今回も、桜井識子さんのリブログという形で呟きますね😊
念の処理のお願いは、お護摩祈禱の「火」 とおっしゃっています。。
ん~。。私思うに、「火」 というより、「炎」 だと思います。。
・・・40年近く、お不動様のご祈祷を頂いてきた私としては、その表現のほうがしっくりするように感じます。。。
前回、念のお話しの時に、お仏壇のお話しをいたしました。。
そのおかげで、姉が金縛りから救われたことがあったことお伝えしました。。
さすがに、この時は、ご先祖様の有難さを感じた時です。。
今回、少し長くなります(笑)
経緯を少しお話しすることになりますので・・・。
・・・もちろん、桜井識子さんのリブログですから、その内容に結びつけるような内容となることお約束いたします😊
私の父の家・・・田舎の墓地は、集団墓地した。。
そのため、個人の識別が出来ない状態です。。
幼い時、何度か、お盆なのか、何かの節目にお墓参りに連れて行ってもらった記憶があります。。
「そこ、気を付けて!! 穴があくかもしれないから!」
と言われることも。。
要するに、土葬の墓地だったようです。。
敷地内には、道とか墓石の囲いもありません。。。
土葬なので、火葬の遺骨とは違って、
「ひとつ」が、大きいわけです。。。
月日が、経つと、どこがどこまでが埋葬したのかが、わからないのです。。
そんなお墓にお参りに、私は、幼い時に連れて行ってもらっていた・・・・
・・・・今思うと、考えられないですね😅
しかも、関東ですよ。。栃木県です。。
でも、私は、怖いとか、気持ち悪いとか、思ったことなかったです。。
身の上話が長くなってしまうので(笑)、少し割愛いたしますね。。。
・・・・お仏壇の、おじいちゃん、おばあちゃんの位牌は、白木の位牌のままでした。。
当時、大変な思いをしていたはずなのですね。。父は。。
いずれにしても、本位牌にしてあげられてない。。
尚且つ、集団墓地から、ご先祖様を個別の墓地へと手を尽くしてない。。
父の兄弟たち7人が、早く何とかしろと、責め立てているのは、
子供の時、少年の時の私にもわかりました。。
仕事も休みなく頑張っている父でしたが、他の兄弟たちのほうが、裕福でした。。
なので、余計に、「兄貴は、長男なのだから、何とかしろよ!」
と言われていて、母が、とても辛い想いをしているところも垣間見た時があります。。
それでいて、父の兄弟が進んで、私たちの家にあるお仏壇に
お線香をあげに来たことがない。。。
そんな、ある日。。。
ある会社を立ち上げて、社長となっていた、父の下の叔父さんから電話があります。。
明日、お仏壇に、お線香をあげに行きたいというのです。。
一度も来たことのない叔父さんが、どうしたのだろう。。。
理由は、叔父さんの娘さんが、過食症で苦しんでいるというのです。。
もちろん、通院もしているということですが、
詳しい話を当時、聴いてないので、定かではないですが、
その叔父さんは、夢を見られたのでしょう・・・・・。
お墓は、集団墓地です。。。
一個人が、わかりません。。
もちろん、それでもお墓参りでもいいのでしょうが、
叔父さんは、ウチにある、お仏壇へ手を合わせることを選びました。。
位牌は、その亡き人と繋がる窓口となるからですね。。
いつも、えばり散らしている叔父さんが、とてもおとなしい。。。
お線香をお供えして、しばらく、じっと、手を合わせていました・・・・・。
それから数日後。。。
本当に、数日後です。。
過食症で、苦しんでいた、娘さんが、元の娘さんに戻ったというのです。。
この報告には、さすがに、父も母も驚きました。
一緒に喜んであげるというより、驚きでした。。
それから、父も父なりに努力して、何とか、お墓も綺麗に整備してあげたい。。
場合によっては、こちらで、お墓を建てて、集団墓地の土を頂き、
住まい近くのお寺さんで、お世話になろうと計画をしていたのです。。
ですが、父のその弟と妹たちが、集団墓地自体が整備されて、
個々にお墓を建てられるということの情報を父に知らせてなかったのか、
事情は詳しくわかりませんが、他の兄弟たちだけで、
立派なお墓をその墓地に建ててしまったのです。。
建立した名前が彫られているのはもちろん、父の名前ではありません。。
いくら仲の悪い兄弟だとしてもね・・・・・。
そのお墓には、一度か二度。。
カミさんと結婚が決まった年に、節目としてカミさんも連れて家族みんなで、お参りに行ったのが最後です。
父は、今、眠っている墓地、お寺さんを決めるのが、一歩遅かった。。
お仏壇のご先祖様は、本位牌でなくても、
白木の位牌のままでも、我が子を助けてくれます。。
