おばあちゃん家の思い出



私の家は、実は祖父母と言える人は3人ずついます。


私の実家のN家は、男の子が数人いたそうでしたが、戦時中に全員出征してしまい、O家に生まれた私の父親を、N家の跡取りに…と、養子になったそう。


が、出征していたN家の息子さん達がみんな帰ってきて、戦後のどさくさもあって、父親は、そのまま今に至るまでN家の息子として生きています。


父親は熊本の人なので、身内はみんな熊本におり、私が行ったのは3回程で、その内の2回は物心つく前の0〜3歳の頃で、1回は中学3年の時だったので、あまり父方の方は、記憶がないんです。


で、中学の時も、あまりに方言のキツさに、何話してるか全く分からなかったし、いとこがみんな当時で大人ばかりだったので、話も合わなくて…あせる


なので、居づらかったので、祖母の家と言っても、つまらなくて、何にも思い出はありませんあせるあせるあせる

(ちなみに、この祖母宅はO家の方。N家の方は、行った事はあるのでしょうけど、赤ちゃんの時だけらしく、全く記憶ありません💦)


母方の方は、私の実家の隣の区にあり、車車で10分程で行けます。


なので、年末年始などは、毎年母方の祖母宅に泊まっており、先日の記事の中でもチラッと書きましたが、



商売をしてたので、よく伯父や伯母から、お店で売ってる『お菓子やジュースを飲み食いしても良いよ』と言われたので、もらって食べたものです。

(まぁ、結局は、後に母親が代金払ってたのですけどね。"f(^^💧)ポリポリ)


それに、店に出てる伯母の代わりに、祖母が(元気な頃は)家事をしてので、行くとお手伝いを頼まれる事があって、たまに鰹節を削ったり、ところてん突きなどをしてました。


今はもう、鰹節はパックで売ってますし、ところてんもパックで売ってるのを食べるのが普通です。


が、祖母は大正生まれの人だったので、お出汁も鰹節や昆布や煮干しを使って取ってましたし、ところてんとかも手作りしてました。


そんな祖母の姿を見ていて、自分が主婦になったら、こんな事出来るのかなぁ?なんて、ちょっと不安に思ったものですあせる

(ま、結局は、ほぼ出来上がってる物を買うし、お出汁も細粒の物を買ってきて使ってますけどね。)


それに、私が中学生位の時に、2階が自宅で1階がコンビニと言う形に建て替えました。


が、その前までは、店の裏に自宅があって、家の敷地内には蔵があり、小学生の時には、祖母に怒られると、必ず蔵に入れられて、昼間でも怖かったのを覚えていますガーン


そんな感じで、母方の方は沢山思い出ありました。


懐かしいです。