麻賀多神社奥宮は古墳が隣接しておりました。

伊都許利命は、先代旧事本紀、国造本紀に記載がある四世紀の人物とされています。

神武天皇の子息 神八井耳命の八世の孫で、

応神天皇に任ぜられて印波(印旛)を治めたと伝わります。

はてさて

初代神武天皇から九世代のお孫さんが

十五代応神天皇の時代に・・・とは、いささか計算が合わないのでは?


ワタクシもいくらか支持しております一説初代神武天皇🟰十代崇神天皇でも、ちょっとは差異が少ないかなあ程度ですしね

まあね古代史、

しかも。


空白の四世紀


魅惑の空白の四世紀(*≧∀≦*)

(笑)

考古学的遺物の出土、文献が著しく少ない上に、国外の文献にも日本(当然当時は名前が違いますが)に関する記述が出てこない時代。


萌えますなーーー✨

(ばか?)

(笑)



しかし空白の四世紀とはいえ、ここに生きて居た人々がいて、ここに、古墳が作られた。

そこに生きて居た人々は、自分たちの生き様が「空白」なんて言われたら、心外ですよねえ(^。^;


伊都許利命はどんな人だったんでしょう(〃ω〃)

伊都国の人?

うん??時代的にどう?

や、読みは「いつこりのみこと」だから違うかな(当時は表音文字で名称を書き記していますから、漢字ではなく音で判断するのが正解の場合が多いです)


国造ならば、出雲人の可能性もないとはいえないのか?

(出雲国が解体され、出雲人は国造として各地に派遣された、と出雲口伝では伝わっています)


神武天皇の妃で神八井耳命の母は事代主命の娘の蹈鞴五十鈴依媛ですから、そこで出雲系の血筋には繋がっていますが、八世前の血筋だけでは、いくら有力者の血筋とはいえ薄いのでは・・・


当時は母系は重要でしたが、

現在知ることができる程度の神八井耳命の系図、出雲系のお妃の名前は見られない感じです。

親族は阿蘇氏と関係を深めているようです。


また伊都許利命の妃や子供の記載はないので

未婚のまま、あるいは重要な氏族から迎えた妃ではなく、子も出来なかった、のかもしれません。


そこに愛はあるんか!


(いきなり)

いや愛のある世界に生きていたのだと思います✨

だからこそ方墳に葬られ、

そしてそれは一七〇〇年も守られてきたのですから


歴史、それは愛だ!


(あいたたたた)


(笑)


最近、神八井耳命の兄弟とされる神沼河耳命(第二代綏靖天皇)に関する資料を調べまくっておりまして、

伊都許利命の墳墓に偶然出会えたのは、ご縁だなぁと感じる次第です。


このところ、ブログの内容を見直そうと色々考えておるのですが、せっかくなので。

もはやワタクシの生活の大半を占める古代史の事、

書き記していくのもありかと思います✨


需要はないかもですが\(//∇//)\

良いのです!


ワタシの人生も生活も思考も、

全てワタシのものですから!


ということで、

神沼河耳命に関するお話しは続きます(о´∀`о)


今回もお読みいただきありがとうございます🎶