まだ懲りずに続編です。


父が他界して、母と三姉妹が残された我が家。


と言っても、母は今年72歳。

長女の私は離婚歴あり、子供あり、彼氏ありの独身。

次女は子供無しの夫婦2人の首都圏住まい。

三女はお金持ちさんに嫁いで義両親と同居で子供が2人。高3の長男と、高1の長女。(どちらも公立)


三女の子供たちは、もっと育て方があったんじゃないのかな、と思うけどね。(お世辞にも頭が良いとは言えないし、特別スポーツが出来るとか、特出したものがあるわけでもない)


お金の使い方間違ったんじゃないのかなと思わなくもないけれど、一般家庭以下な私の意見なんて大した事ないから言いもしないけどね。


そもそも、他所様の家庭や夫婦に意見する程大それた人間では無いので、こうやってブツブツブログに書く程度の人間ですよ、私は。


子育て記録でありつつ、愚痴ブログでもある。


他人に言ってトラブルになるくらいなら、ブログに垂れ流すくらいがちょうどいい。


しかも、まぁ、一般的に見たらひとり親の私が三姉妹の中ではダントツにド底辺感はあるけどね。

そこは気にしない。

というか、私はこれではっぴーなのでそれでいい。


子供達も可愛い。


程々に家族で遊びに出かけて、程々に貯金(っていっても保険の積立なので預貯金には入らないかもだけど)が、こっそりあったりして、何となく暮らしていけている。


私の子供の頃に出来なかった事が、今子供達と出来ているのは凄く幸せな事だと思う。


とにかく私は家族で出かける事がほとんどなかったし、習い事も習字とそろばん以外は却下された。


小学校のカラーテストでは100点を取るのが当たり前で、-5点につき1回ずつ、父の前で正座させられて、丸めた新聞で叩かれたりした。

それほど痛くは無いけれど、罰としてされる行為は現代からすると有り得ないなと思う。


今の我が家は、買取制でお小遣いになるからね泣き笑い


私自身は親から褒められた事はほとんどない。

小学校の通知表は◎と〇と△だけれど、私は△を一度も取ったことはない。

音楽や図工も体育も好きだったし、100点を取らないと良しとしない父だったけど、実際小学校の授業は別に難しいと思ったことがなかった。

次女はいつだったか△を取った事があって、父から「△人間」と罵られていた。


誕生日でもケーキなんかはなかったしお祝いもない。

なんなら忘れられて、両親はパチンコに行って夜になっても帰って来ない事だってあった。


まぁ…書いていると結構な毒親だなと思う。


中三の終わりだったかのある日。

家に帰ると5歳下の三女が真っ暗な部屋で体操座りをしてテレビを見ていた。

多分19時過ぎていたと思う。

夜ご飯食べたのはてなマーク」って聞いたら「食べたよ」って。

キッチンには何もなかったし、「何食べたのはてなマーク」って聞いたら、「卵かけご飯」って。

昨日は納豆ご飯」だと。


三女が小4の時だったと思う。


ちょうどその頃父が転職して、母も連れて仕事に行くようになった。


家から夕飯が消えるようになったのも、前よりも仕事後にパチンコに寄ってから帰って来ることも増えた。


母にそれを伝えて、「成長期の子供に良くない」と主張すると、「じゃあ、あなたが作ってよ」と言われた。


その頃から家庭料理を作るようになったのよね、私。


母は特に金払いは良かったから、夕飯1回500円。


いいお小遣いにはなったけど。


私長女だしね。

もう15歳なので、料理の本を見たりすれば割と作れるようにもなるし、それまでにも多少料理を作ったりもしてたから、出来なくもなかったかな。


買い出しも行くようになった。


家に帰っても夕飯はないので、作るしか無かったし。

ミールキットみたいなのを頼んでいた時期もあったけど、案外口に合わなかったりして、週2~3回くらい宅食、あとは買い物して作ったり、あるもので作ったりするようになった。


