こんにちは!
車椅子ユーザーの沙貴ですチューリップ

今回は私が車椅子生活になった経緯や事故当時についてお話させていただきたいと思います。



私が3歳の頃。1月10日の真冬の日に母親の車に乗っていて交通事故にあいました。雪でスリップして、ぶつかったと聞いてます。


当時は急患の患者さんが多く治療を後回しにされたり、母親もケガをしましたが後遺症は残らず、私だけ後遺症が残りました。



前回の投稿にも書いた通り、

病名は『四肢麻痺による頸椎損傷C7』


首の大事な神経に傷がつき一生歩けなくなり車椅子生活をしてます。




少しだけ活発に歩き回ってた時のお話をしますね。



歩けてた時は、雪国出身なので雪遊びやスキーなどしてました。鈍臭いところは昔からだったみたいで雪壁にぶつかることもあったみたいです泣き笑い


そして今でも鮮明に思い出に残ってることが、ピンク色のドラえもんの三輪車で遊んでたことです。

家の前の広い駐車場でぐるぐると回って遊んでました笑スター





おっと、話をまた戻します。




事故後は今じゃ考えられないくらいの日々だったと思います。



祖母や叔母から聞いた話によると、生死をさまよっていたり、首から人工呼吸器をつけてたり、食べたいものも食べれなかったり、上手く話せなかったり。

また首の手術のため女の子なのに髪を坊主にされたり、首固定していた為テレビ等は鏡越しで見たりしてたそうです。




自分自身覚えてる部分もありますが、生死をさまよってたって聞くとちょっと手が震えてしまうくらい怖いですね…生きててよかった泣き笑い





私の入院ライフの話を少しだけ薬予防接種



入院中はよく看護師さんたちとお絵描きしたり折り紙したりとよく遊んでもらってました目がハート



主治医ではないイケメン先生が廊下を通ると大きな声で「○○先生〜かっこいいラブラブ黒縁メガネかっこいい〜ラブラブ」ってオタク並みに叫んでたそうです。


それで先生が毎回赤面してたと…笑笑い



今こんなことしてたらただの変○ですよちょっと不満



〝 先生……ごめんね 笑笑 〟



夜中になれば今度はギャン泣きオタク。



ベッドごとナースステーションに運ばれて泣き止むまで看護師さんたちが付き添ってくれてたそうです泣き笑い



先生、看護師さんたちありがとうございます!



そしてリハビリも頑張って取り組んでました泣き笑い



車椅子も自分でこげるように何度も何度も特訓しました。めちゃくちゃ優しいけど時に厳しいPT・OTの先生方に教えてもらいながら練習。



そのおかげで今では自分でこげるようになり、平らな道ならスイスイと行けるようになりました!




ほんと感謝なことばかりですね。


ありがとうございます指差し





さて、


この流れで言うのもどうかなと思いますが_





私には父親がいません!!



いないって言うとあれなので…離婚しました笑笑い


それが理由で離婚したのか分かりませんが、父親と当時の主治医が私が歩けなくなったことに関して言い合いをしたと聞いてます。


なので今でもそのことが原因で離婚してしまったのかなと思ってます不安もやもや





麻痺して一生歩けなくなり車椅子生活になってしまいましたが、普通に話せたり食べたり飲んだりできて助けてくださった主治医の先生や看護師さん、そして支えてくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいです



ほんとにありがとうございますスター





事故当時に搬送された病院は「労災指定病院(労災病院)」です。その後「小児療育センター」に転院をしました病院



小児療育センターに転院したことに関しては、次回投稿時にお伝えしたいと思いますコアラ




今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました看板持ち気づき次回もお楽しみに!!!