みなさん、こんばんは。
今日は2024年2月14日(水)ですね。
まずはこちら。。
ツインシュー。。59円でした。
安いけど激うま。。
ジャパンは物価が安くてありがたいです。
こちらは、チャイナの観光地。。
桂林だそうです。
す、すごい人ですね。。
これだけの観光客、ちゃんと宿泊先確保されてるんでしょうかね。。
今日は朝はやる気が起こらなくて、久しぶりに読書。
午後、がんがって何とか1課分の授業用pptと資料を仕上げました。
さて。。
今日は、釜山に着いた翌日。。1月31日。。
こちらの記事の日に行った。。
金海旅行について書きたいと思います。
釜山では日系ホテル、東横インに泊まりました。
朝ごはんは6時半から。。
おなかいっぱい。。がっつりいただきました。
そのせいもあって。。
食後はしばし、部屋で休憩。。
ジャパンのテレビ番組みてたら。。
結局、観光は9時スタートになってしまいました。
で。。
ホテルに出て。。
まずはATMでお金をおろしたんですけど。
何故かカードが使えないATMばかりで。。
結局、お金下ろすまで、結構時間がかかってしまいました。
そして。。
ようやく、観光開始。。
南浦で地下鉄1号線に乗って。。
西面で2号線に乗り換え。。
そして。。
沙上で下車。。
さらに、一旦駅から出て。。
釜山・金海軽電鉄・・・に乗り換えます。
コイン型の切符。。
懐かしい。。
チャイナの地下鉄も昔はコイン型の切符だったんですよね。
で。。
始発の沙上駅から列車に乗ること17駅。。
首露王陵駅で下車します。
目的地に着くまで。。
無茶苦茶時間かかりました。
というか、すでに釜山の隣町、金海市に来ちゃってます。
でも。。
駅からすぐ第一の目的地が見えました。
赤→の小山・・・ですね。
歩いて。。
橋を渡って。。
すぐ。。到着。。
鳳凰洞遺跡公園。。
朝鮮半島の南に5c頃まで栄えた伽倻という連合国。。
その伽耶諸国の中でも最も有力な国だった駕洛国のお城跡が、この鳳凰洞遺跡です。
駕洛国、またの名を金官国とも言い。。
チャイナの歴史書『三国志』では、狗邪韓国と紹介されています。
そのお城跡が見られるのですよね。。
さあ。。
お城跡の観光開始です。
遺跡公園内を歩いていると。。
高床式倉庫・・・がありました。
あ。。
ニャンコでした。可愛いですね。
こちらは駕洛国の騎馬兵でしょうか。
そういえば、この後行った博物館では。。
有力な説として、江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説を紹介してましたね。
当時のコリア騎馬兵が海を渡って、ジャパンを征服したという。。
そして、今の天皇家の始祖にもなったんでしたっけ?
ほぼ定説となっている説ですね。
お城跡に向かって歩いていると。。
あ。。
ニャンコが二匹。。
後ろの(多分)オス?が覆いかぶさろうとしていたんですけど。。
初めてだからか、うまくいかないようでした。
がんがれ。。
と心のなかで応援していたんですけど。。
コリア人のおばさんが、彼らに近づいてパシャパシャ写真を撮り始めたせいで。。
雰囲気ぶちこわし。。
にゃんこ達は逃げるように去っていきました。
デリカシーないですね、コリアおばさん。。
さて。。。
望楼。。
敵を監視してたんでしょうかね。
ここから。。
緩やかな坂を上っていきます。
そして。。
広場に着きました。
ベンチにラブラブ老夫婦が座っていたんですけど。。
その後ろに案内板が立っていたので。。
見に行ってみると。。
バックに大きな岩が。。
ジャパン語の説明もありました。
詳しくはこの画像を拡大して説明を読んでいただきたいのですが。。
この岩の上で、おしっこを遠くまで飛ばす勝負が行われたようです。
駕洛国に残る古い伝承のようです。
感動的ですね。
さて。。
階段を登って山頂へ。。
すぐ着きました。
大きな石がゴロゴロ転がってるだけでしたが。。
昔はここにお城があったんでしょうね。
山を下りて。
先程見たおしっこ飛ばし勝負岩の横を通って下山。。
竪穴式住居もありました。
住居跡の遺跡もありました。
さて。。
1の首露王陵駅から1の鳳凰洞遺跡に行って。
つぎの目的地は3の首露王陵です。
ちょっと歩きましたが。。
『地球の歩き方』の地図を見ながら。。
何とか到着。。です。
入場無料。。
入り口の詰め所に一応職員のお姉さんがいたので。。
ちょっと聞いたところ。。
お姉さん「ジャパン語のパンフレット?ノーノ、ないよ!」
とのこと。
でも。。
いろいろ、ごそごそ探してくれて。。
王陵の英語版パンフと、金海市の観光案内パンフをゲットできました。
右側の金開市の観光案内パンフは、でっかい地図もあって。。
「地球の歩き方」より役立ちました。
さて。。
王陵の見学です。
首露王は伽倻の伝説的な始祖王。。
駕洛国の初代王様で150年も在位したとか。。
まるで初期の天皇みたいな感じですね。
こちらが王陵。。
うーん、これは多分、後世作られたものじゃないかな。。
考古学的調査を経ていて、陵墓の中も見学できると思ってたんですけど。。
これは誤算。。
まあ、チャイナでも、言い伝えに従って後世作っちゃった有名人のお墓。。
結構ありますからね、まあ、仕方ないでしょう。
他には。。
宗廟みたいな建物もありました。
入り口に記念スタンプがあったんですけど。。
インクが切れてて、押してもほぼ図柄は写りませんでした。
さて。。
続いては。。
4の金海邑城北門を目指して歩きます。
途中。。
何かコリアらしからぬ飲食店を発見。。
このメニューは。。
焼き鳥はサテ?マテ?でしたっけ?
ねえねさんのブログで拝見したことがあるような。。
インドネシア料理っぽいですね。
ちょっと気になったんですが。
朝飯のホテルバイキングを食いすぎてお腹が減ってなかったので。。
パスしました。
時間はちょうど正午だったんですけどねえ。。
このあたり、他にもインド料理っぽいレストラン。。
ブラジル焼肉っぽいレストランなど。。
さらに。。
アジア人対象のビザ手続き代行会社の建物や両替商などなど。。
多国籍でした。
さっき観光案内パンフの地図を確認して気づいたんですけど。
グローバル・フードタウンのあたりだったようです。
4の金海邑城北門と方向ぜんぜん違うじゃん。。
実際、このとき。。完全に道に迷ってしまってた僕。。
わけがわからなくなったので。。
一旦。。
3の首露王陵まで戻ることにしました。
今日はここまで。
それではみなさん、さようなら。