今日はちょっと時間を戻して、

私の体験談として・・・。

 

霊となった(元)亡き夫の性格について

書こうと思います。

 

死んで霊になると当然姿は見えないし、

どこにいるのかもわからない。

 

私の場合は、私が盲目に愛している状態だったので、

亡くなった時はただひたすらに悲しく辛く、

毎日泣き暮らしてました。

 

ただ、(元)亡き夫はと言うと、

亡くなって蓋を開けてみれば、

次の女が見つかるまで、

私を傍に置いて、

お金を貯めながらの家事付きシェアハウスとして、

とりあえず一緒に居ただけだったわけです。

 

お金は私とは半々で、

養ってもらったことは一度もなく・・・。

稼いだお金は自由に使いたい放題使っていたわけです・・・。

上手く行けば他の女とやり直ししようと。

 

隠れてソープにも通っていたし、

女をネットゲームで探して

あらかた見つけてもいた・・・。

でも、希少な病気になって、

1年で亡くなる羽目になった。

 

事実、病気になった時には

完全看護の病院であるにも関わらず、

私に正社員の仕事を辞めさせてまでも、

 

「毎日休まず看病に来てくれ。

 俺に何かあったら

 あなたは後悔するだろうから」

 

と・・・上手い事をいっては自由を奪い、

 

その先の私の未来を考えることなく

正社員をしていた仕事を辞めるように指示し、

仕事を奪い・・・。

 

毎日朝から晩まで看病にこき使った。

 

逆だったら・・・

 

おそらく私は捨てられ、見つけていた女と

やり直しをしたでしょうね・・・。

病気になる前の健康な時には

 

「子供が出来ないなら別れてくれ、

 俺を父親にしないつもりか」

 

と平気で言い放った。

私がもう子供を産めないような年齢になりかけてから

結婚しようと言い出し、

子供が欲しいと言い出し・・・

不妊治療することになると、

お金が減るわ、子供は出来ないわで、

機嫌が悪くなっていく始末・・・・。

検査結果で自分にも原因があることが分かっても、

全て私の年齢が原因で子供が出来ないんだと。

原因はすべて私に押し付けた。

 

結婚前は、

 

「子供が出来なかったら

 二人で仲良く

 暮らして行けばいいやん」

 

と言っていたのに。

 

「子供が出来なかったら、

 二人で仲良く生きて行けば

 いいやんって言ったやん」

 

と言えば、

 

「人の気持ちは変わるもんやで」

 

と悪びれることなく平然と言い放ち・・・。

でも病気になった途端、

 

 

「貴女が介護することになったのも

 運命や。

 大好きやで。愛してる。

 生まれ変わってもまた夫婦になろうな、

 必ずまた見つけるからな」

 

と本心とは違う嘘を言いながら私の愛情を利用し

最後まで休まず介護させた・・・。

 

※不妊治療についての記事はまた別で折に触れます。

恐らく不妊治療で苦しんでいる方もいると思うので・・・。

何かヒントだったり、

私の経験が役に立てればと思いますので・・・。

 

基本、常に自分さえ良ければいいと言う人間。

 

私が従順なことをいいことに、言いなりになると思っていた。

老後は自分の地元に暮らしたいと言うのも良く言っていましたが、

結局それも、実はめぼしい女が地元近くの他県に居たからです。

病気になって、余命がわずかとなり、その女との夢が叶わないと分かると、

今度は私を自分の地元に永住させ、自分の母の老後の面倒を見させようとした。

住まいをきめるにしても、誘導尋問して私が自分の地元に来るように

仕向けて行ったわけです・・・全てが計算ずく・・・・。

 

それが亡くなってからも続くように、

死ぬ前から用意周到に、サプライズだと称して

自分との思い出のアルバムをドラマチックに仕立てて沢山作り、

それを見た私を永遠にがんじがらめにしようと・・・。

 

実際に死んでしまう前にも

 

「生まれ変わったら

 また夫婦になろうな」

 

と私に気持ちが1mmもないのに

私を縛り付けるために親族の前でも

何度も何度も嘘をいいました。

 

看病している間もずうっと、

私の体調などおかまいなしに、

私をこき使い、

礼を言うことなく当たり前に使っていました・・・。

その間も他の女とのラインは

悪びれることなく楽しんでいました。

 

姑も私に看病を丸投げし、

 

「しんどいでしょうけど、

 よろしくお願いします~」

 

「見てるのもつらいでしょうけど、

 宜しくお願いします~」

 

と常に他人事・・・

姑も兄弟も私に看病を任せて旅行の計画を立て、

兄の闘病中なのに構うことなく旅行に何回も行き・・・。

海外へも旅行に行ってました・・・

命がかかった治療をしているのに・・・

普通こんなの考えられませんよね・・・。

 

結婚の時には反対していたのに、

病気になった途端に

 

「宜しくお願いします」

 

しか言わない。

 

 

たまにしか行かないし、

 良くわからないのでお任せします」

 

 

とほとんど来ない。

母親も兄弟も面倒など見たくなかったのでしょう。

自分の息子、自分の兄なのに。

 

夫も母に迷惑を掛けたくなかったのでしょう。

 

私にばかり看病を任せても申し訳ないの一言も、

ありがとうの一言も。

夫も姑も兄弟達も私に何一つ言う事はありませんでした。

看病している間のお金は全部私が出していました・・・。

夫は自分の懐から出すことなく、渡すこともなく・・・。

思えば母に後々お金が少しでも渡る事を考えていたのでしょう。

心底私よりも母親が大事だったことが分かります。

 

夫も、姑も、兄弟も。

人の心など持ち合わせてない人種だなと想っていました。

 

その2に続く。