前のブログでは、家族構成を話しました☺️
父親とはDVが原因で別れたとお話しましたが
その後を話していきましょう。
まず長男。当時4歳の長男は父親におもちゃを買ってもらったりしてたのもあり、やはり子ども。
父親の元から逃げてきたその夜、祖母が長男に聞きました。
「お母さんのこと、好き?」
その問いにどのような意味があったのかは未だにわかりませんが、その直後、長男がヤクルトの空容器を手に取り、
「お母さんなんて嫌いや!!!」
と、母に投げました。これには母もショックを隠せず話し合いの結果、このままでは、長男を虐待してしまうと思い、施設に預けることにしたようです。
そりゃ実の子どもに嫌いなんて言われたらたまったもんじゃないですよね。
そして私と次男は、母と共にシェルターに1ヶ月入所しました。母は元々てんかんを抑える薬を飲んでいましたがシェルターでは自殺防止のために没収され、外部とのやり取りも全て遮断されていました。
その後、母子生活支援施設へ入所。
母は施設の職員から理不尽なことを言われ続けて、てんかん発作を起こしICUで1週間意識不明だったこともありました。その間、子どもは施設で一時保護されていました。
長男は一時的に家族との記憶が消え、祖父母との面会を始めておりました。
母子生活支援施設にいた時のある日、施設に内緒で祖父母と会うことになりました。(本当はダメなんですけど)
その時、私は小学2年生で、
祖父母に久々に会えるとワクワクしていて、
落ち着きが無く騒がしかったようです(笑)
そしたらレストランで祖母に言われた一言、
「○○(長男)は椅子の上でも正座をしようとするぐらい行儀がいいのに、なんであんたはそんなに行儀が悪いの!」
と怒られましたが、
今考えると、
小学生が落ち着きがないのは当たり前だし、
椅子の上で正座の方が余程行儀悪くないか?
と思うのですが、当時の私は正直
長男のことを羨ましく思いました。そうすることで私も褒められるならそうすれば良かったのかなとも思いました。
ここから
私と弟を比べるようになったといっても過言ではないですね。そこから母も便乗して、
「長男は施設で頑張ってるのにあんたはなんでそんなに怠けられるの!?」等々…子どもには痛い言葉ですよ。
小学3年生の頃、母の故郷に戻り
新しい学校でやり始めましたが、クラスに溶け込めずいじめや仲間はずれが始まりました。
母はてんかん発作と片肘の障がいから
仕事が出来ませんでした。
なので、生活保護と子ども3人分の父からの養育費で生活していました。
いじめられてることを言ったとしても、何も変わらず、
母には手伝いしろと言われましたが、当時の私は何もせず、
母から「あんたをなんのために連れて帰ってきたと思ってるんや」
祖母から「そんな手伝いもせえへんのやったら父親の所に居ればよかったのに」と言われ続け、それにショックを受けた私も何もしなかったので、ついには母がてんかんで倒れ、1年間児童養護施設に次男と入所しておりました。施設にいた1年間は苦しかったのともあれば楽しいこともありました。初めて自分のことを考えてくれる大人(施設の職員)にも出会って、頼ってもいいのかとも思いました。
中学生になる春、私はまた母の元に戻りました。
次回に続きます。