年のせいか毎日いろいろ考える。
子育てに必死だった頃、地域自治会の役員やったり、学校の役員やったり、その間にもちろん仕事もして、自分の為だけに時間とお金を使うなんていう贅沢は出来ない日々。
…というか、自分のことなんてどうでも良かった。
自分の任務を全うすること、目の前のやらなきゃいけないことをクリアしていく毎日だった。
子供が2人(長女、長男)いるのだけれど、長男は生後すぐ小児喘息、アトピー、慢性蕁麻疹…入院&お医者さん通いが常で、しかもADHDの「多動」がないタイプみたいで、これはちゃんとした専門医の診断ではなく、そういう子供たちをサポートする先生に相談した結果のお話。
症状に重い軽いがあるとするなら軽い部類だとのことで、社会生活を送るにあたって注意して行かなきゃいけないこととがあるのだけど、それを小学校3年生の頃から訓練?(笑)して今現在はちゃんとまっとうな社会人になっている(たぶん💧)
この長男をちゃんとしたまともな社会人にしなければならない!という気持ちが大きかったため、今は安どの気持ちと手元から巣立って行った少しの寂しさを感じている。
長女は生まれた時から大きな病気とは無縁で、何かサポートが必要なこともなく、かといってすこぶる勉学が出来るわけでもなく…いたって普通の子供だったのだが、このたびご縁があってめでたく誰かの嫁になることになった。
そんなこんなで、結婚して子供が生まれて四半世紀が過ぎ、やっと自分自身に向き合う時間が出来たわけで本当なら好きな事をじゃんじゃんやったり人生を謳歌するはずだったのに…まさかの闘病生活
そりゃあ、自律神経もぐらぐらになりますわ。
自分の中にある「芯」が見えなくなってしまい、自分は何のために生まれ、死んでいくのか…とか。
今さら、死んだ母親に会いたくて会いたくて涙を流したり、もっと親孝行してあげれば良かったな、なんて無理なことを思ってしまったり。
夫を置いて先に死んだらどうなるんだろうとか。
やっぱ思い切って頭切って腫瘍をすっぱりと切り取るべきかな、とか。
いやいや、いっそそのうち死ぬんならこのまま放置してみよっかな、とか。
何だかスッキリしない毎日。
結局そういうことを考える「時間」(←ヒマとも言う)があり過ぎるせいなんだよね(笑)
という結論に達した。
顔面神経麻痺の経過はまた別記事で。