「2026年2月26日は、事件発生から90年ということになります・・・」

昨年の暮れに、NHK関連会社から電話連絡をいただいたことは 既に報告した。

 

そして「九十年目のその日」が近づいて・・・

読売新聞記者の大石サンから電話がある。

大石「当日、賢崇寺でお目にかかれますか?」。私「いえ、残念ながら行かれません・・・」

 

2026年2月10日。金子孝徳氏(福岡市在住)死去との知らせが届いた。

金子孝徳氏=愚妻の実姉の御夫君。私とほぼ同年齢。愚妻と姉君とは「一卵性姉妹」と称されるほどの仲良しである。

直ぐにでも愚妻のお供をして福岡に向かわなければならない。しかし・・・

「孝徳様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

直ぐにでも飛んで参りたい気持ちですが、病身のため申し訳ありません。遠方より孝徳様を偲ばせていただきます。」

お悔やみの電報と、現金封筒での御霊前・・・。86歳直前の老人は、己の体力劣化には逆らえなかった。

身内の葬儀でさえ参列できない状態では 賢崇寺の法要に行かれる筈もない。

 

2026年2月26日(木)11時00分。

賢崇寺法要の日。私は、日本大学医学部付属板橋病院の機能検査室に横たわり「超音波内視鏡検査/胆嚢・胆管・膵臓」を受けていた。点滴で鎮静剤を注入され、眠った状態でいるうちに、あっさりと検査は終了していた。

 

昨年後半から「HbA1c」の数値が急速に悪化した。体重は5㎏以上も減少し、毎晩のビールも身体が受け付けなくなっていた。

年が明け「かかりつけ医」の紹介状をいただいて「板橋中央総合病院・消化器内科」に行き、そこで「CT検査」と「MRI検査」を受けた。そして「・・・?」という箇所が指摘され、更に「日大付属板橋病院・消化器内科」への紹介状・・・という展開とあいなった。

超音波内視鏡検査(EUS)は、内視鏡検査のひとつで、機械の先が超音波となっている特殊な胃カメラを使い、消化管の中から(肝臓や膵臓などを7)詳しく検査するものであるが、未だ「板橋中央総合病院」には設置されていない。そういうわけで「はしご酒」ならぬ「はしご病院」をすることになった。どちらの病院も親切な対応で、板橋中央総合病院(大橋医師)からは3月6日の診察予約、日大付属板橋病院(木暮医師)からは3月21日の診察予約が指示されている。

ついでに記せば、かかりつけ医(望月医師)の定期診察予約は3月9日で、その翌日には(日大付属板橋病院で)大腸内視鏡検査・治療を受けることになっている。

 

 

2026年1月17日。末松太平の命日。

家人の提案もあって「築地本願寺」に出かけた。

さいたま新都心に在住の愚息も合流して、午前10時からの「合同法要」に参列。

 

参考までに、築地本願寺の「合同法要申込書」を紹介しておく。

※築地本願寺倶楽部カードと御懇志(読経志)を添えて、受付に御提出下さい。

(因みに、10時からの法要の受付時間は9時30分~9時50分である)

※法要種別(四十九日、一周忌、◎回忌、祥月命日、月命日、追悼、盆彼岸、その他)

 

約10組が参列しての合同法要。1組平均約4人、制限10人を超えて「柵外」に座っている組もあった。

過去帳持参は2組だけ。合同法要だから特定の法名(誓願院檡徳海=末松太平)が読経されることはない。

それでも 厳かな雰囲気でお経をあげていただき御焼香できるのは 感激であった。

 

合同墓にお参りして 築地場外跡の鮨屋で昼食を済ませて 築地交差点角の珈琲店で休息して・・・。

次に親子3人が顔を揃えるのは。いつだろうか。

12月26日、仕事納めの日。迷いはあったが「慰霊像」には行かなかった。

「慰霊像護持の会から連絡があれば(手伝いに)行く」というのが現在の《私の立場》である。

 

今年の2月26日、少し遅れて賢崇寺に到着した私は、思いがけない状況に遭遇した。れれれ、玄関の扉が閉じられて(内鍵がかけられていて)入れない・・・。

まさか締め出しを食らうとは予想もしていなかったので愕然とした。いつものように境内には《黒服姿の方々》が屯している。閉め出された姿を、彼らに目撃されるのは屈辱でもあった。