時々、次女が小遣い欲しさに気まぐれに「私作る」って言う時もあったけど、まぁ、気まぐれだったからね。


高校に入ってからは、週末は夜にバイトに行って、平日は部活と、帰ってからご飯作り。

土日の昼間も部活、夜になるとバイトって感じだったと思う。


どうやって生活していたかはよく覚えて居ないけれど、バイトもしていたし、夜ご飯も作っていたし、三女もそれは今でも覚えていたし。


高3になってからは近くのスーパーでも平日はバイトするようになった。

お惣菜屋さんだったから、最後廃棄するお惣菜は持ち帰って、夕飯にしていた。

それは母も覚えていた。


19歳家を出た。

ずっと家は出たいと思っていたから。


彼氏と同棲し始めたけれど、中三から買い出しと家庭料理を作っていたおかげで、料理はよく褒められた。

結果として良かったのだけどね。


今も節約料理とか、時短料理とかするのは、その頃からの賜物だと思う。


家庭料理を作ることは好きだしね。


まぁ、次女には罵られるけれど。

何にしても罵られるので、気にするだけ無駄。


出来れば、子供達とははっぴーな家庭を作っていたいと思う。

母に対してキツイと子供達は言うけれど、まぁ、色々あった訳よ。


2歳半の子供達を連れて実家に帰ったのだけど、「援助もしてやるから帰ってこい」って言うから帰ってきのだけど、度が過ぎたのか、父が次女に愚痴ったらしく、そこから次女が私に大激怒。


まぁ、子供達連れ回して遊んでばかりいたからね。


仕事もしてはいたけど。


遊びのお金も出してもらってはなかったけど、父のガソリンカードとETCカードで出かけまくっていたね。


それは流石に反省。


多い時は6万くらい使っていたらしい。

次女に愚痴らず、私に直接言ってくれたらいいのに。


結局帰ってきても、特に子供達の事を色々してくれるでもなく、確かに家に生活費は入れてなかった分楽していたと思うけど、買い出しと料理とお風呂は私、掃除と洗濯と片付けは母と、家事を分担して成り立っていた。


が、次女にはそう映ってなかったみたいで。


いつまで親に甘えてるのムキーはてなマーク」って。


その頃、両親も60代後半だったし、そのまま面倒みるのかなって思っていたのよね。


甘えてるも何も、役割分担してるけどはてなマークって言ったら、「お姉ちゃんがそう思っているだけでしょムキー」みたいなね。

私的にはもう仕事も軌道に乗って来ていたし、実家を出る事も出来るけど、親の事もあるからこのまま居た方がいいだろうなと思っていたのだけど、そんな風に言われるなら、「別に家を出れるけど」って話したら、「出来ないくせに言わない方がいいよ」って言われて、もう、カチーンときてムキームキー


そのまま物件見つけて出ていきました。


そこから4年後、父の癌が見つかるんだけどね。


一緒に住んではいたけど、子供達のこと何一つお願いしたことはないし、食費として付き4万貰っていたけど、それは今まで夫婦2人で使っていた食費をそのまま私に渡すだけってことで貰っていたのであって。


大人3人、子供2人で月4万の食費でとやかく言われるのもどうかと思ったけどね。


夫婦2人で月8万の食費って次女は言っていたので、そんなに大した金額貰ってないけどね…。


台風が土曜日に重なる日に、事前に子供達の事をお願いしていたのに、前日になって「無理」って父に言われた時にも、結局叔父と従姉妹に子供達をお願いしたこともあったし。


家事を全然やってない訳でもない(むしろ母は料理が苦手なので、やってくれるとありがたいと言い、私と子供の方が早く帰ってくるので、自分達が帰ってくるとご飯もお風呂も出来ているのが楽だと言っていたので、私たちの中では上手く回っていると思っていたのだけど)、子供達の事はお願い出来ないから結局私がやるしかない、そんな中で次女に攻撃されたら、まぁ、そりゃ実家に居るの嫌になると思うけども。


ただ、あのタイミングで実家を出れたのは良かったかもと思いもする。


母は「そんなこと気にしなくていいのに」と言うだけで、私を庇うでもなく。


そんな状態で実家に居たら、きっと父の介護も私任せだっただろうし、母1人になった時も全部私が面倒みることになっていたと思います。


父の病気が分かる直前に彼氏さんが家の購入の手続きを始めていなければ、実家に帰ることになっていたと思うけれど、今は母とは別々で暮らして週1くらいで行くくらいがちょうどいいと思う。


うちの子供たちは、塾にも行かずスマイルゼミ1本でそこそこの成績と、スポーツは双子でクラスの上位3位以内に入るくらい。

それなりに文武両道な子達に仕上がって来ている。

…今のところ。笑


未だに子供達と過ごす事が何よりの癒しで、それに勝る幸福などないなって思う。