悲しいデジタルCD時代
音楽の整理をしていた。
中学時代から好きなアーティスト”メラニーガーサイド(現:Maple bee)”のアルバムが聞きたくなって、CDを入れる。
日本では人気がイマイチなのか、あまり聞かないが私は好きだ。
ふと歌詞カードに気になることが書いてあった気がして覗く。
ライターの解説の冒頭は、日本盤CDと輸入盤CDの違いについて。
輸入盤は、発売が早い。そして安い。
日本盤は、発売が遅い。しかも高い。
そんな日本盤をいかに買ってもらうか?
その為にボーナストラックがあったり、解説がついてたり…と試行錯誤していると書かれていた。
よくよく考えてみると、
昔はCDという現物を買って、解説を読んで、
そのアーティストのルーツや、アルバムへの想いを知った。
今はデジタル時代になって、CDもデータがメイン。
パソコンが普及してから、調べるということが容易になったにも関わらず、
以前までのように、
そのアーティストを知ることは減ったように思う。
ジャケット買いをする機会はめっきり減ったし、
アーティストがどんな人に影響を受けたり、こんなことがあってこの曲が出来た…というのは、
自分から調べないと分かりにくい時代になった。
昔と比べ、極端になったと思う。
好きな人は詳しい。
興味ない人は興味ない。
マーケットが完全に分離。
昔は興味が少しでもあれば、オマケの解説で、詳しくなれた。
それで歌詞を読んで、その世界に浸れた。
今は、曲を聴くだけで、世界観を理解した気分になっている。
楽しい歌詞はそのとおりの楽しい気分へ。
悲しい歌詞はそのとおりの悲しい気分へ。
本当は紆余曲折あって、悲しい気分を隠して、楽しい曲を歌ってるかもしれないのに。
そういうのがあったから、昔の曲は、心に響くものが多かったのかな?
目から歌詞が飛び込み、
耳から歌詞が飛び込んでくる。
五感をフル活用。
そういやカラオケいっても最近の曲は歌えない。
聞き流してるだけだから、メロディもきちんと頭に入ってないのもあるし。
そもそも○○な雰囲気の曲、とくらいしかわからない。
昔は「今、失恋して悲しいから、誰々のあの曲歌おう!」
とか状況に応じて歌えたのにな~。
今歌ったら、
「あれ?終始悲しい曲だと思って入れたのに、途中からわたしは共感できない!」
なんてあるよね。
なんか時代が進化して、いい時代になったと思う。
でもそれはスピーディーになった、便利になった、という意味であって。
いわゆる”無駄”が、わたしたちを成長させてくれてたんじゃないかとか、色々思えた。
歌詞カードを見つめて、解説を読んで、何を思って、生きてきたのか。
そういうのを思い出させてくれたこの解説。
このアーティスト、わずか3日の間に、
家が燃えたり、ショッキングなことが立て続けにおきたんだよな~位しか覚えてなかった。
でもそこが強烈に印象的で。
このアーティストの曲を誰に聞かせても、
「暗い」
「陰気」
「曲変えて」
だったのを覚えてる。
(それでもこのアルバムは比較的POPで明るいほう。これ以降のアルバムは本当に暗すぎる)
わたしからすると、なんでこんないいアーティストなのに!って思うのだけど…。
という訳で解説のそのページを開いてみる。
冒険好きの両親と、無人島生活や船旅を続けてた彼女。
その漂流生活の転機が書いてある。
1:船旅からイギリスに戻ったとき、学校生活に馴染めなかった。
2:やっと落ち着いた街で、バンドをやっていたころ、バンドの解散と、ボーイフレンドとの別れと、家が火事で全焼するということが、3日間の間に全部一緒に起こったこと。
この時に”新しい人生をここからはじめなきゃ”と決意。
3:一人でソロをやろうと決めたとき。
気になったのは、この2の部分。
そうだ、私がこのメラニーガーサイドが好きな理由はコレだったんだと思い出した。
皆に暗い曲と言われても、
この人の曲には、暗い中に”立ち向かう意思”が込められてると私は感じて、好きだったんだ。
コレは曲を聴いただけじゃ、わからなかったかもしれないコト。
歌詞カードや解説がなかったら、好きになっていたかは分からないコト。
誰かの影響を受けてるか分かると、次聞きたいCDも出てくる。
そういう連鎖でCDマーケットも出来ていたんだろうな。
今はデジタルデータだから、詳しいことは興味がないとわからない。
よっぽど好きな人以外はルーツまで調べないもんね。
マーケットもそれ以上拡大しない訳だ。
最近はデジタルでCDとか購入してたけど、またCDショップを歩いてみたくなった。
持ち歩けるデジタルデータは勿論素敵だけど。
所有欲が又出てきたかも。
何でも調べられる時代になってきたけど、
知るということは、本来は購入者の特権なのかもしれない。
梨愛
中学時代から好きなアーティスト”メラニーガーサイド(現:Maple bee)”のアルバムが聞きたくなって、CDを入れる。
日本では人気がイマイチなのか、あまり聞かないが私は好きだ。
ふと歌詞カードに気になることが書いてあった気がして覗く。
ライターの解説の冒頭は、日本盤CDと輸入盤CDの違いについて。
輸入盤は、発売が早い。そして安い。
日本盤は、発売が遅い。しかも高い。
そんな日本盤をいかに買ってもらうか?
