第31話 ソウマの最初のタグ完成
夜明け前の川沿い。空はまだ暗く、街灯だけが道を照らしている。ソウマは一人、あの橋の下に立っていた。
ノートは持っていない。もう、見る必要がないとわかっていた。
壁には、前からあった古いタグと、王冠のマーク。そして自分が重ねてきた「Love letter」の跡。
「ここで、終わらせる」
スプレーを握る手は、前よりも静かだった。
一画目。重さを乗せる。二画目、流れをつなぐ。間をあける。
迷いは出ない。止まり方も、動きも、全部が自然につながる。
最後に、あの矢印。
意識しなくても、同じ形が伸びた。
完成した「Love letter」は、これまでのどれとも違った。整っていないのに、崩れていない。
「…これが、自分のタグ」
後ろから足音。
振り返ると、カズさんとユナがいた。
ユナが小さく言う。「変わったね」
カズさんは壁を見たまま答える。「やっと“書いた”な」
その時、風が強く吹く。古い塗装がはがれ、王冠のマークの下に、さらに別の文字が現れる。
三人とも、言葉を失う。
そこには、同じ「Love letter」があった。
しかも、ソウマの今のタグと、ほとんど同じ形。
「…なんで」
ソウマの声が震える。
カズさんが低く言う。「これは偶然じゃない」
ユナが壁に近づく。「じゃあ、これ…誰が先に書いたの?」
沈黙。
カズさんは一度だけ目を閉じる。
「そのタグはな、“残るやつ”だ」
「残る…?」
「人じゃなくて、場所に選ばれる」
意味がわからないまま、ソウマはもう一度自分のタグを見る。
同じ形が、時間を超えて並んでいる。
その時、足元に転がっていた古いスプレー缶が目に入る。錆びているのに、キャップだけが新しい。
拾い上げると、小さく名前が刻まれていた。
「…SOU…MA?」
自分の名前と同じ。
背中が冷たくなる。
遠くで始発電車の音が響く。光が少しずつ広がる中、壁の「Love letter」が、まるで増えたように見えた。
カズさんが言う。「ここから先は、遊びじゃない」
ユナも何も言わない。
ソウマはスプレーを握り直す。
自分が書いたはずのタグが、自分のものじゃないかもしれない。
それでも、目をそらさなかった。