Macalonの敬愛する神様・・・。

赤穂大石神社さん

忠臣蔵のふるさと 赤穂大石神社オフィシャルサイト|兵庫県赤穂市上仮屋旧城内 (ako-ooishijinjya.or.jp)

兵庫県赤穂市上仮屋131-7(旧城内)

 

今日はこの、私が普段から敬愛してやまない、

赤穂大石神社さんをがっつりと、ご紹介します(*^ー^v

Photo By.Macalon

 

赤穂大石神社の入り口・・・

赤穂浪士が武器を構えた像が

ずらっと並んで猛烈に圧巻!

私はこの写真をポスターにして

自宅に飾っています(*^ー^v

 

忠臣蔵としてとても有名ですよね・・・。

 

ちょいちょい映画になったり、年末には特番があったりと。

私、実は全く詳しい事を長い事知らなくて・・・

それで今、こんなにお世話になっている次第です・・・。

忠臣蔵って言う言葉は知ってても、忠臣蔵の事って、

実は詳しく知りませんでして・・・。

ご縁が出来てお世話になり出して初めて、

調べるようになっていったというわけです。

 

 

浅野内匠頭が吉良上野介に

切りかかる事件が起きて、

その日のうちに切腹となり、

浅野家は取り潰しとなりました・・・。

※吉良上野介が浅野内匠頭に対して

今で言う「パワハラ」をしたことが

原因であると言う話もあるわけですが・・・

今も昔もやっぱりあるんですね(ーー;

これが第一の事件。

 

その後、浅野内匠頭の家臣、大石内蔵助含む、

赤穂浪士たちが吉良を討つべく計画を入念に練り・・・。

見事、主君の恨みを果たし、その後切腹の処分を受け、

劇的な終焉を遂げた・・・。

これが第二の事件。

 

この二つの事件を合わせたものが

忠臣蔵

と呼ばれるものです。

 

赤穂浪士様達の故郷でもある、

兵庫県赤穂市(あこうし)に赤穂大石神社はあります。

 

御祭神

 

赤穂藩、浅野家

(赤穂藩主、浅野氏の3代・・・長直、長友、長矩)

 

浅野家の後に赤穂藩主となった、

森家遠祖の七武将

(森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸)、

森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)、森忠政)

 

赤穂浪士、四十七士

 

像の写真全部載せたいけど今日は量が量なんで

絶対に載らへんので我慢(ーー;  

また別日にやろうと思います(^^♪

なんせ写真が逆光で暗く、お顔がはっきりせんので・・・

イケメンたち勢ぞろいで載せたいじゃないですか~爆

 

大石内蔵助様だけとりあえず載せますw

大石内蔵助良雄(享年45)表門部隊

おおいしくらのすけよしお(よしたか)

国家老、1500石。討ち入りの指導者。

この写真、〇の討ち入りが終わった後

私が撮ったもので、内蔵助様の写真から、

雷のような光がご本人の手元に映っていたものです。

 

大石主税良金(享年16)裏門部隊

おおいしちからよしかね

(大石内蔵助長男)

大石内蔵助様の息子さんです。

像は内蔵助様の反対側にあります。

とても優しそうな表情の像です^^

 

原惣右衛門元辰(享年56)表門部隊

はらそうえもんもととき

足軽頭、300石。

 

片岡源吾右衛門高房(享年37)表門部隊

かたおかげんごえもんたかふさ

測用人・児小姓頭、350石。

仇討ちを強硬に主張し独自の行動を取っていた。

 

堀部弥兵衛金丸(享年77)表門部隊

ほりべやへえかなまる(あきざね)

前江戸留守居、前300石。浪士の中で最年長。

 

堀部安兵衛武庸(享年34)裏門部隊

ほりべやすべえたけつね

越後国新発田藩出身、堀部金丸の婿養子。

仇討ち急進派の中心人物。

安兵衛様は有名ですね・・・新潟の人でしたか・・・。

忠臣蔵でもこの方のお名前はさすがのMacalonでも存じ上げております><

 

吉田忠左衛門兼亮(享年64)裏門部隊

よしだちゅうざえもんかねすけ

足軽頭・郡奉公、200石やくりょう50石。

浪士の中では大石内蔵助に次ぐ人物としてこれを補佐。

 

吉田沢右衛門兼貞(享年29)表門部隊

よしださわえもんかねさだ

吉田兼亮の長男。

 

近松勘六行重(享年34)表門部隊

ちかまつかんろくゆきしげ

馬廻、250石

 

間瀬久太夫正明(享年63)表門部隊

ませきゅうだゆうまさあき

大目付、200石役料50石

 

間瀬孫九郎正辰(享年23)裏門部隊

ませまごくろうまさとき

間瀬正明長男。

 

