昨日は(私的に)久々の東商センターにて
(10年ぶりくらいか•••?)


Nobukoさんの

いっぺん死んでみるWS

に参加させて頂きました。
(あれ? 違うかな、ネーミング•••?)

私は長らく
死ぬことが怖かった。

いや、今でも怖いケド。

保育園児の頃の記憶で、
祖母に連れられ、初めて人の遺体を見たその時の衝撃が、原体験として残っている。

亡くなったばかりのそのおじいちゃんは普段着のまま
居間の中央に敷かれた布団に寝かされていた。
祭壇もまだなくて、寝ているのとかわりがないのに、
でもおじいちゃんは死んでいると言う。

生きているのも死んでいるのも区別がない

祖母が住んでいた母の実家近辺は、
その頃まだ土葬だった。

生きているのと変わらないのに、
もうすぐ埋められてしまうと言う。

以来
道端の祠やお地蔵さんの前を通れなくなり
暗闇で墓の中に一人入った想像をして怖くなり
仏壇やお墓を直視するのさえ出来なくなった。

小学校に上がっていじめられていた頃
「どうせ死ぬのになんで、」
生きてるんだろう?
みんなそれに気付かないんだろう?

そんな悟りめいた考えを持ってからは、
死ぬことそのものが私の中で鬼門になった。

だからと言って、
今までの人生を楽しんでこなかったわけではない。
むしろ少し刹那的に、
その瞬間その瞬間を生きてきた。

「大切な思い出を五つ」
と指示されたワーク中、
一つも書けなかったくらい、その瞬間の楽しみを追って生きてきたと思う。

そして過ぎた事は
良いことも悪いことも何一つ取り戻せないし、
抱えているものは自己満足に過ぎない。

物もそうだ。
大事なものはあるけれど、物質的なものは必ず壊れるし失くなる。

思った以上にこれまでの人生や物(無機物)に執着がない自分に、少し驚いた。

そして
帰りの電車の中で、
思い出しながら自分の感情を掘り起こしていたら

ワーク中
理不尽だと思って、それを直ぐに打ち消した瞬間があった。
ちり、と一瞬怒りが湧いて、それも打ち消した。

死ぬことに理不尽を感じて怒りが湧く。

今まで、確かに、
結構な数の身内や友人を見送ってきた。
ハタチで癌で亡くなったいとこ。
33歳で0歳の我が子を残して亡くなった知人。
45歳で胃がんで亡くなった友人。
死亡率5%の大動脈瘤の手術で亡くなった父。
急性膵炎で通院したその日に亡くなった養父。

理不尽と思うのは私の勝手な感情の部分だけど、死というものは
私の中では
何もかもを奪う理不尽なものという認識があった。

奪われたくないと思った。
奪われることに怒りが湧いた。

直ぐに打ち消したのは、
理不尽と思うのも怒りも、
死に対しては感じたところでどうしようもない、
諦めるしかない感情だからだ。

諦めるしかない。

最後まで手放したくないと思った我が家の猫達のことも。


多分ここ数年、
忙しかったり具合が悪かったりして動かなかった感情が
グラグラ揺らされてちょっと動いたようでした。

怒りって、
どうしたら湧くんだろうと考えてたから(笑

死ぬことに対して怒りが湧くっていうことは
私もまだまだ生きたいって思っているってこと。

生きていかなきゃ、
とは思っていたけど、
生きたいとは思っていなかった。

死ぬことを選ばないだけで、
生きることを選んでいない気がしていた。

けどちゃんと
生きたかったんだなあ、私(^-^)

一つ決めた事は、
死を察することができるなら、
大切なものは真っ先に手放そう、
という事です。

意識が正常なうちに
身体が動くうちに

自分からしっかりと、この手を離そう。

低血糖対策に(脳みそ使うとまたなりやすいので)
行き帰りにちょこちょこ食べ。
懐かしの浅草橋駅前のベローチェでもカフェラテ。
昨日はなんとか立ち上がれなくなる事はなく
帰宅できました! 頑張ったぜ俺エライ!(笑


Nobukoさん
貴重なお時間 有難うございました。