その為にボーナストラックがあったり、解説がついてたり…と試行錯誤していると書かれていた。
よくよく考えてみると、
昔はCDという現物を買って、解説を読んで、
そのアーティストのルーツや、アルバムへの想いを知った。
今はデジタル時代になって、CDもデータがメイン。
パソコンが普及してから、調べるということが容易になったにも関わらず、
以前までのように、
そのアーティストを知ることは減ったように思う。
ジャケット買いをする機会はめっきり減ったし、
アーティストがどんな人に影響を受けたり、こんなことがあってこの曲が出来た…というのは、
自分から調べないと分かりにくい時代になった。
昔と比べ、極端になったと思う。
好きな人は詳しい。
興味ない人は興味ない。
マーケットが完全に分離。
昔は興味が少しでもあれば、オマケの解説で、詳しくなれた。
それで歌詞を読んで、その世界に浸れた。
今は、曲を聴くだけで、世界観を理解した気分になっている。
楽しい歌詞はそのとおりの楽しい気分へ。
悲しい歌詞はそのとおりの悲しい気分へ。
本当は紆余曲折あって、悲しい気分を隠して、楽しい曲を歌ってるかもしれないのに。
そういうのがあったから、昔の曲は、心に響くものが多かったのかな?
目から歌詞が飛び込み、
耳から歌詞が飛び込んでくる。
五感をフル活用。
そういやカラオケいっても最近の曲は歌えない。
聞き流してるだけだから、メロディもきちんと頭に入ってないのもあるし。
そもそも○○な雰囲気の曲、とくらいしかわからない。
昔は「今、失恋して悲しいから、誰々のあの曲歌おう!」
とか状況に応じて歌えたのにな~。
今歌ったら、
「あれ?終始悲しい曲だと思って入れたのに、途中からわたしは共感できない!」
なんてあるよね。
なんか時代が進化して、いい時代になったと思う。
でもそれはスピーディーになった、便利になった、という意味であって。
いわゆる”無駄”が、わたしたちを成長させてくれてたんじゃないかとか、色々思えた。
歌詞カードを見つめて、解説を読んで、何を思って、生きてきたのか。
そういうのを思い出させてくれたこの解説。
このアーティスト、わずか3日の間に、
家が燃えたり、ショッキングなことが立て続けにおきたんだよな~位しか覚えてなかった。
でもそこが強烈に印象的で。
このアーティストの曲を誰に聞かせても、
「暗い」
「陰気」
「曲変えて」
だったのを覚えてる。
(それでもこのアルバムは比較的POPで明るいほう。これ以降のアルバムは本当に暗すぎる)
わたしからすると、なんでこんないいアーティストなのに!って思うのだけど…。
という訳で解説のそのページを開いてみる。
冒険好きの両親と、無人島生活や船旅を続けてた彼女。
その漂流生活の転機が書いてある。
1:船旅からイギリスに戻ったとき、学校生活に馴染めなかった。
2:やっと落ち着いた街で、バンドをやっていたころ、バンドの解散と、ボーイフレンドとの別れと、家が火事で全焼するということが、3日間の間に全部一緒に起こったこと。
この時に”新しい人生をここからはじめなきゃ”と決意。
3:一人でソロをやろうと決めたとき。
気になったのは、この2の部分。
そうだ、私がこのメラニーガーサイドが好きな理由はコレだったんだと思い出した。
皆に暗い曲と言われても、
この人の曲には、暗い中に”立ち向かう意思”が込められてると私は感じて、好きだったんだ。
コレは曲を聴いただけじゃ、わからなかったかもしれないコト。
歌詞カードや解説がなかったら、好きになっていたかは分からないコト。
誰かの影響を受けてるか分かると、次聞きたいCDも出てくる。
そういう連鎖でCDマーケットも出来ていたんだろうな。
今はデジタルデータだから、詳しいことは興味がないとわからない。
よっぽど好きな人以外はルーツまで調べないもんね。
マーケットもそれ以上拡大しない訳だ。
最近はデジタルでCDとか購入してたけど、またCDショップを歩いてみたくなった。
持ち歩けるデジタルデータは勿論素敵だけど。
所有欲が又出てきたかも。
何でも調べられる時代になってきたけど、
知るということは、本来は購入者の特権なのかもしれない。
梨愛