今日は、11月1日ですね。
朝から洗濯を完了し、仏壇やご縁ある神仏へ勤行をし、リビングダイニングは、お線香の香りが充満しています。充満というよりも、漂っている、ですね。
この週末連休は、夏日になるかもという東京ですが、確実に冬に近づいている空気は隠せません。少しは黄昏る空気と時間になるのが、この秋ですよね。
そんな黄昏時間になると、ふと、これまで歩んできたことの時間を思い出したりします。年寄の悪いところは、「昔は良かったなぁ。自分の若い頃は・・・。」とか、語ってしまうところだとも言われています。実際、その傾向にある者は、認知症になりやすいとも言われています。要は、今の時間の流れに乗れないということを隠していることになるのですね。そうならないようにしないと(笑)
とはいえ、アラカン男子にとっては、これから何をする、何が出来るかと自問自答した時、やはり、過去の自分の行いや、時の流れを振り返る時間が必要だったりします。
先日、私の大好きな、朝ドラ「あまちゃん」の再放送録画を観ていた時に、出てきたセリフ、『向いてないのに続けるのも才能』という一言。
どういうわけか、とても胸に刺さりました。
『向いてないのに続けるのも才能』。
私の人生も、この連続だったと、ふと、気が付かされたという感じです。
振り返れば、何一つ、思い通りに辿った時間がない。そんな向いてないことにぶち当たることばかりでした。今更、母親のエゴや、生活環境のことをそのせいにはしたくありません。それを差し引いても、やはり、向いていないことと向き合う時間ばかりでした。
裏を返せば、「これが、やりたい!身に付けたい!」という夢や目標が、少なかったのかな。なので、必然と、向いてない事に取り組むことになっていた時間が多かったのかもしれません。
そのうち、何をやっているのか?どうしてこれをしているのか?わからなくなる時があります。これでいいのか?と感じることもありました。
ただ、そんな時でも、その環境から逃げることはしなかった。自分が思う結果が出るまでは、続けるという意志はありました。
そう、続けることなんですよね。
そうすると、自ずと結果が見えてくる。もちろん、自分の思う結果と世間一般でいう結果との差は生まれてしまうのですが、それでも、続けることで、自分なりの結果が見えるという修行にはなるのです。
そうすると、違うことに取り組みたくなる。向いていなくても(笑)
で、3~5年間くらい働くと、違う仕事を転々とした、20代~30代前半。両親からは、「飽きっぽいヤツ」と避難されていました。
両親は、職人一筋、主婦一筋のふたりでしたからね。理解できるわけがないのが、昭和の時代です。
見方によっては、仕事は、「先が見えてしまう」から辞めてしまえば、次の仕事でも、自分が向いている仕事に出会える確率は、かなり低い。なので、また向いてない仕事をするハメになる。仕事に関しては、そんなことが原因だったのかもしれません。
ですが、色々な経験の積み重ねは、そのうち、活きてくることになるということをこの当時は、本人もわからなかった。催眠術のように、自分自身も、「俺って、飽きっぽいのかな。ダメな人間なのかな。」と、暗示にかかる傾向の時期でもありました。
ある時、働き始めて間もなく、その小さな会社の社長夫人に、こう言われました。
「○○○くんは、器用貧乏ね。」と。
その一言は、ハッとしました。
今まで、言われたことのない言葉です。
何でも期用にこなせるのに、大成しない人のことを一般的には言います。
ただ、この時の社長夫人は、あれもこれも、入社間もないのにそつなくこなす私に、伝えたかったのは、オールマイティな人材だと言いたかったらしいです(笑)
ですが、私は、オールマイティな人材でなく、まさに「器用貧乏」だよなという自意識を、その時、確認した時間となりました。
その社長夫人には、感謝です(笑)
そして、その会社は、3ヶ月間で辞め(笑)、次に就いた会社で、定年を迎えるまで働くことになります。
器用貧乏のままでは、ただ、使い捨てされるだけ。もしくは、自分自身を使い捨てにするだけ。本当の才能というのを見出せず、埋もれるだけ。意に添わない仕事でも、理不尽な人間関係でも、笑ってこなす。器用にこなすことは、今まで多方面で学んできたわけだから、今度は、それを笑ってこなす。
ただそれだけで、定年まで過ごすことが出来た感じです。
それでも、上司には、恫喝したことは、度々ありましたけどね(笑)
後輩や部下には、暴言は、絶対にしなかったですけど。
何十年も働いていれば、紆余曲折はあります。
その会社でも、一度、飛び出した時があります。要するに辞めたことがあります。
ですが、半年後には、その同じ会社に再就職するということをしています。
50年以上の歴史のある会社で、そんな「出戻り」社員は、私だけ。
社内で敵も作りましたし、逆に凄い味方も増えました。
特に、取引先とは、今でも交流のある社長さんもいます。とてもありがたいことです。
復帰した会社では、もう一度、底辺からの仕事です。
雑用、電話の受け取りなど新人がこなす仕事から、今までやったことのなかった、内務の事務仕事全般も。その後、受発注業務や、業者手配業務もこなし、商品管理として、今では少し落ちぶれた、〇芝さんとの交渉窓口として役を演じます。
再起の凝縮された3年間(笑)
石の上にも三年いれば暖まる。
この時、「向いていないのに続けるのも才能」ということを実践出来たのは、若い頃の『器用貧乏』な時間の積み重ねが活かされていたのですね。
今思うと。
その後、この会社の経営危機を救う人材のひとりともなり、そして、子会社の取締役も任命されるようになりました。
気が付けば、会社で奮闘しながら、母の介護の役割を担い、両親共々、看取り終わり、いつの間にか、カミさんとも色々なこと?乗り越えて32年の結婚生活を続けている。
九星気学の知識ある人に言われたことがあります。
「凄い、大変な環境で暮らされているのですね。」と。
私は父との相性は、そこそこ良かったらしいですが、その時は、もう父はいない時で、他に囲まれている家族との相性が、母と姉との相性は、大凶。そして、カミさんとの相性は、凶。
既に、生まれた時から、昔から、「向いてないのに続けるのも才能」を育てる環境だったわけです(笑)
そして、その環境は、今も続いているわけで(苦笑)
才能は、生まれ持ってのものも、もちろんあります。
ですが、続けることで見えて来る才能、育つ才能もあること、忘れてはいけません。
また、続けることが出来る環境にも感謝できる余裕があると、開花の近道かもしれません。
あ~、喋るのも、作文も大っ嫌いだったのに(笑)
ブログを続けられているのも、皆さんとのふれあいがあってこその時間ですね。
学びは、色々なところにあります。
決して難しい言葉や、偉人の残した言霊でなくても、刺さる「一言」に出会える楽しみが、ブログにはありますね。
自分自身の言葉で発するということが、どれだけ魅力的なのか。
最近は、言葉からそのお人柄が見えるようになりました。
「見えない世界」でなく、「見えるべき世界」を感じるようになりました(笑)
ん。
続けることの大切さ。
苦手なことを得意としているものと組み合わせて克服する楽しさ。
ま~、人生は、向いてないのに続けるのも才能だと、自分に言い聞かせながら、向いてないのに続ける楽しさを見出すことの連続だったりするのかもしれませんね。
それが、生きる意味なのかもしれません。
今日は、得意な?写真はありません。
苦手な文章のみで、久々、チャレンジした回でした(笑)
制作所要時間、1時間15分(笑)
お粗末様でした・・・。
いつも最後までのお付き合い、ありがとうございます🌈
感謝、感謝です✨✨