その後のことは《◎2025年2月26日・朝から夜まで◎》で報告している。そして、この日の衝撃が《私の立場》を再認識するキッカケとなって、《7月12日法要》の参列自粛に結びついたのも事実である。

 

ご存じのように、私は(二十二士の)遺族ではないので「仏心会」会員ではない。そして「慰霊像護持の会」会員でもない。だから「法要の様変わり」に直面しても、それに従うことしかできない。

私が「賢崇寺の法要」に初めて参列したのは、1993年2月26日のことであった。その年の1月に末松太平が死去して、二・二六事件関係者の皆様にも葬儀に参列していただいていた。母と二人で賢崇寺を訪れたのは《御礼の御挨拶》のためでもあった。

当時は、池田俊彦少尉、赤塚(鈴木)金次郎少尉、北島弘伍長など事件参画の皆様もご健在で、親しくしていただくことになった。

当時の、賢崇寺の法要も、ゲストの御挨拶、松本健一氏の講演、「昭和維新の歌」斉唱など「二・二六事件を偲ぶ集い」といった側面を見せていた。

 

 

 

先日、NHK関連部門の女性スタッフから電話をいただいた。

「来年は、二・二六事件から90年目になります。そこで、以前放送した《作品》をネット配信することになりましてし・・・」

 

来年2月にネット配信される作品は、2013年2月21日(火)20時~、NHKープレミアムで放送された《BS歴史館 第63回『徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?~』》である。

今回、事前連絡があったのは「末松太平の写真が再登場すること」への許諾確認のためであった。さすがに天下のNHK、著作権や肖像権への配慮は行き届いている。因みに、当時の制作会社=テレビマンユニオン。放映当時、作品のDVDを大量に送っていただき、関係者各位に配布した記憶がある。

 

「完本 私の昭和史/二・二六事件異聞」を最後(?)に、ここ数年は「二・二六事件関連」の新刊書も途絶えている。現代の人々にとって、二・二六事件は遠い昔の出来事であり、もはや(赤穂浪士や桜田門の変と同様の)時代劇の領域として感じられているのかも知れない。

そういう状況下のもとで、NHKが「二・二六事件」を取り上げてくれることは嬉しい。これがテレビ放映であれば更に嬉しいのだが、ネット配信だけでも心から感謝しなければいけない。

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12月20日(土)、BSーTBS《関口宏の一番新しい近現代史》を観た。この日の題材は「二・二六事件とヒットラー出兵」であった。

関口宏といえば、一昔前に「関口宏&保坂正康コンビ」による近代史シリーズが放送されていて、二・二六事件に対する《保坂正康的な視点》に立腹を重ねていた。そういう訳で、今回も(関口宏というだけで)多少の危惧を抱いていたのだが、相手役は(保坂氏ではなく)小泉悠氏(軍事アナリスト)と岩間陽子氏(国際政治学者)の二人で、我慢のできる範囲に収まっていた。

 

この番組は「統制派と皇道派」という視点で、二・二六事件を捉えていく。あ~あ、と思いながらも我慢して視聴を続けていく。

「皇道派」として、磯部、村中、野中、安藤の4人が、決起将校として(背後の荒木、真崎と共に)写真と共に度々登場する。

やがて、関口宏が「青年将校は(陸大出身ではないから)劣等感もあったのでしょうね」などと、トンデモ発言を繰り返し始める。同意を求められた小泉悠氏は、返答に窮した様子で(特に否定することもなく)スルーする。

 

番組では「とうとうやったか。おまえ達の心はヨオクわかっとる」。真崎大将の対応が紹介される。

陸軍大臣の告示や「本庄日記」なども紹介される。海軍の動きもあって「27日の午後には《義挙》から《反乱部隊》に急転したこと、真崎大将が態度を一変させたこと、などが(番組なりの推察を加えながら)紹介されていく。そして、昭和天皇の怒り。2月28日午前5時8分の奉勅命令・・・。

小泉悠氏「結局、事件に対する《防波堤》が昭和天皇ひとりしかいなかったことですね。もしも違う天皇だったら、全く別の流れになっていたかも知れない・・・」。つまり、二・二六事件は成功していたかも知れない、ということですね。

