どうも、メイク時間は10秒です、袋小路コウジです。




今日のWBC (ワールドベース・ボール・クラシック)の試合を見て、

何か不思議な感じがした。




何が不思議なんだろう?

イチローの無精ヒゲには慣れたし、

ダルビッシュ有の奥さんはサエコ だし、

解説の清原は相変わらずK-1選手に見える。




試合を見ていてその違和感を知ったのは、

試合にも飽きてきて、少しうたた寝をしはじめようとした時であった。




音がない。

そうである、音がないのだ。

歓声はあるものの、応援に合わせた曲や手拍子がない。

これは実に不思議である。




野球の試合において、曲に合わせて「かっとばせ~、●●!」がない、

つまり応援がない試合はかなり無味乾燥なものである。




普段、何事もなく見ているものにそれに合わせたBGMがある。

人は視覚のある生活に慣れすぎている。

また視覚に頼りすぎている。

だが視覚だけでは何か寂しく、テンションも上がらない。

そこで有効なのは聴覚の登場だ。




家に帰ってまずテレビをつける。

特にテレビを見るのではなく、つけるのだ。

そこからは誰かが喋っていたり、音が鳴っている。

つまりそこに無音はない。

それは寂しさを紛らわしているのかもしれない。




また、例えばそこに合うBGMを探しているのかもしれない。


怖い映画には怖いBGMがある。

→貞子が出てくるシーンでドラえもんの曲が流れる。


運動会では爽快で活気あるクラッシックが流れる。

→100メートル走で「与作」が流れる。


歯医者の待合室ではオルゴールが流れている。

→治療中に16ビートのハードロックが流れる。


おしゃれなバーではおしゃれなジャズが流れている。

→バーにお経が流れている。


これに違和感がない人はある意味、芸術人だ。




そう、人はそこにふさわしいBGMにより、

そこの雰囲気をつかみ、動いているのだ。




でも疲れている時は、あらゆる音が煩わしくなる。




時には無音を楽しむのもいいかもしれない。