このブログの他の項目でも触れましたが(「消えた5人の小学生」のこと-初めて買ったSFの本),かつてNHKで「タイムトラベラー」というドラマが放映されました。ネットで見ると1972年1月から2月にかけて放映されたようです。僕は小学2年生でした。
 このドラマでは冒頭に,暗闇の中イスに座る男性(顔はよく見えないのですが,テロップによると城達也とのことです!)が世界各地で起こった不思議な現象を短く語り,それから不思議な音楽が始まります(なぜかCDが発売されています)。例えば,突然消えてしまった人間のことや過去を体験した人のこと。僕は,この瞬間から不思議な幻想の世界に引き込まれるのでした。


 当時僕が住んでいた神戸市兵庫区荒田町は,このブログで何度も触れたように,典型的な「昭和の下町」と言った風情のところでしたから,このドラマで語られる不思議な世界は,当時の生活からは想像を絶するものだったのです。
 しかも,当時,ウルトラマンといったヒーローものなどはありましたが,連続物のSFドラマなどというものは(記憶にある限りでは)見当たりませんでした。「ウルトラQ」はSFドラマでしたが,一話完結なので,深いストーリー性を持つには限界があったのです。全体が一つのドラマになっているアニメの先駆である「宇宙戦艦ヤマト」が始まったり,ユリ・ゲラーやオカルト,ノストラダムスなどがブームになるのは,この約2年後の1974年になってからでした。
 そんな中で,未来からやってきたタイムトラベラーである少年ケン・ソゴルと主人公の少女の交流を描くこのドラマは,僕にとってはある意味画期的でした。
 ストーリーについては正確に覚えているわけではないのですが,主人公の芳山和子がタイムトラベルをするシーンなどとても印象的でした(暗闇の中,回転しながら小さくなっていくのです)。この役を演じた女優さんに僕は幼心に恋をしていましたし。
 後に続編も作られて,これも好評でした。


 ただ,当時放送用ビデオテープは大変高価なため,一度撮影したテープは消去されて使いまわしがされていたそうで,この「タイムトラベラー」も視聴者が偶然に8ミリで撮影していた最終回以外は残っていないとされています(これは後に商品化され僕はすぐに購入しました)。
 この最終回では,ケン・ソゴルが未来に帰る時,自分に関するすべての記憶をその時代から消し去るのです。主人公の芳山和子が,「誰にも言わないから私の記憶だけは消さないで」と懇願するのですが,ケン・ソゴルは苦しみながらも「それはできない」と断り,彼女の記憶も消し去ります。
 このシーン,「ウルトラセブン」の最終回で,モロボシダンがウルトラセブンであることをアンヌに明かして別れるシーンを彷彿とさせます。


 なお,原作は筒井康隆の「時をかける少女」で,このドラマが始まった後,僕は母にねだって,確か神戸市湊川公園下にあった「パークタウン」の前の本屋で買ってもらったと思います。ただ,小説とドラマはかなり違っていて,がっかりした記憶があります(続編には原作者の筒井康隆は全く関与していません)。
 「時をかける少女」はご存知のとおり,原田知世さんが主演で映画化されましたし,細田守監督でアニメ映画にもなりました。もちろん,それぞれが独自の魅力を持っていますが,幼い僕の心に与えた衝撃は最初の「タイムトラベラー」ほどではありません。あのとき感じた不思議な感覚を,うまく言葉にはできないけれど,僕は今でも覚えています。

 別の項で,2002年10月にヴェルサイユ宮殿に行ったことを書きました(「一度だけ見たベルサイユ宮殿と映画「ベルサイユのばら」,それにミッシェル・ルグランのこと」)。
 それから20年以上経った2023年12月の年末年始,今度は家族4人でパリを訪れました。

