アラカン男子主夫は、
お風呂の浴槽を掃除してて、
ふと、頭に浮かびました。
善行と悪行。
善行
道徳にかなったおこない。
悪行
人の道に背いたおこない。
まぁ、簡単に言えば、
良いことか、悪いことか、
二分されるのが、この世の中なのかなと。
じゃあ、何が良いことで、
何が悪いことなのか・・・。
お風呂の洗い場を掃除してて、
思案してみた。
そこで、気が付いたのは、
余韻の差。
善行の時の余韻と、
悪行をした時の余韻。
この質が全然違う。
全然違うと言えるということは、
私も、悪行をしたことがあるから(笑)
人間誰しも、
生きていれば、小さな悪行はしている。
では、どう余韻が違うのか。
悪行の余韻は、
高ぶる感覚のカーブが、急激に上がる。
だが、その後の余韻が、
長く続かない。
アッっという間に、消えるのですね。
だから、あの高ぶった感覚が、
逆に忘れられなくて、
悪行とわかっていても、
また、それを繰り返す。
だが、善行の心の高ぶりカーブは、穏やかで、
富士山のようなカーブを描く。
余韻が、とても長い。
高ぶる気持ち良さと異なる、
高揚が穏やかに続く。
だから、悪行を繰り返すのは、
頂点と原点の繰り返しだが、
善行は、余韻が長いので、
繰り返すことによって、
その余韻をずっと保てると思うんです。
そして、
お風呂の最後の拭き取り掃除をしてて、
またもや思案する。
では、
道徳にかなったことなのか、
人の道に背いたことなのかという、
大それた善悪のことでなく、
何か行動したことに、
幸せを感じる余韻の質がどうかを考えれば、
善悪の区別が出来るかなと。
簡単に言うと、
めちゃ、楽しい!けど、
長続きしない楽しさで、
その一時的快楽求めて、
また、やりたくなること。
もうひとつは、
コツコツと大変な思いもしたけれど、
違うカタチで、嬉しいことが、
しばらく続くことがある。
こんなことであれば、
日常でも善悪の区別が出来ることだよなと。
お風呂掃除が完了して、気持ちが完結(笑)
そう。
人間は、善行だけの人なんていない。
また、悪行だけの人もいない。
色々な経験をして生きていく動物なのだから。
だから、自らの行為の後味を吟味してほしい。
違いがわかる人間になるのには、
やはり、自ら豊富な経験をするか、
導いてくれる、師がいるか?
結局、自分だけの判断は、危ういということ。
それが、お風呂掃除完了した時の
私の結論(笑)
あ~、今の世の中、
利己主義の塊魂になっていること、
寒気がするほど多いと感じるのは、
私だけだろうか。
さて、これからのトイレ掃除終わったら、
自分の心の大掃除でもするか(笑)
昨日の夕刻間近。
ひとつの空にも、明暗あり。
気付けば、教えてくれるものは、たくさんある。
本日も最後までのお付き合い、ありがとうございます🌈
感謝、感謝です✨✨