大山康晴が作り上げた「入城安全神話」は やがて
「二段玉安全神話」へと広がって行った
7八玉 3八玉などである それと
” 玉は下段へ落とせ ”
この寄せの基本中の基本である格言もプラスされ
美濃囲いにおける
「2八」はユートピアであると位置付けられ
誰も疑うものはいなくなった
だから 中原囲いが流行しても 一段玉を
マネ出来ない人がいたのだ
だが 実は 大山自身
すぐにそうなったのではない
大山康晴も最初は恐る恐るである
様子を見ながらだったのだ
なかなか入城しなかったのである
3九玉のままが多かったのである
そもそも 大山は居飛車相掛かりの人である
入城するわけがないのだ