貨物列車からいつの間にか、気が付くと船、貨物船に乗っていた。
時々、よく眠っているのか、思い出しても途中途中が切れて繋がらない。
船底にぎゅうぎゅうに詰められ、誰も横になることを許さない位だった。
乳を飲みながら、出ないのか妹は時々泣いた。
だんだん子供の人数が減っていた。大きな釜(五右衛門風呂)からバケツにシャベルで、すくっては何か移している、運んでいる。
私の方にも来た。
小さい器を持たせ、少しずつ皆に分けてくれた、コーリャンだった。
赤い色がついていた。ボロボロしていた。箸で?スプーンで?どうして食べたか分からない。何時も空腹だったのに、おいしい食べ物ではなかった。
船中でも、人が死んだ。
海の中に投げ入れるのも見た。妹が又、泣いている。
日本の港に着いたとき、引揚げ船の上陸だ。
私は母に手を引かれ、皆に押されるように降りた。出迎えの人、抱き合って泣く人、いろいろな人でごったがえした。
母のところへは・・・ 私のところへは出迎えの人は誰も寄って来なかった。
モンペ姿の叔母さんが大勢で私たちに、おにぎりを分けてくれた。
私も一つ貰った。小魚を混ぜた醤油めしの私の手には大きな大きなおにぎりだった。すごくおいしかった。生まれてはじめて食べるおいしさだった。
港から自分の親、兄弟の元へ向かって汽車に又乗った。
貨物列車ではない一応、客車だったが、窓には全然外が見えない位に板を釘で打ち付けてあった。中は身動きはおろか、これ以上一人も無理という位乗っていた。
母は不安げな顔をしていた。妹が時々火のついた様に泣いた。
私が小便の時、母の頼みで移動もできない混雑の中、叔父さんたちの頭の上を、叔父さんたちに手渡しされ、どこか知らない叔父さんに抱かれ連結器の所で小便をさせてもらった。
その時、上を見たら乗り切れない人が汽車の屋根に乗っていて、その叔父さんたちの手や足がいっぱい見えた。
何時間も何時間も乗った。急に騒がしくなった。
板と板の細い隙間から外を見てびっくりし、泣く人も大勢いた。
広島・・・見渡す限り焼け野原だった。何時までもどよめいていた。


