【小沢氏秘書初公判】(1)長い沈黙の後「違反とは考えていなかった」(産経新聞)

 《小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」などの政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記載など)罪に問われた陸山会の元会計責任者で小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)の初公判が18日午後、東京地裁(登石郁朗裁判長)で始まった。西松建設からの企業献金を隠すため、ダミー団体を通して受け取っていたとして起訴された大久保被告。公判前から「やましいことをした覚えはない」などと主張しており、公判では検察側と弁護側が全面対決することになる》

 《大久保被告は今年3月、東京地検特捜部に逮捕・起訴された。当時同党代表だった小沢氏は代表辞任に追い込まれたが、当時野党だった民主党の政権交代の機運が高まっていた時期だったことなどから、同党側や一部マスコミが「国策捜査だ」などと猛反発。小沢氏も「一点のやましいところもない」などと述べている》

 《献金した西松側の公判は、すでに終わっており、国沢幹雄元社長に同法違反罪で禁固1年4月、執行猶予3年の有罪判決が出るなどし、全員の判決が確定。残る大久保被告の公判の行方が注目される》

 《午後1時28分。東京地裁104号法廷には、登石裁判長らと検察官、弁護人双方がそろっている。大久保被告が入廷してくる。濃いグレーのスーツに、ストライプのネクタイ。眼鏡をしている。固い表情で、まっすぐ証言台へ向かい、裁判長の方を見据えて立つ。それを確認して、登石裁判長が開廷を宣言する》

 裁判長「それでは開廷します。名前を確認しますので、名前を言ってください」

 被告「大久保隆規です」

 裁判長「職業はありますか」

 被告「国家公務員です」

 《大久保被告ははっきりとした口調で答える。職業は「国家公務員」。衆院議員の公設秘書は国家公務員だ》

 裁判長「では検察官は起訴状を朗読してください」

 《検察官の1人が立ち上がる》

 検察官「被告人、大久保隆規は第1に…」

 《起訴状などでは、大久保被告は平成15~18年、陸山会と民主党岩手県第4区総支部(4区支部)などが、西松から受けた3500万円の献金を、ダミー政治団体から受けたと政治資金収支報告書に虚偽記載したとされる。このうち、平成18年10月ごろ、陸山会で受けた100万円は「政治家個人への企業献金受領」、4区支部で受けた200万円は「第三者名義寄付の受領」に当たるとされる》

 検察官「第2に…」

 《検察官は、第1と第2の2つに分けて起訴内容を朗読していく》

 《これまでの検察側の主張では、西松の不正献金は9年ごろから、岩手県と秋田県の公共工事受注で小沢事務所から「天の声」を得るため行われており、大久保被告は12年ごろから関与したとされる。このうち、虚偽記載罪の公訴時効5年にかからない平成15年以降の3500万円分が起訴された。「政治家個人への企業献金受領」「第三者名義寄付の受領」は公訴時効3年のため、18年10月分だけが起訴されている》

 《公判の争点は、(1)本当に献金を行ったのは西松建設で、「新政治問題研究会」(新政研)と未来産業研究会(未来研)という2つの団体はダミー団体だったのか(2)大久保被告は、それを認識していたのか(3)過去の政治資金規正法違反事件に比べて、悪質性が低いのに起訴している「公訴権の乱用」にあたらないのか-という3点》

 《検察官の起訴状の朗読が終わる》

 裁判官「いま読み上げられた起訴状の内容について、あなたとしてはどうですか」

 被告「事実の第1、第2についても…」

 《大久保被告はここで言葉を飲み込み、黙り込んだ。30秒近い長い沈黙。それからまた口を開いた》

 被告「新政治問題研究会についても、未来産業研究会についても、寄付を受けて、その通りに政治資金収支報告書に記載したものです。検察官は『西松建設から寄付を受けたと知っていた』といいますが、私は、政治団体の寄付で西松建設の寄付とは思っていませんでした。政治資金規正法に違反するとはまったく考えておりませんでした」