 子らの就職も決まったうえ,還暦にもなり,家族揃ってパリに来ることなどもう死ぬまでないかもしれないと思い,決意してまさに修行のようにパリ市内を歩き回ったのです。
 ヴェルサイユ宮殿についても,前回は僅か2時間程度しか滞在しなかったのですが,今回は庭園の散策も含め5時間以上過ごしたのでした。
 もちろん壮麗な建物自体を再見したい希望もありましたが,前回見ることの出来なかった庭園,その中にある大小のトリアノン宮殿,特にマリー・アントワネットがお気に入りの取り巻きと過ごしたと言われているプチ・トリアノンをどうしても見たかったのです。
 ルイ16世の妻であったマリー・アントワネット(1755~1793)は,庭園の中に自分専用の小さな宮殿(プチ・トリアノン)を作らせ,堅苦しい宮廷生活や王妃としての重圧から逃れるため,ここを頻繁に訪れたと言われています。ここには広いイギリス式の庭園があり,その中に農村に見立てた小集落を作らせ,静かに田園生活の風情を楽しんだとのことです。

 

    
 

 もちろん,個人的な宮殿を作ったばかりか,自分のためにフェイクの「農村」まで作らせたのですから,大変贅沢であることは間違いありません。ただ,実際に見てみると,素朴な農村の建物がいくつも連なり,とても落ち着いた風景であったことも事実です。僕らが建物のミニチュアを作って,それを並べて箱庭のような街並みを再現するのと同じ感覚だったのでしょうか。唯一の違いは,その建物に実際に入れることですが。
 オーバーツーリズムが話題になる時期でしたが,寒い季節,少し雨もぱらついたこともあり,この庭にはほとんど観光客がおらず,マリー・アントワネットが独り静かに歩いたであろう庭園を僕たちもゆっくりと回ることができました。
 この後,マリー・アントワネットがギロチンで処刑されるまで過ごした牢獄であるコンシェルジュリーも訪れたりしたので,歴史に翻弄された彼女の運命をより身近に感じることができました(写真はコンシェルジュリー内のマリー・アントワネットが過ごした付近の一角)。

 


 

 それにしても,第2次大戦開戦時にはナチス・ドイツにすぐに降伏したうえ,そのドイツも「パリは燃えているか」でご存知のとおり,ヒトラーの命令にも従わず,パリを燃やすことなく無条件降伏したことから,空襲に遭っていないパリの街並みは古くからの建物が多く残っており,ちょっとした街並みがすべて絵になるような,とても素敵な場所でした。

 このような街に生まれ育てば,少なくとも今僕が持っているような価値観などとは全く異なった見方を持つのだろうなあ,と実感した次第です。

 2023年11月,ビートルズの「新曲」,「Now And Then」が発表されました。
 当初は,「AIでジョン・レノンの声を作り上げた」みたいな「誤報」もありましたが,結局のところ,映画「Get Back」の時に開発されたという,雑音の中から特定の音だけを取り出す,というAI技術を使って,かつてジョン・レノンが録音したカセットテープから,ジョン・レノンの声だけを取り出したに過ぎないことがわかりました。


 当然のことながら,とても期待して聞いたのですが,一言で言うと,音楽的には少し失望しました。

 ビートルズらしさ(ちょっとした音楽的な「ひねり」,凝ったコーラス,ポール・マッカートニーの複雑なベース,お茶目で印象的なフレーズを叩き出すリンゴ・スターのドラムスなど)があまりなく,曲も単純でそれほど魅力的なメロディでもないからです。
 ポールが歌っているのかどうかもよく分かりませんし,ポールが弾いているとされるジョージ風のスライド・ギターのフレーズも,リンゴのドラムスもあまり個性的に思えません。ストリングスなどもとても「平べったく」アレンジされていて,「Yesterday」や「Eleanor Rigby」のように各パートが聞き取れるような「でこぼこ」が魅力だったかつてのビートルズとは大きく違うように思います。
 1995年に出た,当時のビートルズの「新曲」である「Free As A Bird」のほうが,ジョンの声はきれいではないけど,ジョージのスライド・ギターといい,ポールのソロ部分といい遙かによかったです。