 

「3月6日、ヒットラーがラインラント(非武装地帯)に進駐」

二・二六事件と ほぼ同じ時期に起きた出来事を並べて紹介したのは、歴史関連番組としては評価できる。

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12月26日(金)=「官庁御用納め」の日が近づいてきた。

ご存じのように、渋谷の「二・二六事件慰霊像」は 渋谷税務署の敷地内に(無償で)設置されている。そういうわけで、毎年「御用納め」の日は、慰霊像護持の会(世話人代表=今泉章利氏)が感謝の御挨拶に伺っている。

「慰霊像周辺の清掃~渋谷税務署に御挨拶~賢崇寺墓参~忘年会」が歳末の恒例行事だが、今年はどうなるか。

 

昨年の私は、風邪をこじらせて欠席した。今年の私は(85歳後半の)体力衰退に悩んでいる。今泉章利氏、森田朋美氏からの「動員指令」があれば、老体に鞭打って参上するつもりだが、さてどうなるか。(末松建比古)

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2025年11月18日(火)午前11時。

「末松太平事務所/gooブログ版」は最後の瞬間を迎えるわけだが

何故か最後になって不思議な状況が発生している。

不思議な状況とは何か。閲覧者数が急上昇していることである。

 

残念ながら「二・二六事件に関心ある人々」は期待したほどではなかった。

ブログの閲覧者も「ほどほどの人数」に限られていた。

それが あと二ヶ月で消滅という時点になって 今までにない閲覧者数が続いている。

 

「末松太平事務所」は そっくりそのまま「Amebaブログ」に転居している。

しかし「gooブログ」の繁栄に比べて「Amebaブログ」には訪問者の姿がない。

それならそれで構わない・・・というのが正直な感想である。

 

私自身が「人生の終結」を意識している。

終結を裏付けるように 毎晩の夢には「約半世紀前の自分」が現れる。

独身だった私は 広告会社の福岡支社勤務の傍ら 九州朝日放送のラジオ番組に出演していた。夢に現れるのは 当時共演していたTKサンである。現在のTKサンは、福岡の有名ホテル社長夫人としてご健在の筈である。

記憶を辿ると、2021年9月17日に「ある種の予兆かもしれない・・・」というタイトルで TKサンのことを書いていた。

「人は、死を迎える寸前に、己の一生が走馬灯のようにフラッシュバックするらしい。今回突然に《二・二六事件と関係ない昔話》を記した理由は、TKサンが突然に夢に現れたからである・・・」という書き出しで 番組出演当時の私とTKサンの写真も掲載していた。

gooブログ時代に記していた「予兆」と、Amebaブログに記している「予兆」・・・。

大相撲九州場所(テレビ中継)を観ていると、正面の桟敷席に「TKサンの長女」が居ることがある。そういうことも「予兆」の原因になっているのかも知れない。

 

 

 

ウインドウズ10・サポート終了に怯えて、パソコンを買換えた。

85歳老人の衰えた脳細胞を駆使して なんとか自力で設定できたが、勝手違いに戸惑うことも多い。

最大の戸惑いは「USB接続」関連で、旧パソコンでは「①印刷複合機(電話機能付)接続」と「゚②有線マウス接続」と「゚③予備(デジカメ写真の取込み)接続」を使用してきた。しかし、新規購入したパソコンに装備されている「USB3・2」は2個だけである。さて、デジカメ写真を取込むには・・・?。

 

昨日 九州在住の大石サン(読売新聞記者)から電話があった。

「私は 参議院選挙の取材に追われて 賢崇寺の法要に行けませんが 末松さんのご予定は・・・?」「7月12日の法要には(私は遺族ではないので)参列しません」「・・・?」

賢崇寺に於ける「二・二六事件法要」は(コロナ禍に影響された数年間を経て)新しい形に姿を変えたようである。即ち「遺族だけによる法要」ということで、その変化に気づかなかった私は、今年の2月26日、賢崇寺に遅れて到着したために、玄関の内鍵が閉められていて、ショックに見舞われたものである。

2月26日の法要の場合は、招霊される二・二六事件関係者の中に「末松太平 招霊」も含まれているから、私も「遺族」として参列することができる。しかし、7月12日の法要の場合は・・・。居心地悪さを我慢するよりは 敬遠する方が賢明というものだ。