 《大久保被告は、はっきりと起訴内容を否認した》

 =(2)に続く

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第五世代コンピュータ(だいごせだい-)とは、通商産業省(現経済産業省)が1982年に立ち上げた国家プロジェクトの開発目標である。570億円を費やし、1992年に終結した。概要1980年代に入り、日本のコンピュータ産業は輸出も増え、市場規模も2兆円まで成長した。従来、通産省は1983年ごろまで貿易自由化対策としてコンピュータ企業への助成金を出していたが、既にそのような直接的な助成金は意義を失っていた。また、海外からもIBM互換機を輸出する日本に対して風当たりが強くなっていた時期でもある(IBM産業スパイ事件が起きたのは1982年)。そこで、次は第四世代と言われていた時代に、あえて更に先の第五世代コンピュータを開発するプロジェクトを立ち上げ、日本の独自性を打ち出そうとした。この検討が開始されたのが1979年である。当時、電子技術総合研究所(現在の産業技術総合研究所)の淵一博らは述語論理によるプログラミングに強い関心を持っていた。淵らは独創性を求めるこのプロジェクトを絶好の機会として働きかけ、第五世代コンピュータの目標は「述語論理による推論を高速実行する並列推論マシンとそのオペレーティングシステムを構築する」というものになった。当初の予定から1年延びた1992年、プロジェクトは「当初の目標を達成した」として完了した。影響と批判1981年、第五世代コンピュータに関する国際会議が通産省主導で開催された。ここで、通産省側は八方美人的に野心的な目標をいくつも掲げた。「人工知能が人間知能(人間脳)を越えること」すなわち人間の脳は高速処理や大量処理には向いていないので、それを越える人工知能をつくることが目標と説明された。その代表的な例が、エキスパートシステムである。たとえば、医学の診断や、多様な場合分けに対応する高速な機械制御など。特に期待されたのは、自然言語処理である。正確な機械翻訳や、高度な言語理解を通じた専門的判断など。これは主に予算獲得のためであった。淵一博は一貫して並列推論マシンの開発が目標であると明言している。淵はプラットフォームが高性能化すれば自然にその応用が出てくると考えていた。しかし、通産省の説明にアメリカの人工知能学者エドワード・ファイゲンバウムらが興味を示し、欧米の危機感を煽り立てた。当時の欧米の受け取り方は「日本が官民一体で高度な人工知能マシンを開発しようとしている」というものだった。また、朝日新聞などのマスコミも大々的に取り上げた。しかしながら、実際に大量の資金が投じられて完成したのはアプリケーションのほとんどない並列推論システムだけだった。10年と570億円をかけたプロジェクトは、通産省が喧伝した目標についてはまったく達成しなかった。「本来の目標については達成した」としているが、しかし成果が産業に影響を与えることはほとんどなかった。単に、学術振興と人材育成に寄与しただけだったと言えよう。IDC社の William Zachman は「The Japanese Give Up on New Wave of Computers」(International Tribune、東京版、1992年6月2日)で次のように述べている。AI型の応用の進展を阻んでいるのは、十分な知性を持った AI ソフトウェアが存在しないからであって、強力な推論マシンがないからではない。AI型の応用が既にたくさんあって、第五世代コンピュータのような強力な推論エンジンの出現を待ちわびていると思うのは間違いだ。また、ファイゲンバウムの談話として同じ記事で以下のように述べられている。第5世代は、一般市場向けの応用がなく、失敗に終わった。金をかけてパーティを開いたが、客が誰も来なかったようなもので、日本のメーカはこのプロジェクトを受け入れなかった。技術面では本当に成功したのに、画期的な応用を創造しなかったからだ。その後、成果を一般のコンピュータに移植して公開しているが、ここから画期的な応用が生まれたという話は未だにない。経緯1982年: (財)新世代コンピュータ開発機構(ICOT)設立。第五世代コンピュータプロジェクトが開始され、5年分の予算が与えられた。1985年: 最初の個人用逐次推論マシン PSI(Personal Sequential Inference Machine、パーソナルPIMとも)とそのオペレーティングシステム SIMPOS(SIM Programming and Operating System)がリリースされた。SIMPOS は Prologにオブジェクト指向プログラミングを取り入れた ESP で記述されていた。1987年: 複数台のPSIを相互接続した形態の最初の並列推論マシン PIM(Parallel Inference Mach

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