私の高校時代の数学の時間というのは、最悪でした。

別にできないということではなく、中でも微分積分が得意でした。

最悪の原因は、中間テスト・期末テスト、4問しか問題がなく配点を考えると一問25点

間違えると当然の結果が付いてきます。これはまだいい方でした。私にとって。

 

私はなぜかくじ運が悪く、中庭の見える隅っこの一番前の席でした。

先生が黒板に問題を書き、横、縦、斜めいずれにしても、私が必ず当たり

黒板に板書するわけです。まだ習ってないところが出たりするので、

授業を終えた隣の教室からノートを借りてきていました。

ある日ラッキーなことに、廊下側の隅の席が空いていました。

そこに移動すると「○○さんには悪いけど休んでくれてありがとう」って感じ。

つかの間の幸せでした。「さあ、今日は反対側から行ってみようか」

 

私にとって数学よりも物理が苦手だったので、そちらの方が問題だったのに。

数学の時間の為、超苦手な物理まで気が回らず、ある日決意しました。

担任の先生に数学の時間について直訴しました。

 

担任の先生は知事の元秘書で、私のことは年賀状に「美しく高潔で清廉な人」と書いてあったので何とかなると思いました。しかも、なぜか「結婚式には必ず呼んでほしい。どこからでも駆けつけるから」その時、イタリアに撮影旅行に行った叔父を思い出し「イタリアからでも?」

「もちろんよ。世界の果ていようと絶対にくるから.....」なぜだろう.....なぜかしら....。

 

「先生、数学の時間のことですが、何とかしてください。毎回当たると疲れます。毎日が地獄のような数学の時間です。」担任の先生は、私の言葉を伝えたらしく「どの子やろ。またよろしくといっておいて」と言われたそうです。絶望感ひとしお。その時、政治経済の先生が「あの子はいつもぼんやり外を眺めいうけど、なにをみいうがやろ.....」とひとしきり私のことで盛り上がったそうです。「ああ、そうかいそうかい毎回毎時間あてといて、顔すら覚えてなかったんだ.....」

 

自分は時々数学を自習にして、問題用紙を配りどこかに姿を消していました。

いくら優秀な先生とはいえ、宿直室で「碁」を打ってさぼっていました。

これは有名な話で「自習=宿直室=碁」という数式のようなものでした。

 

私たちといえば、皆で食堂に行ってそれぞれに、好きなものを間食していました。数学の自習は間食の時間。先生も知っていたと思うけど何も言わなかったなぁ。ある意味で本当の「自由」だった時代です。

 

私にとっては悪夢のような学生時代でした。

先生がいつもよそ見しているというのは、もはや先生と顔が合うのが嫌だったからです。

其れよりも丘の上に放牧してある、牛を見ていた方が幸せというもの。

でも牛舎に帰る牛と目が合ってはいけません。

友人はそのため追いかけられて。校庭中を放棄を持ったまま逃げ回りました。

今は生徒数は50名くらいだと聞いています。私の頃は4クラスありました。

http://www.kochinet.ed.jp/kubokawa-h/mt/

この木の門が特徴でした。普通科と農業科があり。搾乳したての牛乳はある意味ブランド品でした。