孫たちの健康を祈ってくれています。。。
もちろん、お墓参り出来なくても、位牌をお祀り出来なくても、
ご先祖様は、見守ってくれますし、手を合わせれば、話を聞いてくれます。。
・・・・しない。。祀らない・・・ではありません。。
したくても出来ない場合です。。
今は、私は、おじいちゃん、おばあちゃんたちのお墓の場所がわからないです。。
敢えて、何とか探して、行こうという気持ちには、あまりなれません。。
その代わりに、父、母の眠っているお墓参り、
そして、和室のお仏壇での勤行。。
そこで、おじいちゃんとおばあちゃんにも手を合わせています。。
写真も両親の写真と、合せて、母の祖父母、父の祖父母の写真も飾っています。。
・・・・たぶん、それでいいよと言ってくれているように思います。
孫の代で出来ることは、それくらい。。
桜井識子さんの新刊。。。
ここで、識子さんもお墓のあり方について触れられています。。
個人的意見ですから、初めから永代供養墓を選ばれるのも、
位牌を必要としないという発想も、人それぞれです。。
残された子供たちに負担をかけたくない・・・という親心もわかります。。
ウチは、両親が、こだわって、日本製の墓石(笑)を建ててくれました😄
父母は、苦労ばかりで、結局、新築の家を持てませんでした。。
ですが、私たち、姉弟には、不憫なく育ててくれました。。
・・・・そして、最後に、とても綺麗な、新築?のお墓に入ることが出来ました😊
それが両親にとって幸せだったかは、私にはわかりません。。
親が子を想うこと・・・・
子が親を想うこと・・・・・
お互い、言葉を交わせなくなった時、初めて感じるものがあります。。
私は、両親の位牌がすぐ間近にあって、話ができる。。。
そして、住まいから近いところに、両親が眠るお墓があって、磨いてあげられる。。
・・・・これはですね。。
とても、幸せなことだと感じてます😊✨
半年に一度、お仏壇の中を丁寧に掃除します。。
白い手袋をして、ご本尊様、そして位牌をお仏壇から取り出します。。
その時、位牌を手にした時、父の母の遺骨を抱いた時の温かさを
いつも感じます。。
「ありがとう」が、伝わってくるのです。。
これは、経験しないとわかりません。。
私のように、子供もいなく、先が見えているのであれば、
初めから、永代供養墓の選択もありだと思います。。
ですが、お子さんがいらっしゃるなら、
どうか、お子さんのために、お墓やご位牌を残してあげてほしいです。
年忌の法要が必要であれば、お寺さんとのお付き合いがあったほうがよいのでは。
今、神社仏閣は、存続が厳しい。。。
人口が、昔より多いはずなのに。。。
そのうち、神社仏閣にお参りに行けるところがなくなりますよ。
人は、生まれて、また、あちらの世界へ戻ります。。
その時の「制度」を昔からのしきたりを伝えていきたいですね。。
そんな気持ちが、神仏にはしっかり伝わると思います。。✨
貧乏で、頑張り屋さんだった父は、お不動様が大好きでした。
東京の多摩地区に引っ越して来てからは、
高幡不動尊へのお参りを欠かしたことがありませんでした。。
なので、私も、40年近く、お参りに行ってます。。
お護摩祈禱も父母の想いを継いで、毎年、「家内安全」をお願いしています😄
お不動様の、「炎」に、守られています🔥
お護摩祈禱が、大好きです😆
高幡不動尊だけでなく、あちこちの、ご祈禱を浴びてます。。。。。
深川不動堂では、仕事していた頃は、
毎回、その時にお願いしたいものを「炎」でご加持してもらってました🔥
ここは、特に、お札のご祈禱をお願いしなくても、ご加持してもらえます。
・・・コロナ禍の今は、どうなのかな。。。
目には見えませんが、炎とお経と、太鼓の音が、すべて浄化してくれると思っています✨
桜井識子さんのおっしゃること、理解できます😊
11月11日。。
また、龍さんでしょうか・・・・
目のところが、おひさまです。。
とても大きなお姿です。。
撮った写真、全部見せますね(笑)
みんな同じですけどねぇ~。。。
ベランダで姿見せてくれて、ありがたい✨
お顔目元のアップ✨
ベランダで、ずっと、空を見上げているわけではないのですけど。。。。
秋は、このような雲が発生しやすいのかな・・・。
そして、この日の夕方。。。。
また、外を覗くと・・・・・・・・
もう一枚・・・・(笑)
龍さんでしょうか、鳳凰さんでしょうか。。。
ウチのマンション・・・それも真上から。。。。
そして、左下は、富士山・・・・・。
色々と、ご縁が色濃くなってきた、今日この頃です😊
今回も、いつも最後までのお付き合い、ありがとうございます🌈