 

「ブログ・末松太平事務所」は現在休止中。そして、再開を考慮するまでもなく「gooブログ」そのものが、まもなくサービスを停止するという。
サービス停止と共に「ブログ・末松太平事務所」も完全消滅。「二・二六事件」に関する様々な記録が、全て消失するのは無念の極みだが、宿命として甘受するしかない。

末松太平の「墓じまい」と競い合うかのように 末松太平事務所に届いた「ブログじまい」の通告。
人生はホップ ステップ ジャンプ・・・そして衰退。 私自身にも「命じまい」の兆候が 徐々に現れ始めている。

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今後も「二・二六事件に関する事柄」を発信したいと願うなら、当ブログの引越しという手段が残されている。ブログの引越しや、引越しデータの作成についての方法も提示されている。しかし 情けないことだが85歳の老人には もはや引越しするだけの気力が残されていない。とはいえ 約20年にわたる「末松太平事務所」の記述のなかには「霧散させたくないもの」も多々残されている。そういうことで テーマ2つを限定して(加筆修正をしながら)プリントアウトすることにした。

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◎テーマ1◎「新版/年表・末松太平」(1~41)+(ドキュメント死・5編)+(余録・10編)+(資料)。

「年表・末松太平」は、末松太平死去の直後に急遽作成したもので「田村重見編/大岸頼好・末松太平・交友と遺文」や「筒井清忠解説/私の昭和史」などに転載されていた。しかし、内容的には不備な部分が多いので「新版」をブログ掲載していた。今回のプリントアウトでは、ブログ掲載版に大量の加筆修正、画像や関連資料も加えて「完全版」と言えるものが完成した。

◎テーマ2◎「黄昏ギャラリー/末松太平事務所・Ⅱ」老母末松敏子視察シリーズ。

こちらは、2006年頃に開設した「二・二六事件とは全く無関係のブログ」である。殆どプライベートな内容で「日記」のようなもの。今回 加筆修正しながらプリントアウトしていると 老母が健在だったころ(最後は重度の認知症だったのだが)の思い出が 奔流のごとく蘇ってきた。

テーマ1と2、プリントアウトしたものは それぞれが80ポケットのファイルブックに納まった。背表紙のタイトルは「新版/年表・末松太平」と「追悼/釋静敏」。この世に2冊だけ存在する貴重な資料である。

ブログ引越しの案内には「書籍化機能」の説明もあるが全く関心がない。面識ある「自費出版専門の出版社」サンからも連絡があったが、丁重にお断りをした。

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《若杉良作著「天皇を覚醒させよ/魔女たちと宮中工作」2025年・講談社刊》が「謹呈 著者」として送付されてきた。若杉氏は「新潮45」元編集長。かなり以前に取材要請に応じて 飯田橋駅近くの喫茶店で逢ったことがある。

《末松の長男・建比呂氏にお会いした際、「千鳥の栞、宗教法人千鳥会編」と題された手書きの原稿用紙の束を見せていただいたことがある。どうやらそうした題名の刊行物があり、誰かが書き写した・・・》。建比呂氏=私。まあ、訂正を求めるほどのことでもない。

宗教法人千鳥会のことは 末松太平著「私の昭和史」の最終章「大岸頼好の死」の中で詳しく記されていた。この辺りの事柄は 若杉良作著「天皇を覚醒せよ」でも引用されている。ついでに記せば 私が「千鳥の栞」を所有していることを若杉氏が知ったのは「ブログ・末松太平事務所」を読んでのことである。

今までにも 二・二六事件研究者の方々から「末松太平事務所」が機縁となって 連絡を受けるケースが(時折ではあるが)存在していた。今回の「ブログ閉鎖」は 情報発信の手段を失うことでもある。今まで続けてきた「二・二六事件を風化させない」という努力を放棄するような気がして 内心忸怩たるものがあるのは事実である。

2025年5月24日(土)。築地本願寺。
納骨法要=参列11名。

  

「合同墓資料請求を承りました」
2024年3月2日。築地本願寺コンタクトセンターから届いたメールが

 末松太平夫妻の「墓じまい」は