間新六郎光風

(享年24歳)

裏門部隊

はざましんろくろう

みつかぜ

 

 

延法8年、赤穂浪士間光延の次男。

妾の子として産まれる。

 

父親は赤穂浪士、裏門部隊・間喜兵衛光延。

兄は赤穂浪士、表門部隊・間十次郎光興。

※兄の十次郎が吉良に一番槍をつけ

首級をあげている。

 

祖父以来間家に伝わっていた、

天流剣術を父より学ぶ。

 

赤穂藩舟奉行・里村右衛門の養子に

出されるも、養父との折り合いが悪く、

出奔して浪人となる。

秋元但馬守の家臣・中堂又助に嫁いだ

姉を頼り、江戸に出た。


元禄14年3月14日に浅野内匠頭が

吉良上野介に切りかかる事件が起き、

赤穂藩が取り潰しとなる。

新六郎は、仇討ちの義盟に父と兄が

加わっていると知り、大石内蔵助に帰参と

義盟の参加を懇願したが断られたため、

堀部安兵衛や奥田孫太夫を通じ、

再度願い出た結果、義盟を許される。

 

その後新六郎は江戸へ下った父と共に、

新麹町4丁目大屋七郎右衛門店に潜伏。

杣荘新六郎(そまのしんろくろう)と

名乗っていた。

 

元禄15年12月14日、

吉良上野介討ち入りでは裏門部隊に所属。

野外で戦う。

 

討ち入り後は長門長府藩・毛利綱元の

麻布上屋敷にお預けになる。

 

元禄16年2月3日、

新六郎は短刀を手に取るや本当に切腹。

新六郎はただ一人肌も脱がずいきなり、

三宝の脇差を取って腹に突き刺し、

横一文字に切り裂いた。

驚いた介錯人の江良清吉が

急ぎ首を落とした。

検視役の斎藤治左衛門らが

駆け寄ると、「見事」と

褒め称したと伝わる。

 

 

※元禄時代の切腹は扇子腹といい、

ポーズだけ取って、本当には

お腹を切らないが義士の中で唯一、

新六郎だけが本当に腹を切った、とある👀‼️

ひょえー😨

 

亡骸は義兄の中堂又助に引き取られ、

築地本願寺に葬られる。

切腹した46人の浪士の中では唯一、

泉岳寺に墓がないとの事。

 

切腹に使用した

「国助 短尺・脇差」及び、

間家伝来、「同 二尺二寸・小刀」は、

泉岳寺の住職が無断で売却し、

寺の費用に充てたため、現存しないとある。

 

独身であり、妻子は居らず。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

って言うか・・・最後の何??

泉岳寺の住職が脇差を無断で売却し、

寺の費用に当てた・・・???

><

 

ちょっと・・・・何それ・・・。

酷ないですか???><

金に目が眩んでないか??><

 

 

浪士の像からは、ちょっと

ちょっと気難しそうな人間な雰囲気ですね。

折り合いが悪く・・・何となく納得・・・笑

 

 

やんちゃだったのかなあ?と^^;

キカン気が強そうですもんね。

そう思うと、躊躇なくホントに

脇差を横に刺したってのも凄い・・・。

やるときはやる!そういう感じ。

 

 

 

何で一人だけ泉岳寺じゃないのかも

気になりました・・・。

だって、お父さんもお兄さんも

泉岳寺に葬られてるのにね。

 

 

24歳、奥さんもお子さんも

居ないままに亡くなって・・・。

対するお父さんは新六郎さん、

妾に産ませてるんですね・・・(ーー;

 

 

妾って・・・><

 

 

 

ホント、若くして亡くなっているので、

生まれ変わっているとすれば、

幸せを感じられる人生を

満喫してほしいと願います。

 

 

 

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