例えば君が人から「彼」と呼ばれたり、

あるいは自分のことを誰かに対して

「僕」と呼んでみたりするように

僕も対象としての「彼」で在り得るということだ。

つまりいずれもみんな同じことじゃないか。

ゴシップ欄に載ったって

路地裏で物乞いをしたって

僕は何と言われようが僕に過ぎないのだから。

人が銃口を突きつけられた様は

まるで猟師に狙われる豚と同じみたいに見えるだろう?

ほら、まるで地平を離れるように

逃げ惑い、怯えるんだ。何て様だろう。

それでも僕は僕を脱することは出来ないって言うのだから、

僕は泣きたくても泣けない愚図った子供みたいな状態にある。



職場に向かうトラックが僕を迎えに来るのを待っていたら

僕はいつの間にやら昼食にと買った

コーンフレークの箱の上に座っているのを忘れていた。

僕はヨレヨレに伸び上がった

企業のロゴマークの入ったシャツを着ている。

生憎の火曜日に公然とこんな有態で

日が暮れ行くのを知らずに迎えるなんていうのは

何とも愚かで忌々しい。

加えてこんな日に顔を合わすのはどいつもこいつも

子供染みて間の抜けた面ばっかりだ。

若し僕がそんな彼等に対して

腹の底から声を大にして罵ることがあるのなら

こんな風に言ってみたいといつも思う。

「顔をプレスか何かで精一杯引き伸ばして

 一人でも多くの世間の人にその面を見てもらうがいい。

 『こんなに俺は馬鹿ですよ!』ってな。」



だけど実際には僕はまだ殻の中に閉じこもったままで

奴等と何か口も聞きたくないし、

寧ろ顔を合わすことすら忌まわしいぐらい。

当の奴等もまた、殻に閉じこもっている。

だから周囲に与える愚かしさなんて理解し得ない。

僕を包む殻とは質が違う。

だけど僕が殻を破って日を仰ぎ見なくてはいけないのだとしたら

そうして僕自身が大人になることを望むのだとしたら

奴等に対しても一抹の光明を差し与えてやるぐらいの

寛容さが必要だというものだ。

そんなことを今の僕の自尊心が許すとでも言うのか!

僕はたっぷり肥えて腹黒いセイウチ。

氷の上で、我のことばかり考えている。

それもまたべとべとしていてねっとりしていて

いい身分じゃないか!

背中が冷たくていい気持ちだ。