今日は本業のミーティングの中で感じたことについて書きたいと思う。
今日、8月のアサイン表がミーティングで発表された。私たちの仕事は、毎月担当する医療機関が変わる仕組みになっている。特定の人しかできない状態(属人化)を防ぐための、ローテーション方式だ。このアサイン表は管理側が作成することになっている。
今回は退職者が出たこともあり、残ったメンバーでかつかつに業務を担うことになった。管理側は、日々の工数を集計し、なるべく平均的になるようアサインを決めているらしい。ただ、数字の上で平均化しても、実際の現場には、仕事が早い人もいれば、マイペースにじっくり進める人もいる。同じ工数の数字であっても、その中身は人によってさまざまなのだと、日々の業務を通して感じている。
このアサインの仕組みは、基本的に自分の担当以外には簡単に手を出せないようになっている。けれど今回は人数もぎりぎりだったので、手が空いた人が状況を見て、適宜ヘルプに入る形で回していけば、どこか一箇所だけが遅れるということもなく、全体としてバランスよく進められるのではないかと思った。そこで、そうした形で進めてよいか、こちらから確認してみることにした。
すると、返ってきた答えが、少し掴みどころのないものだった。
「チェック機能が死なないかということを懸念しています。そうならないようにできますか?」
正直、何を伝えたいのか、すぐには理解できなかった。
「チェック機能が死ぬとは、どのような状況を指していますか?」
とこちらから聞き返してみると、
「誰か一人に偏りが出て、チェックが機能しなくなることです」
という答えが返ってきた。
その場は、一瞬みんなが黙ってしまうような空気になった。すかさず別の方が
「管理側でも進捗を把握したいので、ヘルプに入るときは一声かけていただけると助かります」
と、分かりやすい言葉で場をまとめてくださり、ミーティングはそのまま終わった。
こういう、少し回りくどい言い回しでやり取りをされる場面に、これまであまり出会ったことがなかった。伝える側が、どんな意図でその言葉を選んでいるのか。その言葉の奥から、何を汲み取ればいいのか。もしかすると、これもまた一つのコミュニケーション能力が試されている場面なのかもしれないとも思う。
ただ、こうしたやり取りが続くと、一つ気づいたことがある。理解が追いつかない側が、だんだんとコミュニケーションそのものを諦めてしまうということだ。何を言いたいのか掴みきれないと、耳も頭も、半分以下の力でしか聞こうとしなくなる感覚がある。最初からそうしたフィルターがかかった状態で会話が始まってしまうと、本当は大切で、ためになる話をしていても、半分も届かないままになってしまう。それは、とてももったいないことだと感じた。
伝える側にとっては、丁寧に、正確に言葉を選んでいるつもりなのかもしれない。でも、受け取る側にその意図がうまく届かなければ、どれだけ丁寧な言葉も、力を発揮できないままになってしまう。伝えることの目的は、正確さそのものではなく、相手にきちんと届くことのはずだ。今日のやり取りを思い返しながら、あらためてそう感じた。
もしかすると、日々のやり取りの中で、自分自身にも似たようなことがあるかもしれない。良かれと思って選んだ言葉が、相手にとっては分かりにくいものになっている場面が、これまでにもあったかもしれないと思うと、少し身が引き締まる思いがする。だからこそ、私はもっと素直で、スムーズなコミュニケーションが取れる人間でありたいと思う。どんな相手の心にも、すっと自然に入っていくような言葉を選べる人でありたい。
書く仕事を目指す身として、これは決して他人事ではないとも感じている。文章もまた、誰かに届いて初めて意味を持つものだからだ。どれだけ丁寧に書いたつもりでも、読み手に伝わらなければ、それは独りよがりの言葉になってしまう。今日感じたもどかしさを忘れずに、相手の立場に立って言葉を選べる書き手でありたい。今日は、そのことを強く感じた一日だった。