赤城山の大沼にある

大洞 赤城神社へ

 

 

ラブラブ

 

 

阿形と拝殿

 

 

吽形

 

 

赤い橋(啄木鳥橋)は使用できなくて

奥の駐車場に停めて参拝しました

 

 

こちらから ^ ^

 

 

書き置きの御朱印 ラブラブ

白に見えますが

淡い水色の御朱印帳です キラキラ

(夏季限定)

 

 

◆ご祭神

赤城大明神 赤城山と湖の神様

 

[境内社]

伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・月読命・素戔嗚尊・火産霊神

波邇夜須毘売神・波邇夜須毘古紙・大土御租神・天水分神・國水分神

高龗神・闇龗神・闇御津羽神・猿太毘古神・大山祇神・木花之佐久夜毘売神

市杵嶋比売姫・建御名方神・御穂須須美命・速玉神・事解男神・大雷神

久那斗神・誉田別尊・豊木入比売命・菅原道真公

柿本人麿公・鎌倉権五郎影政公

 

◆ご由緒

社伝によると 赤城神社は 主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神さまをお祀りし

古来人々の守護神として信仰されてまいりました

清らかな頂きから流れる水は 生命に命を与え 田畑の稔りをもたらします

 

また勇壮なる山なみは力強さを 四季折々の景色は優しさと美しさをあらわし

その内容と景観 神秘的なたたずまいは 仰ぎ見る人々の心を捉えてまいりました

 

その信仰は 太古に遡り設立年代は不詳ですが 大同元年(806年)に

小沼から見上げる神庫岳(後の地蔵岳)の中腹より 

大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております

 

この年号に因み この地を大洞と名付けたのです

この時 小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております

 

神仏混合期には はば広い信仰を集め 神社の規模も大きく発展し

御神域も赤城山全体におよぶほどになり 朝廷より御神意を賜り

承和六年(839年)にはじまり 元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し

長元年間(十一世紀)には正一位に叙せわれております

 

江戸時代に至り 相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし

将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く 三代将軍徳川家光公は寛永十九年に

社殿の再建を命じられました

 

また厩橋(前橋)城主は 自ら大祭に参列され 平和と安全を祈願されておりました

厩橋場内をはじめ 各地に分社が勧請され 山開き例大祭には近隣の村々や

遠く 武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参謀者が訪れました

 

赤城山の登山口八か所に 鳥居が設けられ 

これらは近隣の村人によって奉納されたものです

このうち 厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を

一の鳥居と呼んだのです

 

この頃 神祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」

吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております

これは 当時の赤城神社への信仰のほどを物語るものです

 

明治20年~43年の間 小沼畔・豊受神社 小鳥ケ島・厳島神社

黒檜山頂・高於神神社をはじめ 赤城山の神社を合祀いたしました

 

寛永十九年(1642年)徳川家光公の命により再建された社殿は

三百年以上に亘る赤城山の厳しい気候により荒廃したため

昭和45年 凡そ千二百年鎮座した大洞の地をあとに 

小鳥ケ島・厳島神社の跡地に御遷宮されました

 

平成十八年(2006年)大洞御遷宮千二百年祭を奉祭斎し

社殿の境内地の整備が行われております

 

お願いキラキラ

 

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【大洞 赤城神社】

群馬県前橋市富士見町赤城山4-2

027-287-8202

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