 おそらくビートルズにそれほど親しんでない人の感想は同じようなものではないでしょうか。

 ただ,そうは言っても,半世紀近く,膨大な金と労力をつぎ込んでビートルズを聞き込んできた僕には思い入れが強すぎて,客観的に聞くことができません。
 あえて例えれば,ある風景写真が,そこに関係がない者にとっては,ありふれたどうでもいいものでも,そこが幼い頃に慣れ親しみ,たくさんの思い出がある者にとっては感無量の心持ちがするという感じでしょうか。
 ジョン・レノンの声というだけで,ジョージが弾いているというだけで,どんな音源でも聞き入ってしまうのです。ビートルズ時代にあんな曲を作っていたジョンが,この単純で歌謡曲のような感傷的なメロディを「美しい」と感じ,こんなにセンチメンタルな歌詞を書いた,というだけで,その心境の変化を想像し感慨にふけってしまいます。


 ところで,こんな風にAIが使えるなら,今後,昔の雑音だらけだった音楽がどんどんきれいになって再発されるようになると思います。まずは,「Grow Old With Me」の割れたピアノの音と混じったジョンの声をきれいにして再録音してほしいな。

 坂本龍一氏は,ご存知のとおり,今世紀に入って以降,「政治的」(とも見える)発言や文化的諸問題に関する発言が多く,僕も関心を持った記事は都度スクラップしていました。その中でとても印象的だったインタビューがあります。


 2020年2月の朝日新聞のインタビュー記事で,氏が関与した被災三県の子どもたちで作るオーケストラに関連して次のようなことを述べています。
 「音楽の力は,僕,一番嫌いな言葉なんですよ」
 「音楽を使ってとか,音楽にメッセージを込めてとか,音楽の社会利用,政治利用が僕は本当に嫌いです」
 「災害時にそういう言葉,よく聞かれますよね。テレビで目にすると大変不愉快」
 「感動するかしないかは,勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも,同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは,言語道断でおこがましい」

 さらに,氏はナチスがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し,ユダヤ人を迫害した歴史を挙げ,「音楽には暗黒の力がある。ダークフォースを使ってはいけないと子どもの頃から戒めていた」としています。

 では,氏は何のために音楽を奏でるのか。
 「好きだからやっているだけ。一緒に聞いて楽しんでくれる人がいれば,楽しいんですけど,極端に言えば,1人きりでもやっている。僕は他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので,音楽家が癒やしてやろうなんて考えたら,こんなに恥ずかしいことはないと思うんです」


 おそらく氏のこのような発言・姿勢に違和感を持つ方もおられるかもしれません。でも,僕は氏のこのような姿勢にも共感していました。
 「世界の坂本」などと言われながらも,奢ることなく,「とにかく音楽が好きで,しかも音楽しかできないから」という愚直な姿勢で音楽と向き合っている。


 少し意外に思われるかもしれませんが,ビートルズも同じだったと僕は思っています。

 1966年頃には誰も成し遂げたことのない十分な世界的名声を得て,もう新しい音楽など作らなくともあとは同じようなアルバムを適当に作れば一生遊んで暮らせたでしょう。
 ところが,彼らは誰から求められるわけでもなく,ひたすらスタジオに籠もって画期的なアルバムを作り続けた。

 おそらく,「誰かを感動させよう」とか「音楽で世界を変えよう」とかいった「崇高な理念」からではなく,ただただ音楽が好きで,自分たちがいいと思う音楽を作り続けたかった,それが中心だったと思うのです。
 有名なマーク・ルイソンの「レコーディングセッション」を見ても,下手な修飾語もなく「何月何日何時から何時までレコーディング」と延々と続く記載から,ひたすらスタジオに籠もって音楽を作り続ける彼らの職人的な姿が思い浮かび,感動的です。