赤埴源三重賢(享年35)裏門部隊

あかばねげんぞうしげかた

馬廻、200石。忠臣蔵では「徳利の別れ」で有名。

徳利??とっくり?お酒??のん兵衛さんだったのだろうか・・・><

 

潮田又之丞高教(享年35)裏門部隊

うしおだまたのじょうたかのり

郡奉行、絵図奉行、200石。

吉良を打ち取るとその首を槍先に括り付け引き上げた。

 

富森助右衛門正因(享年34)表門部隊

とみもりすけえもんまさより

馬廻・使番、200石。

 

不破数右衛門正種(享年34)裏門部隊

ふわかずえもんまさたね

元馬廻・浜奉行、元100石。

討ち入りでは最も目覚ましい働きをしたと伝わる。

刀の刃がボロボロに欠けるほどの動きをしたとの事。

像は長い長い槍を持っておられ、やたらめったなくパワーを感じましたが、

存在感がありありだったのはそのせいでしたか・・・。

 

岡野金右衛門包秀(享年24)表門部隊

おかのきんえもんかねひで

美男で、忠臣蔵の物語では大工の娘を通じて、

吉良屋敷の図面を手にいれる。

も~何々?この方・・・男前だったの?爆 

次行くときそんな風に見ちゃうじゃないの~爆

と調べながら思ったミーハーなMacalon(爆)

 

小野寺十内秀和(享年61)裏門部隊

おのでらじゅうないひでかず

京都留守居番、150石役料70石。

 

小野寺幸右衛門秀富(享年28)表門部隊

おのでらこうえもんひでとみ

小野寺秀和の養子で、大高源吾の弟。

討ち入りでは入り口の相手方の武器を壊し活躍したとされる。

この人・・・なんか気になるんですよね。

最初写真を撮った時からほぼ毎回、

写真に何か映してきて私に何かの信号を送ってます。

大高源吾様の実弟さん。

 

木村岡右衛門貞行(享年46)裏門部隊

きむらおかえもんさだゆき

元馬廻・絵図奉行、元150石。

 

奥田孫太夫重盛(享年57)表門部隊

おくだまごだゆうしげもり

武具奉行・江戸定府、150石。

仇討ち急進派の中心人物。

 

奥田貞右衛門行高(享年26)裏門部隊

おくださだえもんゆきたか

奥田重盛の養子で近松勘六の異母弟。

 

早水藤左衛門満堯(享年40)表門部隊

はやみとうざえもんみつたか

馬廻、150石。刃傷事件の第一報を江戸から赤穂へ伝える。

 

矢田五郎右衛門助武(享年29)表門部隊

やだごろうえもんすけたけ

馬廻・江戸定府、150石。

 

大石瀬左衛門信清(享年27)裏門部隊

おおいしせざえもんのぶきよ

馬廻、150石。

 

磯貝十郎左衛門正久(享年25)裏門部隊

いそがいじゅうろうざえもんまさひさ

物頭・側用人、150石。

 

間喜兵衛光延(享年69)裏門部隊

はざまきへえみつのぶ

勝手方吟味役、100石。

 

間十郎光興(享年26)表門部隊

はざまじゅうろうみつおき

間光延の長男。吉良に一番槍をつけ、その首級をあげた。

吉良に最初に切りつけた人!初めて像の写真を撮った時、ピンクの光を

写し込んできました・・・。ただならぬ「気」を感じさせてくださいました。

 

間新六郎光風(享年24)裏門部隊

はざましんろくろうみつかぜ

間光延の次男。

 

中村勘助正辰(享年46)裏門部隊

なかむらかんすけまさとき

書物役、100石。

 

千馬三郎兵衛光忠(享年51)裏門部隊

せんば(ちば)ざぶろべえみつただ

馬廻、100石。

 

菅谷半之丞政利(享年44)裏門部隊

すがやはんのじょうまさとし

馬廻・郡代、100石。

 

村松喜兵衛秀直(享年62)表門部隊

むらまつきへえひでなお

扶持奉行・江戸定府、20石5人扶持。

 

村松三太夫高直(享年27)裏門部隊

むらまつさんだゆうたかなお

村松秀直の長男。

 

倉橋伝助武幸(享年34)裏門部隊

くらはしでんすけたけゆき

扶持奉行・中小姓、20石5人扶持。

 

岡嶋八十右衛門常樹(享年38)表門部隊

おかじまやそえもんつねしげ

札座勘定奉行、20石5人扶持、原惣右衛門の弟。

 

大高源吾忠雄(享年32)表門部隊

おおたかげんごだだお(ただたけ)

金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持、小野寺幸右衛門秀富の兄。

吉良邸で12月14日に茶会があることを突き止めた。

大高源吾様はあの像の中で

一番最初に目線を感じた像でした。

物凄い目力で、

何かを訴えかけて来てました・・・。

そのこともあり、全部の赤穂浪士の像の

写真を撮ってみようとなったわけです。

毎回写真に何か写し込んでくる

小野寺幸右衛門様の実兄様です。

 

矢頭右衛門七教兼(享年18)表門部隊

やこうべえもしちのりかね

何やら、女性のような綺麗な面持ちで、

物凄いイケメンだったとか・・・爆

写真があるなら見たいです!

