3連休ですが、夫は仕事のため、ひとりまったりとすごす。

転職して時間もできたし、暇だし、アメブロの過去ログを全部消して新たに、

単純に日記でも書いて暇つぶししようと思いPCに向かってます。

過去の記事も大してなかったけど消していくの結構大変ね。残しておいてもまぁ良かったかなあと思いつつです。

 

今日は夫の実家から、今年初めて送ったお中元のお返しか、いや去年ももらった気がする、桃が届きました。

夫くんは来週末まで帰ってこないので、ほとんど私が食べることになると思われ。

桃好きです。ありがたい。

いっぱいあるので贅沢に使っても問題なし、

今日は朝作った紅茶に桃を切って入れて、最近リプトンか何かのFBのCMで見たフルーツティーを作ってみました。

 

そのCMではミントとか他のものも入れてたと思うけどうちにはミントはない。

ので紅茶と氷と桃のみ。砂糖なし。

ついでにそのCMではおしゃれなガラスのポットに入れて作っていたが、

私は切ったももを大きめのグラスに1個分全部入れ

急須で入れたやや冷めた紅茶を投入、氷もその上から大胆に(というと聞こえがいいよね、つまり雑にってことだけど)5、6個投入してフォークで混ぜた。

 

そんで

すぐ飲む。

待たない=待てない。

ははは。

 

始めは氷で薄まった紅茶の味のみ。時間が経過すると桃の風味とか甘さが紅茶に移って味は変化しました。

飲み終わりまで、中の桃も美味しかった。

もう何回かは同じのやろう。

 

 

一応週の後半はコンポートかなんかにして賞味期限を伸ばしてみようとは思います。

ジャムもいいかもしれん。

 

…こんなこと書くとおしゃれな生活っぽい。

 

ジャムといえば昨日図書館で借りてきた本が、やや涙出そう系な話からスタートして、楽しんで読んでいます。

夜中にジャムを煮る 平松洋子

を読みながらのピーチティー。

 

これエッセイで、もちろんお涙頂戴ストーリーじゃなくて、

同時に借りてきたジェーン・スーさんの言葉を借りれば所謂ていねいな暮らしの実践ってやつに近いんだろうエッセイ。

じわっときたのは冒頭の著者母の料理エピソード(毎年お祝い事の度にちらし寿司といなり寿しを作ってくれた著者母の、その料理に著者は長年挑戦できずにいて…、という話)。

まぁもう結構、昔からなんでも泣けやすい性質は持ち合わせておりますが、

親の老いを感じだして以降、あと何回お母さんの料理が食べれるか問題を帰省の度に思い出している自分の気持ちにまたちょっと触れた。

 

…こんなこと書くとさぞ料理上手なお母様に育てられた幸せな人っぽい。自分。

 

間違ってもないけど合ってもないというか(どの家庭も一言では言い表せないでしょう)。

 

私の母は確かにいまや料理上手だろうけど、

結婚して初めて作った夕飯、それもカレーを、新婚で優しさに溢れていたにちがいない夫(父)に「まずい!」と言わせたらしいし

おせち料理も茶碗蒸しも何度も失敗したのを見てるし食べたし、

あと熟しすぎてほぼ腐ったんじゃないかってバナナをいれたこれまたカレーはもう20年は前だと思うけど記憶にある、という、

つまり必要に迫られて毎日作ってるうちにできるようになった人。

時間が出来た今も変わってないから専業主婦ではなかったのとは無関係かもしれないけど、たまに食べる昆布出汁料理以外、出汁は味の素で育ちました。

 

勿論私は味の素さんに今もずっとお世話になっています。

が、母の作る味の素出汁の味噌汁は本当に美味しい。

自分の作る味噌汁はなぜか同じ味にはならない。まずくはないけど美味しいとは違う。感動はしないっていうか。あるから食べるっていう感じ。

 

煮干しと昆布から出汁をとってる母に育てられた私の夫、独身時代に料理を練習し覚え、これまたちゃんと煮干しで出汁をとって生活していた彼もいまや私に合わせ味の素ユーザー。

味の素がなくなりそうだと、「まだある?」って言ってくるから多分もう味の素でいいんだと思う。

 

夫の作る味の素出汁の味噌汁は、

本当に美味しい。ちゃんと一口目にああ、美味しい、って思う。出汁の香りがちゃんとする。

うちの母と同じ味がする気がする。それかやや母を上回ってる感すらある。

作り方を見ているに、彼は味の素のパッケージに書いてある分量をきっちり計って計算して作っていた。

あと絶対に沸騰させたりしない←沸騰させたらダメなのは知ってるけどこれ普通なの?いろいろやってたら味噌汁だけ見てるって私にはできないんだけど。

 

うちの母は目分量だけど、はじめはきっと量っていたんだと思う。

 

ピーチティーと同じ要領で毎回適当、まずくはないけど大雑把な私と違う。

高校まで実家である程度お手伝いさせられて多少料理できました、今も適当にやれば食べられる味にはなりますの私と、

不得手だと自覚しているからこそ作り手が「これがベストです!」ってちゃんと研究した分量を覚えた人の差。

 

自分の味噌汁が夫や母の味噌汁と違う理由はわかったものの、

やっぱりこれからも適当に作る予感しかしない。

ちゃんと作る気が、ない。

夫の作る味噌汁はすごく美味しいよ、私のと全然違うよ!と言って褒めて家庭内の空気の円滑な進行を図るという理由は、勿論あります。