるような気がします。

楽観的かもしれません。

でも、気に入らないことは数え切れないくらいあります。

相手に非が有ったとしても、事は既に終わっています。

嗚呼だこうだ言っても、仕方ありません。

だったら、もっと別の有意義な事に没頭したらいいんじゃない?

と思ってしまいます。


若輩者故の楽観視でしょうか(笑)しかし、本当に思うんですよね。

嫌い嫌いと言いながら文句を言っている人たちを見ると、「本当は興味津々じゃないの?」と思います。

ツンデレか、と(笑)

クレーマーを見ていると、「その体力、勿体無いな~」と思います。

時間、無駄じゃね?とも(笑)

超基本中の基本ですが、「悪いことをしたら、謝る」そして「咎めた後は、あまりチクチク言わない」って大事じゃないですかね。

…人様のことを言う前に、自分も気をつけねば(;´∀`)

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

ではこの辺でm(_ _)m



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