どこ見ても右衛門七様はイケメンって出てる・・・。

何だとぉぉぉぉ???みたいみたいみた~い!笑

 

勝田新左エ門武堯(享年24)表門部隊

かつだしんざえもんたけたか

札座横目、15石3人扶持。

 

武林唯七隆重(享年32)表門部隊

たけばやしただしちたかしげ

馬廻、15両3人扶持。

炭小屋に隠れていた吉良を見つけて討ち取った。

大高源吾様の像から出口の方にある像ですが、

とても優しい表情をしています。

こんな優しい顔の人が吉良をやるのだから、

相当な怒りだったのでしょうね><

 

前原伊助宗房(享年40)裏門部隊

まえばらいすけむねふさ

金奉行・中小姓、10石3人扶持。

江戸で呉服屋を開き、吉良屋敷を探索した。

 

貝賀弥左衛門友信(享年54)表門部隊

かいがやざえもんとものぶ

中小姓・蔵奉行、10両3人扶持。吉田兼亮の弟。

 

杉野十平次次房(享年28)裏門部隊

すぎのじゅうへいじつぎふさ

札座横目、8両3人扶持。

 

神崎与五郎則休(享年38)表門部隊

かんざきよごろうのりやす

徒目付、5両3人扶持

 

三村次郎左衛門包常(享年37)裏門部隊

みむらじろうざえもんかねつね

台所奉行・酒奉行、7石2人扶持。

 

横川勘平宗利(享年37)表門部隊

よこかわかんべいむねとし

徒目付、5両3人扶持。12月14日に吉良屋敷で茶会があることを調べる。

 

茅野和助常成(享年37)裏門部隊

かやのわすけつねなり

横目付、徒目付、5両3人扶持。

 

寺坂吉右衛門信行(享年83)裏門部隊

てらさかきちえもんのぶゆき

吉田兼亮の足軽、3両2分2人扶持。討ち入り時は38歳。

事件後にいくつかの家につかえた後江戸にて没。

あ~><この方は討ち入りで亡くなってないんですね・・・

だからなのかな、像が他の像に比べるとやたら、

あっさりしてるように感じた・・・・。

意味がありましたねえ、こうやって

全員の事を調べてみると確かに分かる・・・。

 

 

一気にざ~~~っと調べて・・・力尽きちゃったどどど~~~ぉっと。

 

orz

 

と言った方々が神様として祀られております・・・。

こうして見てみると・・・赤穂浪士は親子だったり、兄弟だったり、

親類だったりで討ち入りしてますね・・・。

しかも結構みんな若いし・・・・・。

 

名前も結構カッコいいやんって思うんですが、

どうでしょうか??光風(みつかぜ)さんとか素敵♪

赤穂浪士から名づけでもいいかもしれませんね~(*^ー^v

 

昔って本当に、忠誠を尽くすのが

当たり前の世界だったんでしょうね・・・。

これだけの事をやり遂げるためにこれだけの人数で、

入念に丹念に下調べをして・・・・。

吉良を間違いなく討ち取ったんですからね・・・・。

本当に・・・凄い事だなと思います。

 

そんな義を通す方々を祀っておられる赤穂大石神社さん。

大願成就の神様として知られております。

 

こうやって、四十七士様の事を調べていくと親近感も湧いて・・・。

お参りに行くのが楽しみになってきたりします^^

こんな風に調べてたりすると顔に冷風を感じたりするので、

赤穂浪士を敬愛している想いは思念で伝わるのでしょうね・・・。

 

私は大層に、あの世の〇の一族の仇討ちでは

赤穂浪士様方にはお世話になりました・・・。

〇の一族を討ち取って下さってる筈なので・・・。

〇のあの世の一族からの霊障は起きなくなりましたからね・・・。

ホント凄いです・・・

赤穂浪士様方には一生もんの感謝しかないです。

 

車のお守りや、ステッカーなんかもあるので、

赤穂浪士様に守って頂きたくて、

車関係のお守りは赤穂大石さんのにしてます^^

 

ああ~一気に紹介しちゃいました・・・。

いつか・・・コロナが落ち着いたら・・・

赤穂浪士ゆかりの泉岳寺にも行ってみたいなあ。

 

 

 

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