病気とは関係ない話。

気持ちを整理するために書き留める。

 

今から34年ほど前、友人から子猫をもらったにゃー

子猫の母親はシャムネコで父親はトラ猫。

子猫は耳と手足だけがグレーで他は白い毛、目はブルーというとても美猫。

当時、マンションで一人暮らしをしていた私は飼育禁止にも関わらずこっそりその子猫をもらって同居を始めたわけで…。

 

その子猫は数か月後、毛の色が少しずつ変化してきて父親そっくりなトラ猫(グレー)の毛になり、瞳は母親そっくりなブルーの瞳のままで、体はほっそりとしたシャムネコ(手足が細長くて顔が小さい)という本当にイケメン猫になった。

 

数年後いろいろな事情があってマンションを引き払い実家へ戻ることになった時ももちろん一緒に引っ越し。

 

外の世界に出たことのないそのこを連れて一戸建ての実家へ戻るのだけど、初めての「外」にとかげのような歩き方をして庭を散歩したりして、そのうちに外にも慣れて出たり入ったりするようになって。

 

しばらくすると実家の父親が会社に迷い込んできたという保護猫を連れて帰ってきた。

その保護猫は薄汚れたグレーの毛並みにブルーの瞳。

しばらく様子を見ていたが誰も引き取り手がいないので一緒に飼うことになり、お風呂に入れて洗ってあげたら薄汚れたグレーの子猫が真っ白なイケメン猫に変身して驚いた。

 

それ以来、2匹は兄弟のように仲良く暮らすようになり寝る時も一緒、食事も一緒、外出も一緒という生活をしていたわけで。

 

それから数年後、私は結婚することになり、その猫たちを一緒には連れて行けず…というか実家で家の外と中を出たり入ったりする生活に慣れた猫たちを新居(マンション…ペット不可)には連れて行けず、私の両親や弟もいるからそのまま実家に猫を置いて自分だけ出てきてしまった。

 

それから里帰り出産で久しぶりに実家に戻った時、シャムのミックスのこは久々にも関わらずずっと私にべったりくっついて離れなかった。

 

今になって思うことは、シャムミックスのこは私が母親だったのに(私が結婚する時)捨てられたような気持ちだったんじゃないかな、と思う。

あの時はあれで、あの選択は間違っていなかったと思うのだけど…。

 

実家には定期的に私の子供を連れて何度も遊びに行っていて、そのたびにシャムミックスのこは私にくっついてくる、というとても可愛いヤツで。

 

このシャムミックスのこはとても神経質で人見知り、そして頭の良いこだった。

 

白いイケメン猫はシャムミックスのこと正反対でとても人懐こく、誰にでも抱っこされるヤツ。

 

そして数年後、実家の両親が引っ越しをすることになり当時の住まいから直線距離で500メートルほどの一戸建てに引っ越ししたのだけど…。

 

もちろん猫たちも一緒に引っ越し、引っ越しが猫たちにストレスになるのはわかっていたけれど、まさかいなくなるなんて思いもよらなくて…。

 

白いイケメン猫は外へ出てもすぐ帰って来たのだけど、シャムミックスのこは引っ越しの2日後くらいから帰ってこなくなった(と父親から聞いた)

 

今から22年前のこと。

シャムミックスのこは12才、白いイケメン猫は9才くらい。

私の子供は当時まだ幼くて1人は幼稚園、1人は入園前だったと思う。

 

子供達を寝かしつけてから深夜の1時くらいから猫捜索に行く私。

真冬で氷点下の深夜、車を走らせ40分ほどの実家へ行き、ほぼ毎日毎日深夜にシャムミックスのこを探しに行く私。

今思えば不審者極まりないのだが、よそ様のお宅の庭を眺めて草をかき分けて…という行為を目にした住人が警察へ通報したようでパトカーが来るようになった。

 

道路を管理している施設、JR、ごみ処理の会社などあちこちに電話をしてシャムミックスのこの特徴を伝え、遺体でもいいから見つけたら連絡欲しいと。

 

「見てない」「聞いてない」という返事しかもらえず、当たり前なんだろうけど…1匹のネコ捜索にそういう機関が親切に話を聞いてくれるわけないのはわかってるけど、一縷の望みだった、その時は。

 

自作で「ネコ探してます」のチラシを作って、あちこちの家のポストに1軒ずつ回って入れて、本当はダメなんだけど電柱にも貼って。

 

深夜のネコ捜索は1~2か月くらい続けたかな。

 

そしたらある日、車を運転中に体中が痺れて呼吸が苦しくなって大変だった。

少し休むと治るからそのまま放置してたら、そういう発作が頻繁に出るようになって…病院に行って脳波とか検査してもよくわからなくて。

きっと「過呼吸」だろうと。

心療内科行った方がいいかも的なことを言われ、生まれて初めてそういうクリニックへ行くことに。

 

自分ではストレスなんてたまってる感覚もなく、睡眠不足から来る体調不良も気にならなくて、どうして体が痺れるのか謎、くらいにしか思ってなかったのだけど。

ドクターから「あなた、相当なストレスよ、それ」と言われ、すごく同情されて、ネコのことも実家の引っ越しのことも、普通の人ならストレスを感じて当たり前だと。

 

ドクターに冷静に指摘されたら涙があふれてきてしまって、どういう意味の涙なのかわからないけどとにかく涙が止まらなかった。

 

ドクターは静かに私が泣き止むのを待ってくれて、遠回しにネコ捜索は諦めても良いのでは、と。

 

今になって思うのは、ネコ捜索は私が私自身を許せなくて(シャムミックスのこを結婚する時に実家に置いてきてしまったから)見つけられないのはわかっているのに捜索をやめられなくて、贖罪のつもりだったのかなと。

 

シャムミックスのこも当時は老齢だったし、ケンカに巻き込まれたならきっと負けただろうし、車も多く走ってる道路もある、線路もある、川もある…何かアクシデントにあったんだと自分に言い聞かせてネコ捜索は春にはやめていた。

 

あれからもう22年が過ぎたのに、今でもまだ涙が出る。

 

何か動物でも飼おうかな、と何度も思ったけど…無理。

 

私が結婚する時(実家を出る時)に無理にでも連れて来れば良かったと。

何であの時置いてきたんだろうと。

 

そんなことばかり考えて次に進めないんだ。

 

そろそろ新しいネコ(もしくは犬とか鳥)飼ってみようかな、と何度も何度も思ったけど、出来ない。

 

シャムミックスのこを最期までちゃんと見送ることが出来なかったことに対して申し訳なさ過ぎて、あまりにも自分勝手なことをした自分が情けなくて、気持ちがまだそこにいるのかも。

 

白いイケメン猫は14才まで生きて最期は腎臓病で家で亡くなり、ちゃんと火葬してあげた。

 

そして最近、やっと最近になり少し考えが和らいできたんだ。

シャムミックスのこに「気持ち」とか「思い」があるとして、私がこんな年になってまでもまだ自分(シャムミックスのこ)のことを申し訳なく思ってたり、自分自身を責めていると知ったら、逆にあのこは悲しむんじゃないかと…。

私のこういう申し訳ない気持ちとか情けない気持ちとか、あのこに負担に思われたらイヤだな、と。

 

あのこには私が死ぬ時に迎えに来て欲しいと思っていて、その時に「あんたのその気持ち、負担だったんだよね」なんて言われたら悲しいな、と。

 

この年になってやっと、やっとここまで気持ちを持ってくることが出来た。

忘れたくないからこうしてブログに残そうと思う。