日頃より応援してくださっている方へ
ご心配をおかけしたままで
大変申し訳ありません。



心の中の区切りなんて
全くついていないまま
時だけが流れていっていますが



私が立ち止まったままだなんて
故人が一番願っていないことだと思うので
届くと信じて











今年の桜が見られたなら
車椅子でも押しながら
今までの話、今後の話でもするような
そんな時間が欲しかったな。









約7年半所属していた事務所、及び
レギュラー出演していた放送局代表が
逝去されました。



本日が四十九日に当たります。








大学を卒業してからの20代すべてを
過ごしてきた場所と言っても
過言ではございません。


芸能事務所としては
小さな事務所ではありましたが
二人三脚のようにやって参りました。


当時はそんな風に
思ったことはありませんでしたが
そう見えていたんだな、と
この事態になってから
周りに言っていただき気付かされました。


当時は、
二人三脚に見えるのが
気恥ずかしく
イヤで度々拒否ってました(笑)

父親に対する娘のような態度って
感じだったのかな?ごめんなさいw



口喧嘩も絶えなかったし
音楽面でのぶつかりも絶えなかったし
和解の無いまま始まった生放送とか
今思い出しても笑えるし
何度事務所を飛び出したことか



しかし、ド素人そのものの私を
ここまで育てあげていただいたことは
どれだけ労力の要ることだっただろうか。
可能性を信じてくれていたからこそ
私は色んな仕事を経験させてもらえた。




命が短いと知った時
走馬灯のように
今までのことがよぎった。



所属したて未知の世界を
キラキラ追いかけていた時
喧嘩が絶えなかった冷戦時代
お互い良い意味で諦めて
大人な会話が出来るようになったここ最近




これからも
池尻のスタジオに行けば
いつでも会える存在だと思っていました。





コロナ禍で世の中が揺れていることもあり
もしあの時こうしてたら?あぁだったら?
そんな話は確かに尽きないけれど


いつまでも、もしもの話をしていても
いつもの調子で
ウゼェ!!しつこい!!
って骨壷から出てきて言われそうなので😂



最後の最後に
とんでもない大仕事を
残してくれたなと思いつつ(笑)




まずは、
讃えたいと思います。




難しい状態でしたが
仕事への復帰を願い頑張ってました。





ほんとうに
最期の瞬間まで
よく頑張ったよね。









いつの時も
『さよなら』は
決して言いませんでした。








『またね』