 そういえば,あのモーツァルトも,晩年まで音楽,和音の響きに対する純粋な感覚を失わなかったそうです(今なら小学生が作りそうな,例の,ドミソ,シドレドの単純なピアノソナタK545が作られたのは,亡くなる僅か3年前のことです)。
 このようにすぐれた音楽家の第1の資質は,「音楽を無条件に愛していること,その愛情をいつまでも失わないこと」だと僕は思います。
 きっと,坂本龍一氏は,ただ音楽を愛した多くの人間の一人,として逝きたかったのだと思います。
(なお,この文章は以前,僕が某雑誌に投稿し掲載されたものをブログ用に改訂したもので盗作ではありません。念のため)
 

 2023年10月,娘が長崎県五島列島に研修に行くことになったのですが,「こんな機会でもないと五島列島に行くことなど二度とあるまい」と考え,その研修が始まる直前の週末を利用して,家族で二泊三日で五島列島を旅行しました。
 五島列島の観光案内などはネットで幾らでも上がってくるでしょうし,僕はそのような文章は苦手なので,特に触れません。ただ,予想以上の自然の素晴らしさに感動したことは述べておきたいと思います。死ぬまでに一度は行くべきところです。


 さて,ここで触れたいのは,僕が驚いた,音楽に関するちょっとした「偶然」です。
 まずは,1日目に昼食のために入った,井浦岬というところの近くの山の中腹あたりにある,「ニューパンドラ」というお店のことです。
 カレーや定食などありふれた地元料理を出す,いかにも「昭和」な,古びた感じの普通の(失礼!)お店なのですが,そこではなぜだか,ずっとビートルズ,しかも有名曲からマニアックな曲まで満遍なくかかっているのです(おそらく有線のビートルズチャンネル)。
 こんなことを言うと失礼かもしれませんが,人気も少ないこんな日本の片田舎のお店でビートルズを流したところで誰も喜ばないだろうし,接客サービスという意味ではむしろマイナスではないかと思うのです(ビートルズをあまり聞かない人にとって「I Am the Walrus」を聞きながら食べるのは普通は苦痛ではないかと思う)。無難に歌謡曲などを流しておけばよいと思うのです。
 あまりにも不釣り合いで気になったものですから,支払いをする際にお店の方に聞いたところ,社長がとてもビートルズが好きなのだと,苦笑いしながら教えてくれました。
 しかし,店に社長がいる気配もありませんし,年配の女性従業員の方たちが喜んでいる様子もありません。不思議だなあ,と思って店を後にしたのでした。


 ただ,この店のことだけならわざわざブログに書こうとは思いません。もう一つ,偶然が重なったのです。
 二日目の夜は福江という町で,「望月」というミシュランにも掲載されたというステーキ店に行きました。とにかく,福江は午後7時を過ぎると商店街すらほぼ全部シャッターが下りていて,さらに商店街から離れると,人通りもほとんどなく通りも真っ暗。本当に人が住んでいるのだろうか,と思うような住宅街の真ん中にこのお店はあるのです。人気の無い通りから扉をくぐったとたん,たくさんのお客さんが賑やかに過ごしてて安心しましたが。とてもおいしかったのですが,ここも,店自体は「オシャレ」とはほど遠い感じのところでした。

 ところが,ここでは今度はなぜだか,ずっとカーペンターズがかかっているのです。
 周囲は地元の人や家族連れが多く,賑わっていて,到底流れている音楽を聴いているとは思えません(それほど大きな音で流しているわけではないので,よく知っている者でないとほとんど聞き取れないと思います)。
 ここでも気になって,支払いをする際にお店の人に聞いたところ,「上司がカーペンターズが大好きでそればかり流しているんです」と言われました。


 単なる「偶然」と言えばそれまでなのですが,思いも寄らない場所での「偶然」に楽しく驚いた僕なのでした。