間瀬孫九郎正辰
(享年23歳)
裏門部隊
ませまごくろう
まさとき
天和元年、赤穂藩大目付の
間瀬久太夫正明(赤穂浪士)の長男として誕生。
家督は継いでおらず部屋住みの身であった。
元禄14年3月14日、
主君浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり、
切腹となると父と共に、大石内蔵助に
誓書を提出し、主君の仇討ちを志した。
父・間瀬久太夫と共に赤穂藩飛び領の加東郡に
滞在していたが、元禄15年9月には
江戸に下向し、10月には父の間瀬久太夫も
江戸下向。三橋小一郎と称し、
新麴町4丁目の中村勘助の借家に入る。
三橋と言う苗字は曽祖父の苗字を使用。
吉良邸に討ち入りの際は裏門部隊に所属。
野外の警戒役として活躍した。
吉良の首をあげた後は、
水野忠之の屋敷へ預かりとなった。
元禄16年2月4日。
水野家家臣、小池権六の介錯で切腹。
享年23歳。
主君浅野内匠頭と同じ、
高輪泉岳寺に葬られた。
心の優しい青年だったと言われ、
吉良邸から引き上げる途中、
槍に着けていた袖印
※敵味方を見分けるための目印
を見物人の子供に欲しいと言われ、
与えたと言う逸話があるとのこと。
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23歳もまた・・・若い・・・。
心優しい青年・・・。
像から、優しくて、実直そうな感じが、
にじみ出ている気がします^^
意外に赤穂浪士の若いお兄ちゃんたちは、
案外心の優しい人が多かった?
んじゃないかな?と思うんです。
浪士とか言っても、全然
普通の男の子だっただろうし・・・。
奥さん子供の話がないので、
この方も結婚せずに亡くなったのかな・・・。
こうやって調べてると、何というか・・・。
最近芸能人の結婚なんかでも
似たような事を書かれてますね(ーー;
妻と子は居らず→妊娠はしていない
みたいな・・・。
浪士やから、妊娠はないけども。
あっ、それた・・・。
さあさあ、次々と赤穂浪士、
全員、順番にご紹介していきますね^^
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