こんにちは!
車椅子ユーザーの沙貴です
今回は中学校時代についてお話させていただきたいと思います
小学校は普通校に通ってたので、中学からどこに行くか親と小学校担任との話し合いになり、小・中・高校が一貫になってる特別支援学校(養護学校)に入学することになりました
支援学校には絶対行きたくないと何度も伝えていましたが「中学からは大変だから」「昇降機が稼動するかわからないから」と。
たしかに私が行こうとしてた中学校には昇降機がありました。ですが、昇降機を使う人がいなくて使っておらず動くかどうかわからないとのことでした。
不便で不安のまま、そこの中学校に通うのも大変なので…言い方ちょっとあれですが、仕方なく支援学校に通うことに決めました
そして小学校の頃に支援学校の見学に行きました。
やっぱり普通校と違い校内は暗く静かではじめてみた時は「ここは病院なんじゃないか」と思うくらい学校感がありませんでした。
廊下でたまに生徒の方や先生たちとお会いしましたが皆さん元気に挨拶してくれたり、中には話すこともできないくらい障害が重めな方もいらっしゃいました。
「私も春からこの学校に通うのか…」と見学時から気分が沈み、ちゃんと通えるのか自信がなく頭の中には「退学」という文字が浮かんでました
_何だかんだありましたが、
無事に特別支援学校中学部に入学しました
入学したのは私をいれてたったの3人。
しかも、男2人…
ちょっと重めな方たちだったのでクラスは別になり、1年の時は2年生の人たちとクラスが一緒でした。
支援学校になると学年関係なく同じクラスにさせられちゃうのかなぁ…なんて思いながら中学部生活がスタートしました笑笑
支援学校は…
【生徒1人に対して先生1人付く】
というVIPな学校生活
しかも私の担任は小学校の頃の先生で何年かぶりの再会。そして担当は目のくりっとした担当科目は音楽の新採用美女でした
逆に新採用の先生でよかった…
中学からは英語もはじまり、勉強も何もかも忙しくなると思ってたのですが、各科目の授業日数/時間がかなり少ない。英語は週1くらいしかなくて、他も週1.2ペース。そして、見たことのない「作業」という授業に「???」。
作業という授業がやたら多く、内容は陶芸。
それに、中1の各科目授業内容なのに、中2の人や中3の人たちもいたり…
そんなこんなで、授業が全く進まず_中1で終わるはずの教科書1冊が数ページで終わる形となりました
休み時間になれば、校庭にでてぼーっと空を見て過ごしていました。遊ぶ友達もいなければ、喋る友達もいない。
「なんでこんな学校に来てしまったんだろう_」
「早く退学したい」
そんなことを考えながら空を見つめてました
でも先生方が声を掛けてくれたり、喋り相手になってくれたりもしたので、ちょっと救われた部分もありました
中1〜中3と授業が全く進まず、3年間を終えてしまいましたが、その間に検定も受けていました。
「自立活動」という時間が毎日あったので自主学習をしていたり、漢検/英検を取り、P検(パソコン検定)に向けて日々パソコンに力を入れていました
中3の頃には高校受験もありました。
が、同じ校舎にあるので受験だけどなんかドキドキ感が全くなかったのを今でも覚えてます。
強いて言えるなら、面接の時に面接官(先生方)がコの字型に並んでいて、どっちを向いていいのか分からなかったことです
受験後、私の担当先生に「沙貴さん、面接の時斜めになって向いてたけど、どーしたの笑笑」って言われたそうです笑笑
担当先生が「沙貴さんなら大丈夫だと思って、面接練習1度もしなかったんだよね」って後から言われたが…
そんな私の中学部3年間でした。
無事卒業もできて、晴れて高校生になります
次回の投稿は、高校の頃についてお話させていただきます
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!次回もお楽しみに