ブログを始めてから十数年が経ち

喘息息子も成人式を迎えました。

うわー世間の皆様ごめんなさい、
だいぶ手のかかる19歳に育ててしまいました〜!

息子を育てるにあたり、1番の注意事項は

死なさない

でした。
分娩台で2時間苦しんで吸引2回もやった時点でもう、命の瀬戸際でした。
というか、切迫早産で2、3ヶ月ずつ2回も入院してた段階からギリギリ生きてきた命でした。
生まれる前から3回以上も命が危なかった息子。

生まれてからも、
転んだ真横10cmをトラックが通過したり
コンクリートの階段12段を転げ落ちたり
自転車同士でぶつかって3mくらい空を飛んだり
喘息発作で救急搬送されたり
色々命が危なかったわけですが、

とりあえず今日まで生き長らえさせることが出来ました。

よかったよかった。

さて、第2目的は

自分で稼いで生きていけるようにする

です。

実はなかなか産まれず息子の命が危なかったため、神さまに心の中で私は取引を申し出ました。

私の寿命をこの子に分けてください
産んだら私死んでもいいです

そしたらどうやら神さまはだいぶ気前がよかったみたいで、私も息子も死なずに済みました。
ところが産まれた瞬間から息子の肌は全身リンパ液と血液まみれ。皮膚がボロボロでした。

うわ、これマジダメな感じだ。

そこで私は優しい神さまに厚かましくももう一回お願いしてしまいました。

私の寿命を10年この子に分けてください。

ひょっとしたらこの子が成人するまでに私の命が終わるかもしれないけど、なんとか早めに一人で生きてくための基礎は叩き込む。ひょっとしたら息子の命は10年ちょっとで終わるかもしれない。それでもその間、人として当たり前の人生を生きて欲しい。

だいぶ私の自分勝手な思い込みと押し付けです。
なんでこんなわけわからんこと考えてしまったかというと、多分

マタニティ系に関連した、それ系の精神的なアレでしょう。

まあ、当時はマタニティハイだの産後鬱(鬱って言うよりはハイか?)だのという観念は一般的ではありませんでした。

そしてその痛い妄想をよそに息子はガツガツ育ち、今日に至るわけです。

平成も終わりに近づき、ママブロガーさんも増えてきましたね。いつか自分を振り返った時、

「うちのプリンスちゃんプリンセスちゃん」
「姫ちゃん王子ちゃん」

を綴ったマイブログを痛いと感じることがあるかもしれません。
だがしかし、そのブログを消さないであげてくださいね。
成人した子どもと一緒に笑い飛ばせればそれはそれで幸せなことです。
痛くてもやばくても、それは母としての大切な記録の一部です。

成人したから「母」はお終い、とは行きません。
私たちは運悪く子どもが先に他界するとしても一生「母」です。あれこれ口出しはしなくても、遠くから見守るという役目があります。思いを馳せる、という役目があります。

成人式って、本人たちのお祝いはもちろんだけど、親も自分を見直す日です。子離れ出来ない親が多い時代です。私はちゃんと息子を社会人に育てて送り出せるかしら?

息子が専門を卒業して国家試験に合格して就職して家を出たら、私も子離れ出来るような気がしてます。

あと1年ちょっと。頑張ります。